第4話

「はい……」


 できる限り声を潜めて電話に出た。別に声がおばさん達に聞こえてしまっても構わないのだが、この静まり返った家がそうさせたのかもしれない。


「あぁ、日野だ。ヘッドと連絡がついたよ」


 江崎に対しては、妙に丁寧な敬語なくせに、葛西に対しては割りかしフランクな言葉遣いで接してくる日野。人をによって態度を変えるというのはよろしくない。葛西に対してフランクな態度を取るなという意味合いではなく、江崎に対して、あそこまで腰の低い態度を見せなくてもいいという意味でだ。


「本当か? ヘッドは何て言っていた?」


「会ってやっても構わないそうだ――。割とあっさり承諾してくれたから拍子抜けだ」


 日野がどのように話を持って行ったのかは分からないが、うまい具合にやってくれたようだ。これでイエローヘッズ全体の協力を得ることができれば、さらに沙織の死の真相へと迫ることができるかもしれない。もっとも、相手はあのイエローヘッズなのだから、油断はできないのだが。


「それで、いつなら会ってくれそうなんだ? できることなら早目がいいんだけど」


 今の葛西は、残り数ピースまで完成させたパズルの前にいるようなもの。しかし、その数ピースをどこかにやってしまって、慌てて探している状態だ。残りの数ピースはイエローヘッズのところにある可能性が高い。早く会えるに越したことはなかった。


「今夜ならいるそうだ。会って話すのであれば、今夜がいいだろうな――」


 葛西の望み通り、とんとん拍子で段取りが決まって行く。ただ、こうも簡単に行くのが、ほんの少し引っかかった。相手は街を根城にする不良グループだ。日野はともかく、そのヘッドとやらは何を考えているか分からない。慎重にならねばならないだろう。


「分かった。なら今夜。そうだな――午後七時くらいになったら、そっちに向かわせて貰うよ」


 沙織の部屋の状況を察するに、夜遅くまで作業が続くことはないだろう。終電のことも考えると、七時がぎりぎりといったところだ。


「あぁ、そのようにヘッドには伝えておく。ヘッドの話だと、訪ねて来た三人全員で来いとのことだ。それじゃあ、伝えたからな」


 三人全員で来い――その言葉に薄ら寒いものを感じた。まさか、呼び出すだけ呼び出して袋叩きにするつもりではないか。イエローヘッズのことだからあり得ないとは言い切れない。しかし、虎穴に入らずんば虎子を得ずという。多少のリスクには目を瞑らねばならない。


 スマートフォンをポケットに仕舞うと、みんなのところに戻った。恐らく、沙織の話をしたことで空気が重苦しくなってしまったのであろう。苦し紛れに小さなテレビが点けられていた。


 誰からの電話だ――。江崎の視線を軽くかわして座ると、小さくウインクをしてみせた。後で話すから今は聞かないでくれ――。視線だけの会話であるが、この辺りは幼馴染であるがゆえに通じてくれたのであろう。気を取り直すかのように、江崎が茶菓子へと手を伸ばした。


 佳代子はテレビへと真剣な眼差しを向けている。テレビでは天気予報をやっていて、天気図には大きな渦を巻いた雲が映っていた。どうやら、これから天気が崩れるらしい。葛西達の街は、それこそ沖縄や九州地方に比べれば、そこまで大きな被害に遭うことはない。しかし、港町であるがゆえに、漁港はてんやわんやとなる。船が流されないようにしたりと、とにかく慌ただしくなるのだ。そうなってしまうと、父親の手伝いをしている江崎が動けなくなってしまうかもしれない。それまでにイエローヘッズの件だけでも片付けておかねば――。


 こちら側の味方についてくれたとはいえ、イエローヘッズ全ての人間が味方になった訳ではない。日野を含めたほんの数名だ。しかも、その日野達だって、江崎がいるからこそ味方についてくれた可能性が高い。正直、江崎がいなければ何をされるか分かったものではない。そう考えると、実にタイミング良く日野から電話がかかってきたものだ。


