第3話

 寮母さんの記憶では、沙織が亡くなった日の昼間に行われた水道管の工事。半ば寮母さんから引ったくったも同然の紙切れに目を通すと、確かに沙織が亡くなった日と合致していた。


 沙織がイエローヘッズと思わしき人物に襲われたと思われる動画。その動画の中で聞こえた音痴時計のメロディー。初めて動画を見た際に葛西が抱いた違和感の正体。そして、沙織が亡くなる日の昼間に行われた水道工事と、それから随分と経過しているにも関わらず蛇口から出た赤水――。これらを総合的に照らし合わせて考えると、ある矛盾が生じる。その矛盾が指し示す答えとは……。


 今すぐにでもイエローヘッズのヘッドに会い、詳しい事情を聞かせて欲しかった。しかしながら、こればかりはバンダナの男――日野からの連絡を待つしかない。もどかしさを覚えながらも、何もできない現状に苛立ちさえ覚えた。


「寮母さん。ちなみにちょっと教えて欲しいんです。沙織が亡くなる前日の彼女の様子について」


 その苛立ちの矛先が、寮母さんに向かうのは申し訳ないように思えた。しかし、最期に沙織の姿を見たのは、恐らくは寮母さんなのである。幼馴染の葛西達でも、母親であるおばさんでもなく、寮母さんなのだ。


「――構わないけど、とにかく上がりなさいな。お茶を飲みながら話をしましょう」


 切羽詰まった様子の葛西を諭すかのように言うと、寮母さんは「どうぞ」と玄関の奥にある襖戸ふすまどのほうへと手を差し出す。お茶なんて飲んである場合ではなかったが、しかし現状では他にできることがなかった葛西は、渋々と上がり込んで襖戸のほうへと向かう。


 襖戸の向こうは、小ぢんまりとしたごくごく普通の居間だった。畳の香りがふわりと匂い、小さなちゃぶ台とテレビが置いてある。戸棚は随分と使い込まれているが、今も現役のようだった。この時代にしては珍しく、壁掛けの振り子時計が、小刻みに時を刻んでいた。


 この大きな家に寮母さんだけで住んでいるのだろうか。そう思えてしまうほど、居間は小ざっぱりとしている。勝手な憶測ではあるが、だからこそ下宿の受け入れをしていたように思えてしまう。


 おばさん、佳代子、江崎は先に来ており、出されたコーヒーをすすりながら、江崎にいたっては遠慮なく茶菓子に手を伸ばしていた。


 一体どうしたのだ――。ちらりとこちらのほうを見た佳代子の目が、そう言っているような気がした。葛西はそれに答えるかのように「ちょっと気になることがあってね」と、江崎の隣に腰を降ろした。


 寮母さんがコーヒーカップを葛西のところへと持ってくる。礼を言ってそれを受け取ると、砂糖やミルクは入れずに一口。際立った苦さに頭が冴えるような気がした。掴みかけている手がかりに、ただでさえ頭がフル回転しているというのにだ。


「寮母さん、少し聞かせて下さい。その――」


 葛西はそこまで言って、ちらりとおばさんのほうを見た。親がいるところで、こんなことを聞いてもいいものなのか。おばさんに気を遣うのであれば、せめておばさんがいないところで聞くべきなのではないか。そんな考えが頭をよぎったが、止めることはできなかった。


「さおりん……沙織が亡くなった日のことを詳しく知りたいんです。どんなに些細なことでも構いません。何時頃に帰ってきて、どんな様子だったのか。何でもいいんです」


 あの日の沙織の一日を追いたい。そして、あえて口にはしなかったが、沙織が遺体として発見された経緯も詳しく知りたかった。沙織はこの家の部屋で亡くなった。だとすれば、最初に冷たくなった沙織を発見したのは、寮母さんである可能性が高いだろう。その辺りのことを含めて、沙織の最期を知りたかったのだ。それが今の葛西にできること。沙織にしてやれることだ。


