お悔み様は悪鬼に祟る

鬼霧宗作

プロローグ

 昭和16年から昭和19年の間、日本は第二次世界大戦の戦火に包まれた。戦争が長期化するにつれ、日本は疲弊し、そして徐々に追い詰められていった。若手という若手には赤紙が届き、それは俗にいう死の宣告に等しかった。


 この話が土着し、そして時代と共に風化して、未来では都市伝説としてささやかれるようになる凪町なぎまちにも、とうとう赤紙が届くようになった。


 幼子おさなごを背負い、日の丸の旗を振り、女達は夫を見送った。これが最期になるかもしれない――お国のために死ぬことこそが最高のほまれであった時代であっても、愛する人を失う辛さは、きっと同じだったに違いない。


 凪町の外れに住んでいたマツエという女がいる。まだ言葉も喋らぬ赤ん坊を両親へと預け、工場で休みなく働いた。食べるものもろくになく、いつ空襲がくるかとおびえつつも、送り出した夫の無事を祈って働き続けた。


 そんなマツエの唯一の楽しみは、夫から届く手紙だった。まともに届くはずがない――。仮に届くとしても検閲で落とされるに違いない――。そんな周囲の声をものともせず、マツエが夫に向けて手紙を出すと、必ず夫からの手紙が届けられた。


 およそ二年の間、マツエと夫の手紙のやり取りは続いた。そして終戦――。言葉を話すようになり、手を焼く年頃になった子供と一緒に、夫の帰りを待った。


 だが、夫は帰らなかった。同じ部隊だったという兵士が家を訪れ、夫の死を告げた。人間、いつどうなってしまうかは神のみぞ知る。これも覚悟していたことではないかと、マツエは涙を流した。しかし、ここからが奇妙な話だったのだ。


 夫が死んだのは徴兵されてすぐのことだった。すなわち、二年とちょっと前には、すでに夫は帰らぬ人となっていたのだ。


 同じ部隊だった兵士は涙ながらにマツエにび、そしてどこかへと去ってしまった。夫の死を信じられなかったマツエは、すがるようにしてポストを確認した。


 手紙は入っていなかった。けれども、そこには一枚の紙切れが入っていた。


 ――お悔やみ申し上げます。


 夫と全く同じ筆跡の文字に、マツエは子供を抱きしめて泣いた。


 これと同じことが、凪町のいたるところで起きた。中には死んだことを知らされる前に、その紙切れで夫の死を知った人もいた。夫だけではなく、空襲で行方が分からなくなっていた家族の死を知った者もいた。


 誰が言い出したのかは分からないが、それはいつしかこう呼ばれるようになった。


 ――お悔やみ様。


 きっと、夫を戦場へと送り出した女達を慰めるために、そして家族を失った人達のために、死者に代わって、生きる希望を与えてくれたのだ――。いつしか、戦時中に起きた奇妙な出来事は、お悔やみ様として凪町に土着した。


 しかし、お悔やみ様の顔はそれだけではなかった。


 時代は昭和40年代後半のこと。この頃には電話が一般家庭にも普及し、離れている人間とも会話ができるツールとして、世の中に浸透していた。


 凪町で商店を営んでいた男が、度重なる浮気を妻に叱責しっせきされて逆上した挙げ句、殺してしまった。凪町は港町であり、男は妻の遺体に重りをつけ、海の中へと沈めてしまった。男の家の夫婦仲が悪いのは周知の事実だったおかげで、近所の人間は妻が出て行ってしまったものだと思い、まさか旦那が妻を殺したなどとはつゆにも思わなかった。男も周囲にはそのように説明し、自らの罪までをも深い海の中へと沈めようとした。


 男の家の黒電話が鳴るようになったのは、妻を海に沈めてからしばらくしてのことだった。深夜の決まった時間に必ず黒電話が鳴る。眠たい目をこすりながら男が電話に出ると、電話口に死んだはずの妻が出て、夜な夜な恨み辛みを口にする。


 商店をしているため、電話に出ない訳にもいかなかった男は、毎晩のようにかかってくる電話のせいで、次第に精神をすり減らしていった。妻を殺している手前上、誰にも相談することもできず、しかし毎晩鳴り響く電話に、とうとう男は気を狂わせてしまったのだった。


 何の前触れもなく商売を止めてしまった商店。不審に思った近所の人達が駐在を呼んだことで、男の無残な最期が明らかとなった。


 男の体には無数の切り傷があり、右手には血まみれの包丁が、そして左手には黒電話の受話器を握りしめたまま絶命していたそうだ。その時、現場に踏み込んだ駐在が聞いたという。


 ――お悔やみ申し上げます。


 電話線が切断され、しかも本体と受話器までもが切断されていたにもかかわらず、受話口から漏れた女の声を。


 駐在の話を聞いた地元の人達は、口々にお悔やみ様の仕業だと恐れた。お悔やみ様は悪鬼あっきたたる。行いの良い者には慰みを与え、そして行いの悪い者には祟る――。戦時中の奇妙な美談は、昭和の後期には恐ろしい戒めとして語り継がれるようになった。


 ――悪い子になるとお悔やみ様が来るよ。子供を叱りつける親が、定番のように口にするようになったのは、この頃からのことだった。


 彼らもまた、そんな話を親から聞かされながら育った地元民だった。


 葛西匡かさいたすく――地元の高校に通う三年生。小さい頃から現実主義で、お悔やみ様の話を聞かされても、その話の矛盾点を突いて親を困らせるような可愛げのない子供だった。その現実主義への徹底ぶりは成長しても全く変わっていない。幼馴染の間では【たっちん】と呼ばれている。


 天野佳代子あまのかよこ――匡と同じ高校に通う三年生。本人はあまり自覚していないが、俗にいう天然な性格で、おっとりとしたマイペースな女子高生。幼馴染でさえ何を考えているのか分からない時があるという、掴み所のない女子。小さな頃からのあだ名は【かぁこ】だ。


 江崎将兵えざきしょうへい――二人と同じ高校に通う三年生。中学生の辺りから少しばかりひねくれ、喧嘩を繰り返す日々を送る。出席日数はぎりぎり、テストをすれば真っ赤っかになって返ってくる。それでも学校を辞めずにいるのは、匡と佳代子がいるからである。本人は気に入っていないようだが、二人からは【しょーやん】と呼ばれている。


 三人は【超】がつくほどの腐れ縁である。それぞれの家が近所で両親同士に親交があったおかげか、赤ん坊の頃からの付き合いだ。保育園は当然ながら一緒。港町の小さな町であるから、クラス分けなんて概念もなく、小学校六年間も同じ教室で過ごした。中学校ともなれば、近隣の小学校から人が集まるため、三組までのクラス分けとなるのだが、三年間まるで同じクラス。選択の幅が広がる高校でも、三人で同じ高校に志望して合格。江崎が合格できたのは元より定員割れだったからなんて話もある。ここでも奇跡的に三人は、高校三年生になった現在でもずっと同じクラスである。しかも、出席番号順のせいか席も近い。たまにやる席替えでも、どういう訳か近くの席になった。


 この超腐れ縁の三人には、ほんの数日前まで、もう一人の超腐れ縁がいた。しかし、そのもう一人の幼馴染は、未成年という若さで、三人を置いて旅立ってしまった。


 ――この物語は、小さな港町に土着するお悔やみ様と、幼馴染の死から始まる物語。


 たっちん、かぁこ、しょーやん三人の、高校生活最後の梅雨時から夏休みに入るまでに起きた怪奇譚である。

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