 寮母さんが気を遣って、何かしらの話題を振ってくるのが申し訳なくて仕方がなかった。沙織の話をしたことにより、重たくなってしまった空気をリカバリーしようとしているのだろうが、肝心のおばさんがすっかり落ち込んでしまっている以上、無駄な足掻きであろう。できる限り寮母さんとの言葉のキャッチボールを続けたが、重たくなってしまった空気は払拭できなかった。


「さて、そろそろ再開すっか――」


 その空気に耐えられなくなったのか、江崎がそう言って立ち上がったことにより、自然と気まずいティータイムはお開きとなった。誰かが言い出すのを待っていたかのごとく、口々に「ごちそうさまでした」と、一斉に立ち上がる。


 冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干すと葛西も立ち上がり、寮母さんに礼を言うと、先に出て行ってしまった江崎達に続いた。


「しょーやん、かぁこ。今夜空いてるか?」


 廊下で二人を呼び止め、先ほどの電話のことを話した。


 このタイミングでイエローヘッズから連絡があったこと。イエローヘッズのヘッドは、どういうわけだか三人揃っての接見を希望しているということ。それなりのリスクが伴うかもしれないということ。廊下で立ち止まっての内緒話は、佳代子と江崎が頷くことで締結された。二人共、いまさらになって引くつもりはないらしい。むろん、葛西だってそうだが。


 沙織の部屋へと戻り、おばさんと一緒になって部屋の片付けを続ける。やはり、そこには沙織が生きていた痕跡がたくさん残されていて、特におばさんは辛そうだった。離れて暮らしていたとはいえ、自分のお腹を痛めて産んだ娘だ。悲しくないわけがない。


 途中でおばさんが買ってきてくれたパンをかじりつつ、あらかたの片付けが終わった頃には、ゆっくりと日が暮れつつあった。荷物を運び出し、おばさんがレンタルした軽トラックに積み込む。部屋が空っぽになったことを確認して、みんなで寮母さんに挨拶をしてから寮を後にした。


「――今日はありがとうね」


 軽トラックに積まれた荷物を眺めつつ、おばさんが弱々しい笑みを浮かべた。こういう時こそ父親のほうが出張でばってくるべきなのであろうが、そもそも葬儀にすら顔を出さなかったような奴だ。もはや完全に他人のつもりでいるのであろう。


「これくらいのこと、お安い御用だよ」


 葛西が代表して言うと、佳代子と江崎が大きく頷いた。沙織の死の真相を探るという下心はあったが、少しでもおばさんの力になってあげたいと思った気持ちも嘘ではない。


「本当にありがとう。これでようやく、一区切りつけられそう」


 娘の死に直面してしまい、自身でもわけが分からないままに、とにかく必死になって母親のやるべきことをやってきたのであろう。おばさんの表情が、ほんの少しばかり柔らかくなったように見えるのは、肩の荷が降りたからなのか。


 お礼に夕食でも――と、おばさんが誘ってくれたのだが、それは丁重にお断りした。生憎、葛西達にはこれからすべきことがある。おばさんはちょっとだけ寂しそうな顔をすると、軽トラックに乗り込んだ。


 再三の礼を言いつつ、軽トラックのエンジンをかけるおばさん。三人は発車した軽トラックを見送り、そして軽トラックの姿が見えなくなると、円陣を組むかのように集まった。


「よし、今から向かえば時間的にもちょうどいい。急いで駅に向かおう」


 江崎辺りはバイクで向かいたかったのであろうが、今回ばかりは一緒に行動したほうが良さそうだ。もしかすると、イエローヘッズが血なまこになって葛西達を探し回っているかもしれないのだから。イエローヘッズが相手であるがゆえに、彼らの島で単独行動は避けたかった。

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