第5話

 日が長くなっている時期だからなのか、まだ辺りは明るい。これからゆっくりと薄暗くなり、そして夜になるのであろう。夏場は夜になっても、なんだか周囲が明るいように見えるのは気のせいなのだろうか。


 駅にたどり着き、年季の入った切符販売機で切符を購入。辛うじて有人である改札口を抜けてホームへと出た。駅のホームの向こうには海が広がっており、潮風に乗って磯の香りが漂ってくる。ホームには葛西達の姿しかない。こんな時間に電車に乗ろうなんて物好きは、この田舎では葛西達以外にいないのかもしれない。どこからか、ひぐらしの鳴き声が聞こえていた。


「そう言えばたっちん。さっき急に外に飛び出したりしてたけど、あれは何だったの?」


 田舎の電車は本数が少ない。まぁ、利用者がほとんどいないのだから当然だ。よって、どうしても待ち時間が出てしまう。その時間を持て余した佳代子が、急に葛西に話を振ってくる。


「水道管が部屋によって独立しているかを調べに出たんだ。さおりんの部屋から赤水が出た――。で、工事はさおりんが死んだ日の昼間に行われた。もし、寮の水道管が独立したものではなかったとしたら、さおりんの部屋から赤水が出ることはないだろう? それを確かめたかったんだよ」


 同じく時間を持て余していた葛西は、ホームにあるプラスティック製のベンチに腰を降ろしつつ答えてやった。沙織の部屋から赤水が出た時点で、それぞれの水道管が独立してることは確信していた。もし、独立していないのだとしたら、寮母さんが使う生活水として、すでに赤水が出切っていただろうから――。そんな葛西の推測は見事に当たり、水道管がそれぞれに独立していることを確認することができた。


「でも、それが分かったからって、どうかなるわけじゃねぇだろ?」


 江崎は線路のほうを覗き込み、電車の姿を探しているようだった。どれだけ首を長くしようとも、電車が来る時間は決まっているのだが――。


「いや、大発見さ。水道管が独立していて、さおりんが死んだ日の昼間に行われた工事の水が残っていた。これってさ、つまり例の動画が撮影された日、さおりんは水道を使用していないってことになるんじゃないか? だとすれば、明らかな矛盾点が見えてくる」


 明らかな矛盾点……。それは、沙織がイエローヘッズに乱暴されたと考えた時に見えてくるのだ。言ってしまえば、乱暴された可能性を否定する材料にもなり得る。


「かぁこ、こんなことを聞いて申し訳ないが、女性という観点で考えてみて欲しい。もし仮に、かぁこが知らない男から乱暴されたとして、真っ先に何をする? 何がしたい?」


 かぁこにこのような質問をするのは、実に失礼でデリカシーがないと思う。けれども、女性目線に立った意見が欲しかった。今のところ、葛西の推測は、女性目線に立ったつもりの葛西の視点で成立しているにすぎないからだ。江崎から「ムッツリの本領発揮か?」との声があがるが、とりあえず無視をする。幼馴染の葛西から発せられた、かなり踏み込んだ質問に、佳代子は戸惑っている様子だった。


「えっとぉ……。かぁこ、そういうの良く分からないけどぉ」


 幼馴染と言えども、曲がりなりにも男と女という隔たりはある。互いに異性として意識しない間柄であっても、ここまで踏み込んだ話となれば、恥じらいもあることだろう。


「とりあえず警察に駆け込むかなぁ」


 現実的でもっともな答えに葛西は頷いた。だが、葛西が求めているものはそれではない。もっと単純なものなのだ。


「うん、それじゃあ――。警察に駆け込んで、事情を説明して家に帰ってきたとしよう。さて、何をしたい? 真っ先にすべきことは?」


 佳代子がそっち方面の話に疎いことなど分かっている。しかし、こんな踏み込んだ話ができる異性など、佳代子の他にはいない。ある意味、幼馴染だからこそ踏み込めているようなものだ。


「うーん……。まず、シャワーを浴びたいかな。だって、男の人に――その、乱暴された後なんでしょ? よく分からないけど、とりあえず体を綺麗にしたいと言うか」


 佳代子の口から、待ち望んでいた言葉が出てきて、葛西は思わず反射的に頷いた。


「そう、その通り。まずはシャワーを浴びたがる筈なんだ。それなのに、さおりんの部屋のシャワーからは赤水が出た。それは、工事のあった昼間からシャワーが使用されていないことを証明している。つまり、さおりんはシャワーを浴びなかった。かぁこの言った通り、真っ先に体を洗い流したい筈だったのにだ。これっておかしいと思わないか?」


 沙織が乱暴されたと考えると、寮のシャワーが使用されていないというのおかしな話だ。あの廃工場で乱暴されたとなればなおさらである。様々な意味で体が汚れたことであろうし。


「もしかすると、家まで我慢できずに、どこかの銭湯に寄ったのかもしれないぜ。この辺りは夜遅くまでやってる銭湯があるからよ」


 江崎の言葉に首を緩く横に振る葛西。同じようなことを一度は考えたのであるが、沙織がどこかに寄り道をしたとは思えない。いいや、そんな時間などなかったはずだ。


「それは考えられないと思う。例の動画に音痴時計のメロディーが紛れ込んでいたことを考えると、あれは午後九時前後に撮影された可能性が高い。そして、寮母さんの話だと、さおりんがあの日帰ってきたのは午後十時くらいだった。終電の都合もあるし、どこかにさおりんが寄り道をする時間なんてなかったはずだ」


 音痴時計は毎日決まった時間にメロディーが流れるようになっている。葛西の記憶が正しければ、正午、午後三時、午後五時、午後九時の四回。沙織が制服姿であることから、動画が撮影されたのは平日であると考えられる。となると、まだ学校にいる時間帯である正午、午後三時に撮影された可能性は薄い。午後五時となれば学校が終わって間もない時間帯ではあるが、どんなに急いだって隣町であるイエローヘッズの溜まり場に向かうことは難しい。よって、動画が撮影された際に紛れ込んだ音痴時計のメロディーは、午後九時のものだと考えるのが妥当だ。


 寮母さんの話によると、沙織が帰ってきたのが午後十時。どこかに寄り道を――ましてや銭湯なんてものに寄っていたら終電を逃してしまい、帰宅時間はもっと遅くなっただろう。


「さおりんはシャワーを浴びなかったってこと? その……イエローヘッズに乱暴されたのに? それはあり得ないと思うけど」


 佳代子からすれば、実に切り込みにくい話題なのであろう。少し声をどもらせながらも、だが幼馴染のために必死に会話へと食らいついているように見えた。


「そう、それは普通に考えればあり得ない。だから、この推理にはどこか間違っているところがあるということになる。それはつまり――」


 遥か遠くに電車のボディーが見えた。それと同時に到着を知らせるアナウンスが入る。どうして、駅のアナウンスというのは、こうも聞き取りにくいものなのであろうか。もはや、わざとやっているとしか思えない。そんなことを思いつつも、葛西は決定的な推論を述べた。


「さおりんがイエローヘッズに乱暴されたという前提自体が間違っているのさ」


 車輪を揺らしながら、電車がゆっくりとホームへと入ってくる。電車が停車すると、エアーが抜ける音と一緒に扉が開いた。


「それをこれから確かめに行くんだ。詳しい話は、その時にするよ」

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