第8話

 とにもかくにも、今はそんな青春真っ只中の話題に触れている場合ではない。教室の中から漂う妙な空気と、明らかにマイナス方向の喧騒――。門番に道をゆずって貰った葛西達は、どこか胸騒ぎを覚えながら引き戸を開いた。もっとも、こんな状況で胸騒ぎを覚えないほうが無理な話だが。


 教室に入ると、クラスメイト達がそれぞれの場所に固まって、何やらざわめいていた。仲の良い者同士で集まり、ホームルームが始まるまで雑談に興じるのは見慣れた光景ではあるが、やはり今日ばかりは雰囲気がおかしかった。そして、葛西はいつもの教室と何かが異なっていることに気付く。列になって並んでいる幾つかの机の上に、コピー用紙のようなものが置かれていたのである。


「ちょっといいか?」


 葛西はクラスメイトの脇を縫って、その机のひとつに歩み寄った。机の上に置かれたコピー用紙には、土曜日の夜に見たものと同じく、不吉な文字が並んでいた。


 ――お悔やみ申し上げます。


 思わずコピー用紙を手に取ろうとして、それが机にぴったりと貼り付けられていることに気付く。随分と強力な接着剤で貼り付けられているのか、爪を立ててもはがれそうにもなかった。これと同じものが、ずらりと並ぶ机の列に並んで点在していたのである。


「これって、野球部の人達の机に貼り付けられているんじゃない?」


 辺りをぐるりと見回した佳代子が、その法則性に気付いたのか口を開く。葛西は改めて教室を見渡し、それぞれの席にクラスメイトを当てはめてみる。佳代子の言う通り、不吉な文字が書かれた紙は、野球部の部員とマネージャーの席へと貼り付けられているようだった。これが、花瓶に入った菊の花ならば、学校側の配慮として納得ができたであろう。けれども、野球部関係者の人間の机の上にあったのは、まるでお悔やみ様を模したかのような一文のみ。しかも、接着剤で貼り付けられているという悪質さでだ。


「野沢と委員長は、この痕跡を身体検査で見つけようとしたのか」


 コピー用紙は接着剤で貼り付けられている。ならば、これをやった犯人は、まだ接着剤を所持しているのではないか。あわよくば、同じようなコピー用紙を隠し持っているかもしれない――。そう考えた末に、彼らは身体検査を行うことにしたのであろう。


「胸糞悪いことをしやがるな……。また、お悔やみ様かよ」


 土曜日のメールのこともあってか、江崎が苛立った口調で漏らした。まるで死者を冒涜するかのような行為には、誰だっていい気分はしないであろう。葛西もまた例外ではなかった。


「お悔やみ様なんていないって言っただろ? これは人間の仕業だよ。そして、今の段階で、はっきりとしたことがひとつだけある」


 葛西は佳代子と江崎にだけ聞こえるように声をひそめた。野球部関係者の机に貼り付けられた、お悔やみ様からのメッセージ。先日のメールの一件は、まだ何とも言うことができないが、この事象だけに関しては断定できることがある。


「それは、この悪戯をやった人間が、三年一組の中にいる可能性が高いということだよ」


 クラスメイトの話題も、主に先日のメールの件と、今朝になって発覚した不吉な悪戯に集中しているようだった。これは一人一人のスマートフォンを調べる必要もないかもしれない。恐らく、あのメールは三年一組の人間に送られたものなのだ。他の学年やクラスを見に行ったわけではないから断言できないが、このような騒動が起きているのは三年一組だけのような気がする。もしも学校単位で発生しているのであれば、もっと騒ぎになっていてもおかしくはない。


「どうして、このクラスの奴の仕業ってことになるんだ? もしかしたら、他のクラスの連中がやったことかも知れねぇじゃん」


 葛西にならって声をひそめる江崎。佳代子も負けじと顔を近付けてくる。葛西達三人は、周りから見れば、かなり奇妙な形で密談をしているように見えたことであろう。もはや円陣を組まれていると思われてもおかしくはない距離関係だ。


「じゃあ、しょーやん。隣のクラスの席順を、全部覚えていたりするか? 同じくかぁこにも問う。隣のクラスのどこに誰の席があるのか、正確に言うことはできるか?」


 葛西の言葉に、江崎が小さく舌打ちをする。本人に悪気はないのであろうが、まったくもって悪い癖だ。


「そんなの分かる訳がねぇだろう」


「私、隣のクラスに遊びに行ったりはするけど、仲の良い子の席は分かっても、全部は分からないかなぁ」


 葛西の思惑通りの答えを出してくれた江崎と佳代子。これでもし、全部分かるとでも答えられたら困るのであるが、ごくごく一般的に考えて、隣のクラスの席順など、全て覚えているはずがない。覚えている人間がいるのだとすれば、よほどの物好きだ。


「じゃあ、このクラスの席順は?」


「てめぇのクラスなら、なんとなく分かる。たっちん、俺を馬鹿にしてんのか?」


 江崎は噛み付いてきたが、佳代子は葛西が言わんとしていることに気付いたらしい。はっとして辺りを見回すと、再び声をひそめた。


「このクラスの野球部関係者の席に、あの紙を貼り付けることができたのは、クラスの席順を把握している人間――。そして、クラスの席順を全部把握しているのは、このクラスで授業を受けている三年一組の人間になるってこと?」

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