第2話
年頃の女子の部屋にしては、荷物はかなり少ないほうに思えた。おばさんからの金銭的な援助はあったのであろうが、きっと節制していたのであろう。生活に必要最低限なものだけを揃えたといった具合だった。
おばさんを含めた四人で、特に段取りも立てずに片付けを始める。何か沙織の死に関する手掛かりがあるかもしれない――。そんな思惑もあった葛西ではあるが、しかし何も得られぬままに黙々と片付け作業は続く。
ふと、居間と廊下の境にある
どれくらい、片付け作業を続けただろうか。ガムテープで封をしたダンボールだけが増えてゆく。それに反比例するかのように、大した手掛かりが掴めないことに焦り始めていた。事情を知っているであろうイエローヘッズのヘッドから話を聞けることになっているとしても、それだけでは心許ない。どんなものでも構わないから、沙織の死の真相に近づけるものが欲しかった。
ドアがコンコンとノックされ、寮母の板場さんが顔を出した。ただただ黙って手を動かし続けていた葛西達は、一斉に寮母さんのほうへと視線を移す。その光景にややたじろぎながら、寮母さんは無理に笑顔を作った。
「そろそろ休憩なさらない? 居間のほうにお茶を用意させて貰ったから」
もうそんなに時間が経ったのか。言われてみれば喉が渇いているような気がする。寮母さんの言葉に佳代子が大きく背伸びをし、江崎はあからさまに嬉しそうな笑みを浮かべた。それを見たおばさんが「それじゃあ、お言葉に甘えて――」と言ったことにより、作業は一時的に中断。休憩をとることになった。
「あ、その前にトイレ――」
気が抜けたのか、部屋の外に向かうついでにトイレへと寄る江崎。用を足した後に水を流す音が聞こえ、それと同時に江崎が中から葛西を呼んだ。
「たっちん、ちょっと来てくれ! トイレの水が変なんだけどよ!」
何を言っているのだ――。溜め息を漏らしてユニットバスの扉を開くと、チャックを上げる江崎の向こう側に洋式のトイレが見えた。そして、トイレに溜まった水が、うっすらと赤く濁っていた。
「あぁ、これは赤水だよ。近くで配管工事でもあったんじゃないか?」
水道水に何らかの理由で異物が混入することは、実のところ良くあることである。配管内の錆が浮いて混じったり、集合住宅のような貯水式の場合は、そのタンクそのものの老朽化などが原因としてあげられる。ただ、配管の劣化による赤水は滅多にないし、ここは一軒家を増築したものであるから、貯水式のタンクがあるというわけでもない。結果、どこかで配管の工事があり、その際に土が混入したと考えるのが妥当であろう。
「あぁ、結構前になるけど、表の通りで水道管の工事をしていましたよ。沙織ちゃんにも赤水が出るかもしれないから――って伝えた覚えがあるから、あの頃はまだ沙織ちゃんも生きていたのねぇ」
葛西と江崎のやり取りに、寮母さんがぽつりと呟いた。それに対して、葛西の中で何かが閃いた。配管の工事が行われたのは沙織が死んでしまう前の話。それが事実だとすれば……。
葛西はトイレと風呂を仕切っていたアコーディオンカーテンを開けると、浴槽に足をかけてシャワーを手に取った。ノズルを浴槽のほうへと向けて蛇口を勢い良くひねる。最初こそ澄んだ水であったが、しばらくするとシャワーのノズルからも赤水が出てきた。薄い赤色に濁った水が、排水口に向かって渦を巻く。
「冷てぇ! たっちん、何してんだよ!」
跳ねた水がかかったのであろう。江崎が大げさに文句を垂れる。もはや葛西の足元だって、跳ねた赤水で濡れていた。それでも、葛西はこの事実に身動きを取れずにいたのだった。
「――おかしいんだよ。やっぱり、あの動画は根本的におかしいんだ」
ようやく蛇口を閉めてシャワーノズルを戻すと、濡れてしまった靴下を脱ぎつつ廊下に戻る。ユニットバスの中での二人のやり取りに、首を傾げる女性陣の姿があった。
「寮母さん、少し聞きたいことがあります。いつ表の通りで水道の工事があったのか、詳しく思い出せますか?」
葛西の剣幕に驚きつつ、少し困ったような顔をしながら寮母さんは視線を宙に投げる。
「えっと、いつだったかねぇ――。あぁ、もしかすると工事の事前通知がどこかにあったかもしれないわねぇ」
葛西は自分でも驚いてしまうほどの行動力を発揮していた。いいや、これほどまでに重要な手掛かりが見つかれば、誰だってこうなるであろう。
「それ、探してみて貰っていいですか? それと、ちょっと庭に入らせて貰います!」
葛西の独走には誰もついて来れない。玄関まで一気に廊下を駆け抜けると、靴もまともに履かずに外へと飛び出した。そして、家に沿ってあるものを探して歩いた。
「――あった」
平屋部分は後になってから増築されたものであり、その部屋毎にトイレと風呂がついているのならばと考えたのだが、どうやら葛西の思っていた通りの構造になっていたらしい。足元には水道メーターが埋め込まれていた。しかも、少し離れたところに並んでもうひとつ――。念のためにぐるりと家を一周して見て回ると、玄関脇にも同じものを見つけた。
家の敷地内に存在する複数の水道メーター。これが何を意味するかは明白だ。つまり、一軒家と寮の水道管はそれぞれ独立している。恐らく、一軒家は一軒家で、そして寮として使用する部屋は、それぞれの部屋で水道管が独立しているのである。アパートメントのようになっているのだ。これが果たして何を意味するのか――。実はとんでもない事実を如実に映し出すことになる。ある意味、重要な証拠であると言ってもいい。
葛西はスマートフォンを取り出し、それぞれの水道メーターを写真に収めて回る。はたと思い立って、手にしていたスマートフォンで江崎へと電話をかけた。
「たっちん、急に飛び出してどうしたんだよ?」
「しょーやん、ユニットバスの中の写真を撮っておいて欲しいんだ。赤水が出ているのが分かるように撮って貰えるとありがたい」
江崎の質問には答えずに、とにかく優先すべきことだけに集中する葛西。本当ならば全て説明すべきなのであろうが、それは証拠を確保してからだ。これらの証拠は、ある事実を根底から否定する材料になる。それを否定したところで大きく事件が動くわけではないだろうが、かと言って見逃していいほど小さいことでもない。
「いや、別に構わないけどよ。こんなもの撮ってどうすんだよ?」
「後で説明するよ。とにかく写真を撮っておいて欲しいんだよ。俺も今からそっちに戻る」
後は工事が行われた日がいつなのかを証明することができれば、この大きな矛盾を形として立証することができる。その矛盾の先にどんな答えがあるのかは、葛西にだって分からない。けれども、今とは全く違った答えが見えてくるはずだ。
葛西が戻ると、ちょうど寮母さんと鉢合わせになった。寮母さんは葛西の姿を見ると、手に持っていた紙を差し出してきた。
「工事の案内――ありましたよ。これを見て思い出したけど、工事があったのは沙織ちゃんが亡くなる日のお昼だったのねぇ」
寂しそうに呟いた寮母さんに「これ、ちょっと貸して貰えませんか?」と言う葛西。きっと寮母さんの目から見れば、葛西は幼馴染の死すら悲しむことのできない非情な人間に映っていることだろう。
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