第2章 お悔やみ様の祟り 第1話

【1】


 シャワーを浴び、体に絡みついていた湿気を洗い流すと、頭にタオルを乗っけてリビングへと向かう。いつもならば仕事から帰ってきた父がビールを片手に先に食事を始めている時間帯であるが、葛西はリビングに戻って驚いた。いつもとは空気が違うし、本来ならばいないはずの人が家のリビングにいた。シャワーを浴びている時、やけに玄関のほうが騒がしかったような気がしたが、どうやら気のせいではなかったようだ。


 土曜日の夜。普段ならば父と母――そして自分の三人しかおらず、広すぎるとさえ思うくらいのリビングが、やけに息苦しく感じられた。狐につままれた思いの葛西は、リビングの扉に手をかけたまま口を開く。


「かぁこ、しょーやん。それにおじさん達も……。一体、どうしたんだ?」


 リビングには佳代子と江崎に加え、それぞれの父親の姿があった。葛西の両親もそれに混じって、真剣な面持ちでテレビへと見入っている。江崎がふっと葛西のほうへと視線を移し「長ぇ風呂だなぁ。女子か」と漏らした。佳代子と江崎、それぞれの父親も部屋着でラフな格好であり、着の身着のままやって来たという印象を受けた。こんな時分にどうしたのであろうか。


「たっちん、テレビ――」


 葛西の疑問に答えるかのように、佳代子の親父さんが、あごをリビングのテレビのほうへとしゃくる。そちらのほうへと視線を移し、テレビのテロップを見て、ようやく葛西は理解した。テーブルの上に置きっぱなしにしていたスマートフォンを手に取ると、江崎と佳代子からの着信履歴を無視してアドレス帳を開く。


『えー、現在ご覧頂いているのは、バス滑落の事故現場上空の映像です。ただいま入っている情報によりますと、崖下に滑落したのは海見灘高等学校のマイクロバスだということです。関係者の話では、昨日の夜から同高校の野球部が使用していたとのことで、練習試合から帰る途中に事故に遭ったと思われます。現在、懸命の救助作業が続けられています』


 テレビからはニュースキャスターの切羽詰まった声が漏れ出し、どこかの峠を上空から映し出した映像が垂れ流しになっている。警察や消防のものであろう赤色灯がミニチュアの世界で踊り、画面を通して騒騒しさが伝わってくる。けれども、滑落したというバスの姿はない。


「駄目か――」


 津幡の電話番号を引っ張り出して電話をかけてみるが繋がらない。高橋のほうも同様の結果だった。


「こいつは崖底まで落ちたな……。かわいそうだが助かりゃしねぇよ」


 江崎の親父さんが、諦めたかのように大きく溜め息を漏らした。江崎の親父さんは髪の色がちょっと赤茶けており、いかにも漁師という体格をしている。伸びっぱなしの無精髭だって、漁師だと言えば誰もが納得する風体の一部だ。


 どうして葛西の家に、江崎の親父さんと佳代子の親父さんが集まり、そして江崎と佳代子までもがついて来ているのかは聞かずとも察しがつく。何かしらの有事の際には必ず葛西の家へと集まる習慣が昔からあったからだ。息子や娘と同じ学校の生徒が、事故で命を落としてしまったかもしれない――。直接的な繋がりがあるかどうかは別の話であって、その事実だけで父親達には有事なのだ。家族ぐるみの付き合いというよりも、親戚という感覚のほうが近いのかもしれない。


「さおりんがあんなことになったばかりだってのになぁ。こりゃ高校の先生方も大変だろうに」


 佳代子の親父さんはそう呟くと、すっと立ち上がった。葛西の父に「葛西さん、ちょっと電話を借ります」と断りを入れて、どこかへと電話をかける。


「あー、母さんか。今から米を炊いて、ありったけの握り飯を作ってくれ。身内が普段から世話になってる学校だ。先生方も今日は徹夜だろうし、差し入れのひとつでもしてやらんと――」


 どうやら自宅へと電話をかけたらしい。これから学校へと差し入れをするつもりのようだ。横の繋がりが強い地域であるため、少しでも繋がりがあるところに不幸があれば、じっとはしていられない。特に三人の父親には、そのようなお節介焼きの気質があった。


「もしかすると人手が足りなくて困っているかもしれない。匡、差し入れついでに手伝いに行こうじゃないか」


 佳代子の親父さんに触発されたのか、葛西の父が立ち上がり、とんでもないことを言い出した。右も左も分からない部外者がしゃしゃり出たって学校も逆に迷惑だろうに。


「将兵、だったら俺たちは――」


「ちょっと待った。父さんもおじさん達も落ち着けって」


 江崎の父親が口を開きかけたのを見て、葛西は加熱する父親達のお節介心に歯止めをかけるべく、三人の間に割って入った。


「こんなことが起きて、学校側だって混乱しているに違いない。そんなところに俺達が行ったところで邪魔なだけだよ。やるなら差し入れにとどめておいたほうがいい。まだ、事故の詳しい状況だって明らかになっていないんだから」

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