第133話 慣れ Accustomed

 4月15日金曜日 午前8時30分


 木下戒斗が教室に入ったのは実に一週間ぶりの事だった。


 廊下を歩いているときから周囲の視線は嫌と言う程突き刺さり、そのほとんどがカイトに対する敵意であった。


 カイトは教室に辿り着くまでずっと思考を巡らせていた、一体どこで間違ったのだろうと。


 一番の問題はやはりカイトのアカウントを別個の物に置換しなかったこと。


 同じ学校のクラスメイトたちと交流したそのプライベートアカウントのまま、他の組織に入会し最終的には大会3位という嫌でも目に付く偉業を成し遂げてしまった。


 ただ、どう転んでもあの時のカイトが別のアカウントを作成し、イチからやり直そうなどとは思わなかったはずだ。


 あの日、クラスのカーストとクロミナ内部のカーストが連携している事実に気付いた。


 そしてクロミナを全く知らない自分は現実世界でも全くやっていけないことが判明した。


 あの時は目の前に溢れる新しい情報に埋め尽くされていた。


 自分を振り返り、未来を想定した行動をとることなんてできなかった。


 そこは反省すべきではない。


 やはり一番の問題はリナの正体が黒川里奈であることが周知の事実となっている現状だろう。


 リナは自身の個人情報に関しては一切迂闊な手段を選ばない。


 聖騎士について父親のパソコンから情報を得ていた時も、足跡を消すためにPC内部のデータを全て消去していた。


 そんな慎重なリナがうっかりミスをするはずがない。


 となれば外部の人間によるリーク。


 だが、なぜか、その行動原理がわからない。


 カイトにとって自分の置かれた現状などどうでもよかった。


 ただ、それに友達を巻き込んでしまったのならば、看過できない。


(昔の俺なら慌てふためいていたかな)


 カイトはそんなことを思った。


 生死を分ける死闘を繰り広げたことにより、カイトのメンタルは並大抵の事では揺るがなくなっていた。


 加えて自分以外の全ての人間が敵であるという圧倒的孤独感にも慣れている。


 カイトは自分が少し強くなれたかもしれないという感覚に少しの喜びを覚えた。


 教室に入ると先程から感じていた敵意ある視線は一層強まった。


 自分の席に到着したカイトは机の上に書かれた罵詈雑言を確認する。


(なにをそこまで)


 カイトは少々呆れた。


 たかが大会に入賞しただけでこうも彼らの矜持を傷つけてしまうとは。


 だったら、お前らが入賞すればいいじゃないか。


 それができなかった時点で何をやっても負け犬の遠吠えになることを理解していないのか?


 一つため息を吐くと教室の内部を一瞥する。


 カイトに視線を送る者、ひそひそと内緒話をする者、睨みつける者、無関係な善人を装う者。


 明らかなのは現状においてカイトを救済しようと考える者は存在しないということだった。


 だが、カイトにはその視線を冷たいものと暖かみのあるものに区別できることを知る。


 暖かい視線、心配や不安を感じている、やりようのない気持ちを抱えている者が発する視線。


 それをカイトは見逃さなかった。


(あれは確か—―)


 カイトは脳内でその者たちの名前を検索し、記憶に留めておくことにした。


 気にする素振りを見せないまま、カイトは自分の椅子に腰かける。


(椅子のねじを緩ませることはしないんだな)


 ひとまず「安息の地」を得たカイトは隣人の到着を待つことにした。


 後方が騒がしくなってきたと思っていたら、同時に隣人が到着した。


 黒川里奈、上履きを履いておらず、今にも泣きだしそうな顔で自分の椅子に座った。


 少しやせたか、頬のあたりがやつれていた。


 顔にはいくつものあざがあり、どこかで転んだように怪我だらけだった。


「木下、戒斗くん…久しぶりだね、今日は学校来たんだ」


 黒川里奈は木下戒斗がカイトであることを知っている。


 だが、黒川里奈がリナであることを木下戒斗は知らないと思っている。


「おはよう、黒川さん。久しぶり」


 敢えて起きている惨状には触れなかった。


 大丈夫?と心配することは彼女を傷つけてしまうかもしれない。


 —―大丈夫なはずが無いから。


 —―見たらわかるだろ。


「お互い大変だね、なんでこんなことになっちゃったんだろ」


 はは、と苦しみながら笑ったその横から、なにかの気配が飛んできた。


 カイトはすかさず飛んできたものを捕まえる。


 それは硬式野球のボールだった。


「なに勝手なことしてんだよ、なぁオイ」


 ボールを投げた張本人がカイトに威圧の目線を送る。


 その声から昨夜にあった暴漢であることを察する。


「やめろ、なんでこんなことをするんだ」


 カイトは動機を知っていたが、初めて現状を把握したかのように動いた。


「かっこつけてんじゃねーよ。お前は狩られる側の人間なんだよ」


(こいつら、正気か?)


 だとしたらクソ面白い、とカイトは思った。


「なににやけてんだぁ?!」


 沸点に達した横柄な男はカイト目掛けて突撃した。


 精一杯拳を握りしめて。


 その拳をカイトは膝を曲げ、最小限の動きで避けると、腕を掴み、放り投げた。


 すると驚くほど華麗に飛び上がった男は宙を舞い、掃除用具入れに激突した。


 大きな音と共に男のうめき声が聞こえた。


 周囲の人間はだれ一人としてこの結果を予想してはいなかった。


 カイトの戦いは現実世界でも幕を開けることになった。

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