 案の定、葛西の言葉におばさんが小さく息を飲む。振り子時計の振り子の音が痛い。佳代子と江崎は何も言わずに、しかし葛西に賛同するかのごとく、寮母さんのほうへと視線を向けていた。大切な幼馴染が死んだのだ。あやふやなままではなく、詳細を知りたいのは葛西だけではない。


 やはり気を遣ってしまうのであろう。葛西達から注がれた視線を、寮母さんはおばさんへとパスをする。それを受けて、おばさんは小さく頷いた。ぽつりと「たっちん達には知る権利があるだろうから――」と付け加えて。寮母さんが渋々と頷く。


「沙織ちゃんが帰ってきたのは夜の十時頃だったかしら。一応、学校寮だから門限はあるんだけど、あの日はどうしても遅くなるからって電話があって」


 葛西達は思わず顔を見合わせた。代表して佳代子が問う。


「電話があったって……。さおりん自身から?」


 あの夜、沙織はなんらかの形でイエローヘッズと関わり、そして帰りが遅くなった。だがそれは予定調和であり、沙織自身も前もって把握していたということか。それとも、他の用事があったのだが、その出先で例の動画に繋がる事態へと巻き込まれたのか。


「えぇ、別に普段と様子は変わらなかったと思うわねぇ。帰ってきた時も門限を過ぎたことは謝っていたけど、いつも通りだったし……」


 どうして沙織は死んでしまったのだろうか――。沙織がこの世で最期に会ったであろう寮母さんですら、沙織の死は全く予期できないことだったのであろう。


「――様子が変わらなかった? あの、変なことを聞きますけど、衣服の乱れなんかはありませんでしたか?」


 なぜゆえに、そんなことを聞いてくるのか。寮母さんの顔がそう言っていた。あまりにも唐突でダイレクトな話ではあるが、例の動画から連想されるであろうことを考えると、当然聞いておくべきことだった。


「いえ、そんな風には見えなかったけどねぇ」


 葛西の頭の中で次々と繋がる。これまで見えていたものと全く別の景色が広がり、とある可能性を指し示す。まだ推測の域を出ないし、葛西の希望的観測の側面は強い。けれども、現時点で考えられる可能性としては、もっとも救いのあるものだった。


「ちなみに、沙織を発見されたのも寮母さんなんですよね?」


 申し訳ない。俯いてしまったおばさんに心の中で詫びを入れながらも、葛西はさらに踏み込んだ質問をする。もう少しで何かが見えてきそうなのだ。鉄は熱いうちに打てとまでは言わないが、今しかなかった。今を逃してしまったら、きっと一生後悔するのではないか――。そんなことさえ思えた。寮母さんはおばさんの様子を気にしつつ、それでも葛西の問いかけに応じてくれた。


「そうね。学校に行く時間になっても部屋から出てこないし、朝ごはんを食べる気配もなかったから呼びに行ったの。そうしたら、沙織ちゃんが自分部屋で首を――」


 振り子時計の音しか聞こえなかった静かな空間に、けたたましく着信音が鳴り響いた。肝の据わった江崎でさえ、びくりと体を震わせ、佳代子にいたっては少しばかり体が宙に浮いたように見えた。このタイミングで電話がかかってくるのは、ある意味で反則だ。真剣に寮母さんの話に耳を傾けていたから、不意打ちをくらったようになってしまった。


「あ、すいません」


 一体誰からだ。葛西は断りを入れてスマートフォンをポケットから取り出すと、そのディスプレイを見て息を飲んだ。――日野からだった。話をぶった切られたという点においてはタイミングは最悪であるが、今の葛西にとってはベストなタイミングであるとも言える。イエローヘッズのほうに進展があったのならば、それはそれでありがたいことだった。


 江崎と佳代子に目配せをすると、葛西は「ちょっと電話いいですか?」と言っておきながら、おばさんや寮母さんの返事も聞かずに玄関へと向かった。

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