第6話
「たっちん、かぁこのことを頼むな!」
多勢に無勢という状況であるにも関わらず、そう言ってニタリと笑みを浮かべた江崎。佳代子のことを守ってやれという意味であろう。言われなくとも、そんなことは分かっている。葛西はすでに、佳代子の盾になるかのごとく、彼女の前に出て両手を広げていた。
「この感覚――ひっさしぶりだなぁ!」
江崎は身を低くすると、襲いかかる男の一人の足を払い、転倒をしたところにカカトを落とす。低い声を絞り出した男を尻目に、すぐさま身を
「なんだよ、こいつ……」
数で圧倒的に上回っていたはずのイエローヘッズであるが、瞬く間に三人が地面へと手をついたことで、少し怖気づいたようだ。江崎から離れるように間合いを取る。まだ数では彼らが有利ではあるが、江崎の慣れた動きに本能的な何かを感じ取ったのかもしれなかった。
「なんだよって失礼な話だなぁ。いいからさっさとかかってこいよ。でなきゃ、こっちから行くぜ」
場慣れした江崎から漂うは、全く焦りを感じさせない余裕の風格。本来、人間の大半が喧嘩という行為に馴染みがないのだが、中学時代に喧嘩ばかりしていた江崎からすれば、それは日々のルーティンのようなもの。虚勢を張っているだけのイエローヘッズとは、そもそも踏んできた場数が違うのだ。
「てめぇ――舐めんなよ!」
イエローヘッズの名を背負っている男達も、江崎に挑発されて黙ってはいられない。半ばやけくそになって、二人がいっぺんに江崎へと襲いかかった。だが、結果は火を見るよりも明らか。繰り出された拳をかわすと、次々と攻撃を浴びせ、一瞬で二人をノックアウトした。その鮮やかな身のこなしは、不覚ながら見とれてしまうほどだった。
「群れたがる奴ってのは、一人じゃなんにもできねぇ雑魚って相場が決まってんだよ。イエローヘッズも大したことねぇなぁ」
気が付けば、その場にいたイエローヘッズのメンバー全員が地に伏していた。江崎の圧倒的な強さに、再び立ち上がろうとする者もいなかった。葛西と佳代子もまた、まじまじと目の当たりにする江崎の一面に言葉を失っていた。
「おい、バンダナ。これで分かったよな? 浦沢沙織のことについて知っていることがあるなら、話して貰おうか」
バンダナの男の前にしゃがみ込むと、バンダナの結び目を掴んで男の顔を持ち上げる江崎。これだけの人数が、たった一人にやられてしまうとは夢にも思っていなかったのであろう。バンダナの男は「ひっ!」と情けない声を上げた。虚勢を張っている人間の本性などこんなものだ。強いから群れるのではなく、弱いからこそ群れるのだから。
他の連中は、そのままやられたふりをしているように見えた。息をじっと潜め、自分のところに江崎の気が向かないよう、必死に努力をしているようだ。
「おい、質問に答えろ。何か知ってんだろ?」
表情を強張らせたまま固まっているバンダナの男に対し、江崎がやや強めの口調を見せた。しばらくすると、バンダナの男は首を小さく横に振った。
「し、知りません――。そんな名前、聞いたこともない」
力関係は完全に江崎のほうが上だと思い知ったのであろう。声を震わせながら答えるバンダナの男に、江崎はさらに追い討ちをかける。
「知らねぇわけがねぇだろ? さおりんとイエローヘッズに関係があることは分かってんだよ。しらばっくれるつもりなら、分かってるよな?」
脅迫のような江崎の剣幕に、葛西はとうとう仲裁に入った。さっきまでの勢いは完全に消え失せ、小動物のように震えるバンダナの男が、流石に
「しょーやん、どうやら本当に知らないみたいだ。もう、彼らは戦意を喪失しているし、無駄な暴力を振るう必要はない」
江崎に向かってそう言うと、葛西は「立てるか?」と、バンダナの男に手を差しのべる。そんな葛西の行動に戸惑いを見せたバンダナの男だったが、力なく「あぁ――」と答えて、その手を掴んだ。そのタイミングを待っていたかのごとく、倒れたふりをしていた連中も起き上がり始める。
「改めて問いたい。この中で浦沢沙織という名前を聞いたことがある人はいないだろうか? 重要なことなんだ。答えて欲しい」
バンダナの男は沙織のことを知らないと言った。この中では格が上の立場であろうバンダナの男が知らないのなら、他の連中も知らないのかもしれない。そう思い、駄目元で問うてみた葛西であるが、やはり駄目だと思っていても聞いてみるものである。イエローヘッズのメンバーの一人が、おずおずと手を上げた。年齢は葛西達よりも下に見える、童顔の男――いや、少年だった。
「ヘッドが電話をしている時に、そんな名前を口にしたような気がする――」
ヘッド――とは、このイエローヘッズを束ねるリーダーのことを指しているのであろう。そのリーダーが沙織の件を何か知っているようだ。
「そのヘッドとやらはどこにいる?」
