第9話

 沙織が自殺した原因は、実の母親であるおばさんですら分からない。ただ、おばさんの元へと届いたメールと、江崎達の元へと届いたメールを照らし合わせて考えると、沙織が自殺した日に何かがあったことは間違いなさそうだ。沙織の部屋にも、その痕跡が何かしら残されているかもしれない。


 週末の予定を決めると、それを見計らったかのように、おばさんのスマートフォンが鳴った。おばさんは「ごめんなさいね」と断りを入れると、部屋の外へと出た。扉の向こうからは、おばさんの真剣そうな相槌が聞こえてくる。しばらくした後、おばさんがスマートフォンを片手に戻ってきた。


「みんな、せっかく来て貰って悪いんだけど、ちょっと仕事でトラブルがあったみたい。職場から呼び出しを受けちゃった」


 おばさんはそう言うと、ちらりと壁掛け時計に視線を移した。まだバスも電車も辛うじて動いている時間だった。


 おばさんも責任のある立場なのであろうが、娘の死から時間が経っていないのだ。職場もおばさんの気持ちを少しは汲んでやってもいいものを――。


「大変ですね……」


 葛西がおばさんに同情するかのように呟き落とす。おばさんは、あくせくと化粧道具を引っ張り出しながら「本当にね」と、苦笑いを浮かべた。


「準備が終わるまで待っててくれれば、駅まで送るけど」


 おばさんの申し出はありがたかったが、生憎なことに江崎は近くまでバイクで来ている。葛西が口を開く前に、さっさと江崎は口を開いてしまった。


「いや、大変そうだからいいよ。おばさんもあんまり無理はするなよ」


 もう少し話を聞きたげな葛西を尻目に立ち上がる。こんな形でお開きになってしまうのは残念だが、週末の予定を取り付けただけでも御の字だと言えよう。


「それじゃあ、おばさん。また連絡します」


 江崎が立ち上がったのにつられて、葛西が仕方なさそうに立ち上がった。江崎が近場までバイクでやって来なければ、おばさんに送って貰えたものを――。送って貰えるということは、車中で話をする時間があったかもしれないのに。きっと葛西の胸中には、そのような文言が浮かんでいることであろう。いまだにコーヒーを半分ほど残していた佳代子も、慌ててそれを飲み干して立ち上がった。


「えぇ、ばたばたしちゃってごめんなさいね」


 おばさんの申し訳なさそうな表情に、もう一度「それじゃあ」と江崎が返して、三人はおばさんの家を後にした。外はすっかり雨が上がっていたが、気持ちの悪い生温かい空気がよどんでいた。


 街灯の明かりを頼りにコンビニまで向かい、そこで江崎は葛西達と別れることになる。これから葛西達はバスに乗り、そして電車に乗って帰らねばならない。どこか後ろめたいものがあったから、せめて駅までは送ってやりたいのだが、残念なことに予備のヘルメットを積んでいなかった。


「それじゃ、気を付けて帰れよ」


 江崎はバイクにまたがると、ヘルメットをかぶる。


「そっちこそ、路面が濡れているだろうから気を付けて帰るんだぞ。事故なんて起こしたら停学どころの騒ぎじゃないかもしれないんだから」


 葛西が呆れたかのように漏らす。学校で認められているのは原付バイクの免許までで、乗るにも学校の許可が必要だ。それ以上のバイクに、しかも学校の許可なしに乗っているからこそ、葛西は心配しているのであろう。


「大丈夫だって。安全運転で帰るからよ」


 江崎がそう返すと、葛西は念を押すかのように「自分が気を付けていても事故は起きるものだ」と忠告をし、コンビニのほうへと視線を移した。バスの時間までコンビニで時間を潰すつもりなのであろう。


「しょーやん、またね……」


 佳代子がそう言って手を振り、江崎は手を上げて応えると、スロットルを回した。コンビニの明かりが瞬く間に小さくなっていく。こんな便利な乗り物を、どうして学校側は敵視するのであろうか。


 大通りから細い路地、細い路地から別の通りと、知っている限りの近道を駆使して自宅へと向かう。バスや電車の都合上、きっと葛西達より先に地元へと戻れたであろう。それでも、自宅に到着するまで30分はかかったであろうか。バイクを家の脇の車庫の中に仕舞うと、江崎は家の中へと入った。


 親父と二人で住むにしては広すぎる一軒家。居間に顔を出すと、すでに親父は大の字でいびきをかいていた。漁師であるがゆえに生活リズムが江崎とはズレているため、こんなことは日常茶飯事だった。扇風機が慌ただしく首を振っていた。


「こんなところで寝たら風邪ひくだろうが」


 部屋の隅にあったタオルケットを親父にかけてやると、江崎はテーブルの上にあった未開封の缶ビールを手に取って自室へと向かった。未成年の喫煙や飲酒は固く禁じられているが、悪さを散々してきた江崎からすれば、これが当たり前だった。


 部屋に戻ってビールを流し込み、テレビに流れるくだらない番組を眺めつつ、そろそろ風呂に入ろうかと考えていた頃のことだった。帰宅から一時間ほど経過していただろうか。


 ――江崎のスマートフォンがメールの着信を知らせた。


 蒸し暑い部屋の中にいるのに背筋がぞくりとした。単なるメールの着信に、どうしてこんなにも敏感にならねばならないのだろうか。葛西や佳代子からのメールかもしれないし、どうにもくだらない迷惑メールかもしれないのに。


 開けっ放しにした窓からは、塩辛い風に乗って波の音が聞こえる。雨は上がっているものの、海は随分と時化ているようだ。薄暗い部屋の明かりが、なんだかとても不気味に思えた。広い家に親父と二人で暮らしているためか、静寂がやけに耳に痛い。独壇場を飾るテレビの音さえも、メールの着信音が異質なものへと変えてしまっていた。


「――何をビビってんだか」


 江崎は自身をあざけるかのごとく呟くと、テーブルの上に置いていたスマートフォンに手を伸ばす。クーラーさえ無いし、小さなテレビしかない江崎の部屋の中で最新の文明の利器とも言えるスマートフォン。日本の通信事情を一変させた立役者は、果たして何を江崎へと知らせたいのか。またしても、お悔やみ様からのメッセージなのだろうか。


 正直、スマートフォンの画面を見てほっとしてしまった。お悔やみ様のメールアドレスが表示されていないことに安心した自分がいた。そこには無機質なメールアドレスではなく、昼間に登録したばかりの遼子の名前が表示されている。


「程島――。こんな時間に何の用だ?」


 クラスメイトからのメールというのは、どこかこそばゆいような気がした。普段、メールのやり取りをするのは葛西と佳代子だけであるため、なんだか自分の知らない世界からのメッセージのように感じられた。まぁ、とどのつまり、世の中の男というものは女性からメールを頂ければ嫌な気はしないというものだ。佳代子は幼馴染が定着しているがゆえに、メールが来ても何とも思わないが。


 メール画面を開いた江崎は、しかしその文面に思わず首を傾げた。外見からして、いかにも絵文字やらが好きそうなタイプかと思っていたが、その内容は実に淡白――いいや、淡白というより、メールとして本文が成り立っていなかった。


『――おく』


 ただ二文字。たったの二文字。まるで書きかけのようなメールの本文は、しかしそれで良しとされ、江崎へと送信されたようだった。


「はぁ? なんだよこれ?」


 江崎はスマートフォンの画面上に指を躍らせ、遼子に『なんだよこれ?』と、呟いた通りの文面を返信する。その際、ふと嫌な予感がして、慌てて首を横に振った。


「おく――やみ様。まさかな」

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