第5話

 江崎が主にしているアルバイトは、漁師である父親の手伝いだ。親子間で契約を結び、ちゃんと時間給という形でお金を貰っている。ただ、この時期は天候が不安定であるため、漁に出たくとも出られないことも多々ある。今日も明日も漁に出でるなんて言い出さないだろう。そもそも気の向いた時にしか手伝わないのだから関係ないが。


「そうか。だったら今日の夜は空けておいて欲しい。この前、沙織のおばさんに送ってあったメールが返ってきたんだ。今夜なら、少し時間が作れるそうだ。逆に土日は駄目らしい。ありがたい予定変更だな」


 どうやら沙織の母親と連絡が取れたようだ。ばたばたとしているから、もしかすると今週末でさえ無理かと思っていたのだが、そこは上手い具合に時間を作ってくれたらしい。それは娘の幼馴染達だからこそかもしれないが。


「随分早かったな。まぁ、分かった。俺も俺で、たっちんに見せたいものがあるし、ちょうどいいわ」


 遼子が解析した動画を葛西に見せたかったし、沙織の母親にも話を聞くことができる。一石二鳥だ。


「俺に見せたいもの? とにかく、おばさんはこの伊波市に住んでいるし、今日は現地解散だ。どこかで落ち合って時間を潰してから、おばさんのところに向かおう」


 葛西と打ち合わせ、集合場所をファーストフード店に決めると、江崎は電話を切った。雨はいつしか土砂降りへと変わっていた。


 ――沙織の家庭は、色々と複雑である。それこそ片親である江崎の家庭よりも、遥かに複雑だ。


 沙織の両親が離婚したのは、江崎達が小学校高学年の頃だったと思う。江崎の母親が事故に遭う前だったと記憶している。原因は父親による家庭内暴力だったらしい。うっすらと残っている記憶では、沙織の父親はいつもニコニコしていて、とても家庭内暴力を振るうような人間には見えなかったのであるが、単に外面が良かっただけだろう――とは、江崎の父親の弁だ。近所同士で集まっていた両親達には、もしかすると沙織の家庭の不調和が見えていたのかもしれない。


 なんにせよ、父親の実家が凪町にあるため、母親が家を出るという形で離婚は成立。金銭的な都合で、沙織は父親のほうに引き取られた。この辺りのことは詳しく分からないが、どうやら父親のほうが養育費の支払いを拒否したことで、母親のほうが泣く泣く親権を諦めたらしい。


 こうして、母親がいないということ以外は、何ひとつ変わらない生活が始まった沙織であったが、時が経つにつれて体の目立たないところにアザを作るようになった。それに気付いたのは中学三年生くらいの話だったか。確か、同居していた祖母が亡くなった頃のことだと思う。


 勘の鋭い葛西が気付き、さりげなく本人を傷付けぬように話を聞き出すと、どうやら父親にやられたものらしかった。母親へと向けられていた矛先が、年月を経て沙織のほうへと向いてしまったのである。


 事態を重く見た葛西は、それぞれの親に相談してみることを提案した。離婚してからは世間体が気になったのか、集まりにもほとんど顔を出さなくなっていた沙織の父。それでも、かつては良好な付き合いをさせて貰っていた間柄だ。話を聞いた親達が直接話をしに行くことになった。


 金銭的に困っていることがあれば力を貸す。年頃の娘との接し方が分からないというのであれば、相談に乗る。悩みがあるなら幾らでも聞く――。玄関先でそのような話を出したらしいが、沙織の父親は家庭内暴力の事実を認めなかったそうだ。


 さて、どうしたものか――。そう頭を悩ませていた矢先、沙織の父親が蒸発してしまった。沙織を捨て、家を捨てて、女を作って家を出て行ってしまったらしい。離婚で母親と離れ、そして父親までをも沙織は失ってしまった。同居していた祖父母はすでに他界しており、沙織は独りになってしまった。


 無論、このことを葛西の父親達が放っておくわけがない。まず母親に連絡をとって事情を話した。だが、父親は蒸発したものの死んだわけではなく、あくまでも親権は父親側にある。その都合で簡単には引き取れないことが分かった。引き取るにも様々な手続きが必要だった。


