第1章 別れの連鎖 第1話

【1】


 つい先日、梅雨入り宣言が出された港町には、今日も小雨が降っていた。それに混じって、鼻をすする音やら、すすり泣く音が混じっているのは仕方のないことだといえよう。


 寺の門から伸びる高い塀に沿って、同じ紺のブレザーを着た人間が、これまた同じような透明なビニール傘を差したまま、彼女が出てくるのを待つ。それらの表情はどれも暗く、辺りには悲壮感が漂っていた。


「おい、かぁこ――。いい加減泣くなって」


 目を真っ赤にした金髪の男が、身長の低い隣の女子へと声をかける。


「だってぇ、さおりんが死んじゃったんだよ? ちょっと前までは元気だったのにぃ」


 かぁこと呼ばれた女子生徒は、金髪の男のほうへと視線を移して、涙でぐしゃぐしゃになった横顔を見せた。それを見て、彼女を挟んだ反対側に立っていた彼――葛西匡かさいたすくは大きく溜め息を漏らした。


 金髪の男は江崎将兵えざきしょうへい、茶色がかったショートボブの小柄の女子が天野佳代子あまのかよこ、そして長身で痩せ細った彼が葛西匡。並んで彼女が出てくるのを待つ三人は幼馴染である。正確にはもう一人、幼馴染がいた。その幼馴染である浦沢沙織うらさわさおりが、葬儀会場から出てくるのを、彼らを含めた三年一組の生徒は待っていたのである。


 【さおりん】こと浦沢沙織が死んだのは、数日前の深夜のことだったらしい。詳しくは聞かされていないが、学校寮の自室で首を吊ったそうだ。それが彼にはどうにも信じられなかった。明るくて、葛西が圧倒されるほどポジティブな彼女が自殺したなど、信じられる訳がない。こうして彼女の告別式に参列していることさえも、クラス代表の一人として焼香と献花までしたのに実感がなかった。


「かぁこ、これで涙を拭けよ――」


 葛西はポケットからハンカチを取り出すと、それを佳代子へと差し出してやった。


「たっちん、ありがとう」


 佳代子はそう言いながらハンカチを受け取ると、あろうことかそれで鼻をかんだ。葛西は再び大きく溜め息を漏らし、江崎はこの場に似合わず苦笑いを浮かべる。


「おらぁ! もうすぐ出棺だから、もっと綺麗に整列せんか! クラスメイトを気持ち良く送り出してやろうという気持ちがないのか、お前らはぁ!」


 寺の門から喪服を着た男が飛び出して来て、塀に沿って綺麗に整列しているはずの三年一組の生徒に向かって怒号を飛ばす。彼は三年一組の副担任の関谷隆せきやたかしである。体育教師で竹刀を持ち歩いているような時代錯誤全開な教師だ。


「関谷の野郎こそ、面倒臭ぇとか思ってるくせに――。糸井先生とも仲が悪いしよ。あの馬鹿先公が」


 その姿を見て、江崎が関谷を睨みつける。喧嘩っ早い江崎を、葛西は目でさとした。


「その糸井先生は、今後の打ち合わせとか段取りで忙しいだろうからね。彼が引率をするのは、副担任として当然の義務だ」


 糸井先生は三年一組の担任をする女教師だ。歳の割に考え方が若く、教師と生徒の垣根を積極的に取り払おうとするようなタイプであるため、生徒からの評判も良い。女子生徒の中には下の名前でこずえちゃんと呼ぶ者がいるくらいだ。糸井先生は通夜の段階から駆け付け、それから葬儀につきっきりだそうだ。立場的に仕方のないことかもしれないが、おかげで関谷のやりたい放題だ。つくづく、関谷が副担任で留まってくれて良かったと葛西は思う。


 関谷は、近所への点数稼ぎをするかのように、ここぞとばかりに教師の威厳を見せつけようとしているのであろうが、それが逆効果だと気付くのはいつのことになるだろうか。この凪町に高校があるのだから、地域の人達に認められたい気持ちは分からなくないのだが――。


「ったく、だから未だに独身なんだよ。クラスの女子からも徹底的に嫌われてるからな。主にセクハラ的な意味で……。こういう場くらい大人しくしてりゃいいのによ」


 江崎のぼやきが聞こえたのであろう。関谷先生がこちらを指差して「そこっ! 私語はやめんか!」と、悲しみに暮れる雨の空に声を飛ばす。寺の中にいる遺族の方にも聞こえていることであろう。あまりにも空気を読めなさすぎて逆に清々しい位だ。


「あぁ?」


 関谷に対して腹が立ったのか、ドスのきいた声で返す江崎も江崎である。それを咳払いでごまかし、さっと目を逸らす辺り、関谷も関谷ではあるが。


「しょーやん、これからさおりんを送り出すんだ。お前もTPOを弁えたほうがいい」


 葛西がとがめると「親は関係ねぇだろうが」と、見当違いの言葉が江崎から帰ってきた。時と場所、場合に応じて、態度や姿勢、服装などを合わせることがTPOである。決して、保護者と教職員による社会教育関係団体のことを指すPTAのことではない。


 小雨だったものが、少しばかり強くなった。ビニール傘にばしゃばしゃと雨が当たり、そして寺の門から黒塗りの霊柩車れいきゅうしゃが出てきた。出棺だ――。徐行する霊柩車が、高々とクラックションを鳴らす。すすり泣く声が、強まった雨足に負けずと上がった。


「……くそっ、信じらんねぇよなぁ。さおりんが死んだなんて」


 江崎は似合わず瞳から涙をこぼす。佳代子に至っては涙で化粧が崩れ、顔がぐちゃぐちゃだ。葛西はじっと霊柩車を見据え、その後ろ姿を見送った。頬を雨ではないものが伝う。


 平成28年6月7日――。葛西達は幼馴染に別れを告げた。これがほんの始まりであり、何度も同じ光景を目の当たりにすることなど知らずに。


 しかし、この時すでに、奇っ怪な死の連鎖の予兆は始まっていたのである。

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