喧嘩をしたせいで興奮冷めやらぬといった具合の江崎。圧倒的な強さを見せた後だからなのか、イエローヘッズの連中が、心なしか半歩ほど後退ったような気がした。
「今はここにいません――。たまにふらりと顔を出しにくることがほとんどで」
童顔の男が、相変わらず小動物のように、小さく首を横に振る。その仕草は、まるでミーアキャットだ。
「しょーやんは知らないのか? ここのヘッドが誰なのか」
葛西が問うと、江崎は小さく舌打ちをする。喧嘩までしたというのに、すんなりと情報が入ってこないことに苛立ちを感じているかもしれない。
「俺が知っていた頃から代がわりしてるだろうからなぁ。今のイエローヘッズのヘッドなんて知らねぇよ」
このまま江崎に任せると、イエローヘッズの彼らが怯えてしまって、聞き出せる情報も聞き出せないかもしれない。そう考えた葛西は江崎の前に出て「ここは俺に任せてくれ」と漏らした。江崎の苛立ちも分からないわけではないが、ここで感情的になったところで得にはならない。冷静に話し合う必要がある。
「今すぐにとは言わない。できることならば、ここのヘッドに会って話を聞きたいんだ。勝手なことを言っているのは分かる。でも、どうか力を貸して欲しい。頼む――」
そう言うと、葛西はイエローヘッズのメンバーに向かって頭を下げた。――こんな連中に頭を下げてやる必要はない。江崎の舌打ちがそう言っているように思えた。しかし、根本的なものは暴力や力関係で解決しないのだ。こちらが情報の提供を求めるのであれば、それなりの誠意を見せるべきだ。
「……分かった。ヘッドには俺から話を通してみる。少し気難しい人だから、あまり期待はしないでくれ」
喧嘩に負けたのはイエローヘッズ側であるのに、それでも葛西が下手に出て誠意を示したからであろう。バンダナの男が呟き、ポケットからスマートフォンを取り出した。そのスマートフォンの画面は、喧嘩のせいかヒビが入ってしまっていた。バンダナの男が舌打ちをぐっと堪えたように見えた。
「そっちの連絡先を教えてくれ。ヘッドと話がついたら連絡する」
「ありがとう。感謝するよ」
こうして、葛西が代表して、バンダナの男と電話番号を交換する。江崎が叩きのめしてやったことが、彼らを協力的にしたのであろうが、なんとなく彼らも根は悪い人間ではないのだなと思った。まぁ、ごくごく身近に、悪さをしておきながら根が悪いわけではないお手本がいるから、そう思えるのかもしれないが。
「君の名前は?」
電話番号を交換すると、スマートフォンを弄りながらバンダナの男に問う葛西。一方、ちらりと江崎を
「俺は電話帳にフルネームで登録する主義なんだよ。なんなら、こっちが先に自己紹介しようか? 俺は葛西匡という」
あちらが口を開きたくないのであれば、こちらから口を開いてやればいい。ここまで江崎にこてんぱんにされてしまったのだから、名前を明かしたところで報復はされないだろう。彼らだって馬鹿ではないから、ここまで徹底的にやられたことを、仲間に報告することは恥じるであろうし、ましてやヘッドとやらの耳にまで入ることはない。
「日野――。
バンダナの男こと日野は、仕方なしといった具合で呟いた。先に葛西が名前を明かしておきながら、それでも自分の名を明かさないのは卑怯だと思ったのであろう。
「そうか、その名前で電話帳に登録しておくよ」
とりあえず電話番号の交換はできた。後は日野に任せて、ヘッドとやらに話を通して貰うだけだ。ここに長居する必要はない。他のメンバーが、ここにやってくる恐れもあるのだから。そうなったら面倒だ。
「お前達の名誉のために、このことは無かったことにしてやるよ。たかだか一人の高校生にボコられたなんて話が広がったら面倒だろ?」
江崎がそう言うと、日野は「そうして貰えると助かります」と、なぜだか敬語で返してきた。完全に彼の中では、力関係が築かれてしまったらしい。日野の変わり身の速さには恐れ入る。
江崎があえてこう言ったのは、それが自衛にもなるからであろう。街にそんな噂が広がってしまえば、イエローヘッズも面子を保つために報復を考える。失態をさらしてしまった日野達も制裁を受けるかもしれないし、今回のことは無かったことにしてしまったほうがお互いのためになるのだ。
「――そろそろ行こうか」
目的が達成できたわけではないが、とりあえずのとっかかりを作ることはできた。佳代子と江崎が頷き、見送ろうにも見送れないといった様子の日野達に対して背を向けた。
廃工場を出ると、それを見計らっていたかのように大粒の雨が落ち始めた。葛西は空を見上げ、どんよりとした空を眺めると、大きな安堵の溜め息を漏らしたのであった。
正直を言うと怖かった。だが、これで一歩前進である――。
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