第124話 地獄 Hell

 4月12日火曜日 23時


 PvP大会決勝戦が終わり、徐々にクロミナの世界から離れるプレイヤーが増える時間帯。


 一人の少女はクロミナとのコンタクトを切断し、現実世界に戻ってきた。


 自室の明かりを付け、一度肩を回す。


 立ち上がると廊下に出る。


 そして父の仕事部屋がある隣の部屋を確認する。


 父がまだ帰ってきていないことを確認すると静かに父のPCを起動させる。


 パスワードは「kurokawa100002」。


 起動したパソコンの画面には数多くのファイルが見受けられた。


 慣れた手つきで迷わず一つのファイルをダブルクリックする。


 警告文を飛ばして、またパスワードを入力する。


 クロミナの運営陣しか覗くことのできないプレイヤーの顧客情報が載ったデータファイル。


 更新日を4月12日の22時に設定する。


 聖騎士エグバートのIDは知らない。


 だが、聖騎士シリーズに刻まれた個体識別番号は暗記していた。


 聖騎士ナンバー3:エグバート:個体識別番号0000238217


【過去24時間に記録はありません】


 クロミナの世界にエグバートはログインしていないのか。


 分からないが、少なくとも聖騎士エグバートの鎧を身にまとった状態でクロミナの世界に居なかったことは判明した。


 黒川里奈は溜息を吐くとファイルのタブを消去する。


 そしてPCの本体設定から一時間以内に更新された情報を全て初期化した。


 これが彼女のルーティーンだった。


 父親が不在の隙を狙って顧客情報を覗く。


 そして憧れの聖騎士を特定し、偶然を装い、会いに行こうと企むストーカー気質。


 それが黒川里奈という人間だった。


 自室に戻ってきた黒川は決勝戦で戦うカイトの姿を思い出す。


 そして自分が所属する組織が大会で三位になった事実に頬が緩む。


 聖騎士だけではない。


 黒川の興味の矛先はカイトにも向けられようとしていた。


 いや、既に向けられていたが、監視や特定をしようなどとは微塵も思っていなかった。


 ただの同じ組織の、初めて知り合って仲良くなった掛け替えのない友達。


 認識は間違っていなかった。


 ただ、彼女の歪んだ愛情は、排他的な態度から見て取れた。


 新規メンバーは誰であろうとも許さない。


 組織は私が守る。





 4月13日水曜日 8時20分


 校門を通り抜け、校舎内部へと進む。


 いつも通り教室へと向かう。


 そう、本当にいつも通り。


 面倒な授業を終え、面倒な人付き合いを終えて。


 帰宅してクロミナの世界にログインする。


 いつも通り事が進むと思っていた。


 自分の机を見るまでは。


「なにこれ」


 思わず漏れた声は現状に理解が追い付いていない様子だった。


 机には沢山の落書きが。


「死ね」「消えろ」「帰れ」「うざい」等罵詈雑言の数々。


 カッターで切られたような跡もたくさんあった。


 思わず後退りした黒川は隣の席に視線を移動した。


 そこは木下戒斗の席。


 自分よりも酷い有様だった。


 何故、突然事態は急変したのか。


 分からない、変わったことはないはずだ。


 変わったこととすれば自分の所属する組織がクロミナの大会で3位になったことくらい。


 それが現実で反映されるはずがない。


 個人情報は知らないはずだからだ。


 ではなぜ、なんでこんなことに。


 その時、自分の頭の中に昨夜の自分の姿が映し出される。


 父親のPCを無断にかつ不正に使用して情報を覗き見たこと。


(リークされた?!)


 まだ分からない。


 クロミナの大会で3位になったらいじめがはじまるのか。


 でもなぜ木下戒斗まで。


 震える手を抑えながら恐る恐る見た木下戒斗の席には。


「決勝戦」「調子乗ってんじゃねぇ」「ゴミカス」「澄ました顔してキモイ」


 この瞬間、黒川里奈の脳内では衝撃が走った。


 木下戒斗とプレイヤーカイトは同一人物だった。


 カイトのアカウントは匿名では無かった。


 既に同級生たちと連絡先を交換した後に編成した組織だった。


 カイトの情報は筒抜けだった。


 周囲からは黒川里奈を笑う声。


 味方なんていない。


 黒川里奈の地獄の日々がはじまった。

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