第5章 忘れ形見 第1話

【1】


 授業が月曜日から再開されると知ったのは土曜日の朝のことだった。この日は沙織が住んでいた寮の片付けを手伝うことになっており、朝早く起きて支度をしている際に、電話が鳴ったのであった。


 電話に出たのは父だったのだが、授業再開のお知らせと一緒に、学校側から注意喚起を受けたそうだ。朝食のテーブルを囲みながら父から話を聞いた。


 月曜日から授業が再開されるが、例のごとく朝は全校集会が行われる。その後、授業は行なうものの、午前放課となるそうだ。この辺りは様子を見ながら通常授業に戻して行こうという学校の思惑が垣間見える。


 それと、希望する者には医師によるカウンセリングを行うとのこと。短期間で数十人の生徒が亡くなるという異常事態に、学校側が措置をとったのであろう。とりあえず葛西は平気であるが、生徒の中には精神的に参っている生徒もいるかもしれない。気が利いているといえよう。


 最後に――これこそが学校側が本当に注意喚起したかったことだろう。マスコミ関係者には関与するなとのことだった。


 沙織の死から始まり、野球部の事故、そして遼子の死と、死の連鎖が続いている海見灘高校に、マスコミが目をつけているようだった。ちょっとだけ覗いたネットの掲示板では、これらは全て連続殺人ではないのかという声もちらほらと見受けられる。まだ、テレビでそのような形で取り上げられたことはないのだが、それも時間の問題なのかもしれない。これが連続殺人だとしたら、ミステリアスで謎多き事件となるだろうから。


 イエローヘッズの日野からは、まだ連絡がない。急かすつもりはないが、もう数日様子を見て連絡がなかったら、こちらから連絡をしたほうがいいだろう。


 様々なことを考えつつ朝食を食べ、着替えを済ませて家を出た。学校に向かう時とほぼ同じような時刻だった。その足で江崎達との待ち合わせ場所である富々へと向かった。


 富々の前で江崎と佳代子に合流し、学校に向かって歩き出した。今日は珍しく晴れ、雲ひとつない真っ青な空が広がっている。セミの鳴き声に合わせて、穏やかな波の音がアクセントを加えていた。


 沙織が住んでいた寮は、高校の近くにある。そこでおばさん――沙織の母親と待ち合わせをしていた。沙織の部屋の片付けを手伝う名目であるが、それでも女子の部屋に入るというのは、少し緊張してしまうものだ。幼馴染だからといっても、きっと佳代子の部屋に入る時だって、妙な緊張感があるに違いない。


 学校の寮といっても、進学校でもなければ名門校でもない田舎の高校だ。家から通っている生徒が大半であり、むしろ沙織のように寮に入っている人間のほう珍しい。よって、その寮の規模も小さい。アパートメントのような外観ではなく、一軒家に平屋をくっつけたような奇妙な形をしている。


 寮母さんはいるものの、食事の世話をすることくらいしかせず、どちらかと言えば寮というより下宿に近い――とは、沙織から前に聞いた話だった。


 もちろん、葛西達は寮の場所を知っていた。学校と目と鼻の先であるというのに、そこでわざわざ沙織が待っていて、一緒に学校へと通っていたのだから。


 ゆるい坂道を上ると、寮が見えてくる。ふと、寮の前で沙織が待っているような気がした。いつものように鞄をぶら下げながら、今か今かと葛西達を待ち続けている。それが幻覚であることに気付いて、葛西は溜め息を漏らした。寮の前で待っていたのは沙織ではなく、その母親だった。


「おはようございます」


 葛西が声をかけると、おばさんはこちらに向かって会釈をひとつ。


「三人共、今日はわざわざありがとうね。本当に助かるわ」


 ほんの数日間会っていないだけなのに、また痩せこけたように見えた。葛西からすれば、おばさんの心労は計り知れなかった。


「いいんだよ。俺達も好きでやるんだから」


 江崎が言うと、佳代子が同意するかのごとく大きく頷いた。


「私達、さおりんの幼馴染だもん。これくらいのことはやらせて」


 江崎と佳代子の言葉がきっかけだったのか。それとも娘と仲の良かった三人を見て、娘のことを思い出してしまったのか。おばさんは葛西達にばれないように鼻をすすった。もっとも、ばればれであるが。


「それじゃあ、まず寮母さんに挨拶してくるから、ちょっと待っててね」


 おばさんは無理矢理に笑顔を作って、一軒家のインターフォンを鳴らした。中から「はーい!」と軽快な声が返ってきて、パタパタとスリッパの音が近づいてくる。玄関のすりガラスにシルエットが浮かび上がった。


 出てきたのは白髪の混じった初老の女性だった。随分と小柄で大きな目が特徴的だ。


「板場さん。この度は娘がお世話になりました。――荷物のほうを引き取りに伺ったのですが」


 おばさんの背中越しに葛西達は会釈をする。板場と呼ばれた初老の女性は、おばさんの手前上、笑顔も浮かべることもできずに、実に中途半端な表情で会釈を返してくれた。


「……この度はとんだことになってしまって。良い子だったのに、どうしてあんなことを――。心中をお察しします」


 寮母さんは切なそうな表情を見せながら、おばさんに向かって深々と頭を下げた。おばさんは無言で頭を下げる。このようなやり取りも見慣れてしまったものだった。近頃になって立て続けに葬儀に出たから当然なのかもしれない。


「それでは、始めさせて貰います。あぁ、この子達は娘の幼馴染でして、今日のお手伝いに来てくれたんです」


 長い沈黙――というか、頭を下げたままの黙祷が終わると、おばさんは片付けを始める旨を寮母さんに告げる。ついでに葛西達のことも紹介され、またしても葛西達は寮母さんと会釈を交わした。


 学生寮といっても、玄関は一軒家と共通であり、おばさんを先頭に葛西達は玄関で靴を脱ぎ、そして家の中へと上がり込む。寮母さんは「何か必要なものがあれば声をかけてね」と言い、家の奥へと引っ込んだ。


 玄関から左に折れ、渡り廊下を進む。廊下は奥のほうでどん詰まりになっており、その途中には、木製の比較的新しい扉がふたつほど並んでいた。この辺りが増築された平屋の部分であり、扉の向こうが寮生の部屋になるのだろう。もっとも、寮に入っていたのは沙織だけのようだったし、もう片方の部屋は使用されていないようだが。


 廊下の奥に見える扉の前までたどり着くと、おばさんはズボンのポケットから鍵を取り出した。時代の流れなのか、寮という名の下宿であっても、それぞれの部屋に鍵がつけられているようだった。おばさんが扉に鍵を差し込んで回すと、カチリという音が廊下に鳴り響いた。


 ここが沙織の家――。彼女が最期を迎えた部屋だ。おばさんが部屋の扉を開くと、いつも沙織がつけていた香水の匂いが、ふわりと漂った。本人はとっくにこの世から去っているというのに、そこには確かに沙織が生きていた痕跡が残されていた。ひょっこりと沙織が姿を現してもおかしくない。そう思えるほど、そこには生活感があった。ほんの少しばかり留守にしているだけだと思えてしまうほどに。


 部屋は思っていた以上に、アパートメントのそれを模したものになっていた。間取りは六畳一間のようであり、キッチンはついていないものの、ユニットバスがついているようだ。居間へと続く細い廊下の右手に扉があり、ご丁寧に『トイレ・風呂』と書かれたプレートが貼り付けられている。


「ダンボールは事前に運び込んであるから、手分けして荷物を詰めましょう。家具はほとんど据え付けらしいから構わなくてもいいみたい」

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