第10話

 こじつけて考えすぎだ。たかだか二文字程度の短文メールにさえ、お悔やみ様を連想してしまうとは、自分で思っている以上に敏感になってしまっているらしい。幼い頃から聞かされてきた、お悔やみ様の存在は大きいということか。子供に言うことを聞かせるための、典型的な昔話だというのに――。


 遼子からのメールは返ってこない。なんだか、やきもきとしてしまう。何を考えて、遼子はこんなメールを送ってきたのか。何を伝えたいのか。さっぱり分からなかった。頭の回転が早い葛西でさえ、このメールには首を傾げることだろう。


 スマートフォンの画面を確認しては、動きがないことにテレビへと視線を移し、またしばらくするとにスマートフォンの画面を確認する――。どれだけ、そのようなことを繰り返しただろうか。うんともすんとも言わないスマートフォンに苛立ちを覚え、半ば無意識に煙草へと手を伸ばした時のことだった。


 開けっ放しだった窓から、波の音に混じって甲高いサイレンのようなものが聞こえた。救急車のサイレンだ。そのサイレンは、この町にまとわりつくかのごとく、小さい音ながらも徐々にその存在を大きなものにしていく。耳を澄ましていなければ、波音にかき消されてしまうほどの小さな音なのに。


 この町で、こんな時間に救急車とは珍しい。日常茶飯事のように救急車が走り回っている都会とは違い、市街地から離れた田舎の町の人間からすれば、滅多に聞くことのない音だった。


 いつもならば、よほどの近所でもない限り野次馬根性など出ないだろう。しかし、今回ばかりは妙に救急車の音が耳につく。残響であるかのように、江崎の耳の中で延々と響いていた。


 ふっと救急車の音が止まった。それと同時にメールの着信。絶妙なタイミングでの着信に、江崎は思わず飛び上がりそうになってしまった。中学時代に不良で通していた男が、メールの着信音で飛び上がるとは情けない。


 ――今度は間違いなく、背筋に冷水がたれたかのごとく悪寒が走った。一気に体中に広がるようなものではなく、じわじわと広がるような寒気だった。


『程島遼子さんのことは残念でした。お悔やみを申し上げます 浦沢沙織』


 メールの送信主は――あの時と全く同じアドレス。お悔やみ様をローマ字にしたフリーメールだった。まただ。またお悔やみ様からのメールが送られてきたのである。


 メール画面が勝手に着信画面に切り替わる。葛西からの着信だ。きっと、お悔やみ様からのメールを見て連絡を入れてきたのだろう。


「しょーやん! メールが届いてるよな?」


 江崎が電話に出るや否や、真っ先にメールの件を口にする葛西。やはり、それ以外に電話をかけてくる理由などないだろう。


「あぁ、今度は程島ってことか?」


 やけに冷静だった。昼間にやり取りをしたばかりの――ほんの少しだけ自分を認めてくれた程島が、お悔やみ様の毒牙にかけられたかもしれない。なのに、どうにも現実感というものが湧いてこなかった。つい数時間、コンビニの前で言葉を交わした程島が死んだなんて信じたくなかったし、あってはならないことだと思った。


「分からない。分からないが、家から救急車の赤色灯が見えるんだ。位置的に考えて学校のほうみたいだ。なんだか嫌な予感がする――。しょーやん、今から出れないか?」


 その言葉を受けて、江崎は自分の部屋を出て向かいの部屋へと入つた。江崎の部屋は海側に面しているため、学校方面を確認することができない。物置に使っている真向かいの部屋ならば、窓から学校方面が確認できると考えた。


 男二人の暮らしだから、物置も邪魔なものを無造作に積み上げただけのものになっている。荷物と荷物の間をぬって窓までたどり着くと、磨りガラスの向こうに薄っすらと赤色灯らしき明かりが滲んでいた。


 窓を開ける。赤色灯の明かりは町の高い位置で、自身の存在をアピールするかのごとく回っているようだった。学校は町の高いところに位置している。葛西が言っていることもあながち間違ってはいないだろう。


「分かった。今から出るわ」


 江崎は葛西と待ち合わせ場所を決め、居間で爆睡している親父を尻目に家を飛び出した。向かう場所が向かう場所であるためバイクには乗らず、いつも通っている通学路を駆け出した。


 待ち合わせ場所に向かうと、すでに葛西と佳代子が待っていた。お互いに頷き合うと、学校に向かってひたすらに走った。夜空を占める赤色灯の割合が、学校に近付くにつれて大きくなっていく。やはり葛西が睨んだ通り、学校で何かが起きたようだ。


 校門の前には近所の人達であろう。野次馬で垣根ができていた。立ち入り禁止のテープなどは張られていないが、校門から中に入ろうとする者はいないようである。救急車は玄関先まで乗り入れており、救急隊員が植え込みの辺りでせわしなく動いている。江崎達を含む野次馬は、校門の外からそれを眺めることしかできない。


 連日の葬儀のせいで、まだ学校で打ち合わせでもしていたのであろう。玄関では教師陣が、江崎達と同じく金縛りに遭っていた。中からの逆光のせいで顔までは見えないが、ほとんどの教師が集まっていたようである。


 救急隊員が担架を持ち上げる。そこから血にまみれた白い手がだらりと下がり、救急隊員が慌ててそれを担架の中へと仕舞う。遠目に見ていても、担架に乗せられた人間が生きているとは思えなかった。


 教師の誰かが付き添いとして救急車に乗り込むと、けたたましくサイレンが辺りに響く。校門を塞ぐようにして集まっていた野次馬達が道を開けた。その野次馬に混じりながらも、江崎は遼子から送られてきたメールに不吉なものを抱いていた。彼女から送られてきた短文のメール。あれは何を意味していたのか。いいや、そもそも救急車に運び込まれたのは遼子なのか――。


 救急車を見送ると、誰が言い出したでもなく野次馬達が、ぞろぞろと散り始める。退屈な日常にエッセンスを加えるような非日常的な出来事。彼らはそれを少しでも堪能できれば満足なのだ。非日常的なことが連鎖している江崎達とは違って呑気なものである。


「先生達に話を聞こう」


 葛西はそう呟くと、野次馬達とは逆方向――校門の中に向かって足を踏み出した。


 一体何が起きたのか。遠目で見ていた限りで分かることは、誰かが救急車で搬送されたということだけ。どうしてこのようなことになったのかは不明のままである。ならば玄関先の教師達に話を聞けばいい。それが合理的であることは分かっていたが、江崎は思わず引き止めた。


「やめとけって。どうせ何も教えちゃくれねぇだろうよ」


「でも、糸井先生なら教えてくれるかもしれないだろ?」


 肩を掴んだ江崎の手を振り払い、葛西はずかずかと正面玄関へと向かう。仕方なく江崎も葛西に続いた。植え込みのほうをちらちらと伺っていた佳代子が「またお悔やみ様なの?」と呟き落とす。それはあえて無視をした。


 こちらの姿に気付いたのであろう。逆光に照らされた教師陣の影のひとつが動き、江崎達のほうへと向かって歩いてくる。思わず江崎は舌打ちをした。――関谷だ。


「貴様ら、こんな時間に何をしてる? 高校生が出歩いていい時間じゃないだろうが!」


 馬鹿のひとつ覚えみたいに声を荒げる関谷に、江崎は溜め息を漏らした。凄みさえすれば生徒が萎縮すると思ったら大間違いだ。


「関谷先生。何があったんですか?」

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