 それでも母親と暮らすことを沙織に勧めたのであるが、それには本人が難色を示した。離婚の原因は父親にあっても、子供から見れば母親からも捨てられたようなものだ。事実、歩み寄ろうとする母親との距離のとりかたが分からないようだった。それは残念なことに、高校三年生になっても変わらなかった。


 まだ子供である沙織には自活能力がない。しかし、本人は母親との距離感に戸惑うばかりで、一緒に暮らしたがらない。そこで注目されたのが、地元高校の寮だった。幸いなことに海見灘高校には寮制度がある。無料というわけではないが、月々にかかる料金も割安らしい。そこならば寮母さんが食事の面倒を見てくれるし、少なくとも衣食住には困らない。


 結局、話はそこへと落ち着いた。沙織は高校に進学することさえ諦めていたようで、特に希望する高校もなかったらしく、寮制度があり、葛西達も一緒ならばということで、同じ高校を受験することになった。三年間の学費と生活費は原則として母親がもち、困窮するようならば葛西達の親が援助をするということに決まった。ちなみに、いまだに一度も援助要請がきたことはない。娘のために母親が必死に働いた賜物だ。


 沙織は実家を離れ、そして母親の元へと向かわず、地元の高校の寮に入った。そして現在にいたる――いいや、もはや過去のことか。


 沙織の母親は、現在実家を離れて一人暮らしをしていたはずだ。何かあった時のために連絡先と住所を江崎達は教えて貰っていた。もっとも、あちらの立場もあるから、こちらから訪ねたことはなかったのであるが。


 江崎は大粒の雨が落ちてくる空を見上げて舌打ちをひとつ。コンビニの傘立てにあった、誰のものか分からないビニール傘を手に取る。傘くらい盗んだって誰にもばれやしない。そんな、悪ガキの思考が働いた。


 傘をさして雨の街を歩き出した。街は色とりどりの色の傘が花を咲かせ、行き交う人は心なしか急いでいるように見えた。雨は強まる一方であり、バイクで帰ることは諦めたほうがいいかもしれない。帰る頃には晴れていてくれればありがたい。


 幾つもの傘とすれ違い、江崎はファーストフード店へとたどり着く。ハンバーガーをメインにした全国的なチェーン店だ。商品の単価も安く、学生の味方である。軒先で傘についた雨を払うと、乱暴に傘立てへと突っ込んだ。自分勝手なレンタル傘の返却をすると、肩についた雨粒を払って店の中へと入った。


 雨が降ったせいか、雨宿りがてらに寄った客で、店内は随分と混んでいた。その中から、すでに着席して待っていた葛西と佳代子の姿を見つけると、そちらのほうへと歩み寄る。江崎に気付いた葛西が軽く手を挙げた。江崎が来るまで何も食べずに待っていてくれたらしい。一言二言交わすと、三人で席を離れる。各々にカウンターで商品を注文し、トレイにのったそれらを持って席へと戻った。


「――それにしても、酷い雨だな」


 ハンバーガーの包み紙を開きながら、葛西がぽつりと呟き落とした。


「今年は梅雨が長引いてるらしいよぉ」


 そう言いながらシェイクに手を伸ばした佳代子は、なぜだか鼻声で目も真っ赤だ。恐らく、告別式で泣き腫らしたのであろう。江崎達とは別行動だったから、きっと同じクラスのマネージャーの告別式のほうへと行っていたと思われる。


「それで、おばさんは何て言ってたんだ?」


 今すぐにでも遼子から貰った解析動画を見せたったのであるが、まずは葛西の話を聞くことにする江崎。今の時間からおばさんの元へ向かうことはないだろうから、時間はたっぷりとある。動画の話を後回しにしても問題はないだろう。


「土日は沙織が住んでいた寮の片付けをするらしいから、今夜時間を作ってくれたらしい。納骨の前に、もう一度沙織に会って欲しいとも言ってたよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る