第107話 修行⑤ Warning


 MAOの斬撃速度は上昇していた。

 それはネメシスがこの世界で出逢ってきた数多の斬撃、銃弾速を遥かに凌駕したものだった。

 MAOの持つ聖剣OHMはネメシスやカイトが持つロングソードよりも長い。

 故に攻撃範囲が広く、受け手であるネメシスにしてみれば経験したことの無い長さのため、距離感を掴むことができず、横回転やバックステップなど大袈裟な回避ムーブでしか避けることができていなかった。


 慣れ。

 ネメシスが潜在的に持っていたロングソード、サーベル、クレイモアの当たり判定の無いギリギリの範囲。

 それが一切通用しない。

 加えてMAOはネメシスの行動を全て学習し、攻撃パターンを変更するため仮にネメシスが同じ手を放つものならそれは封じられてしまうだろう。


 ネメシスは劣勢だった。

 この状態から抜け出すためには聖剣OHMの攻撃範囲に慣れ、最低限の回避行動で相手の斬撃を避け、反撃の剣を振るうしかない。


 ネメシスの視界に赤色が見えた。

 自分の頬を抉ったMAOの剣、そして攻撃を受けた自分の頬から流れた血だった。

 ついに、剣が届いた。

 誰も攻撃を与えることができないとされてきたネメシスにダメージを与え、あろうことか流血させた。


 ネメシスは高く後方に飛び、MAOから距離を取る。

 そして自分の頬に触れ、血を眺める。

 久しぶりに自分の血液の色を見た。


 斬撃は止まない。

 MAOの剣は止まることは無く、ネメシスが動かないことを確認して戦意を削いだと判断し、一気に畳み掛けようとした。

 斜めからの重い鉄の塊の斬撃。

 ネメシスは自分の手に付着した血を眺め、地面に視線を落としている。


【ネメシス生存確率…1%】


 MAOの頭脳はこの攻撃によってネメシスはほぼ死ぬという計算を叩き出した。

 しかし、その剣は空を斬った。

 ネメシスは頭を数センチ下げただけだった。

 二撃目。

 MAOのコンピュータは計算を止めない。

 二撃目の成功確率も9割強。

 だが当たらない。

 3撃、4撃…。

 正確で高速な斬撃は空を斬り続ける。


 そして生じた一筋の隙ーーー。


 今まで見せてこなかった一瞬の隙。

 否、MAOが見せなかったわけではない。

 ネメシスが見えていなかったのだ。

 確かにMAOには隙は存在し、牽制のために斬撃を加えることはいつだって可能だった。

 だが、ネメシスの目はその隙を見ることができていなかった。

 今は違う。

 幾ら相手の斬撃の速度が速かろうが、自分の裏を正確に突いてくるものだったとしても避けることができる上に相手が生み出している隙を見つけることができるようになった。


 理由としては二つ考えられる。

 一つは斬撃を喰らったことによる成長。

 MAOの斬撃を頬に食らったネメシスは頬にできた傷からMAOが放つ斬撃の向きや方向、距離感を熟知した。

 また、これまで積み上げてきた一度も血を流さない、はたまたダメージを負わないというスタンスを壊されたことによる「トリガー」の発動。


 加えて二つ目に繋がるが、集中力の上昇と感情が高ぶったことのよるステータスの向上。

 このゲームは脳波とリンクしプレイヤーの感情の起伏によってその値がステータス値に直接影響を与える。

 ネメシスはいつでも冷静に相手と向き合い、そして倒すことをモットーとしてきた。

 それはこのゲームのシステムに組み込まれた感情の起伏によるステータス上昇に頼らずに相手を倒したいと考えていたからだった。

 そしてこのシステムを提唱した澤田和俊を完全否定するために。

 だが、本人の意向に逆らい、ゲームのシステムは作動し、結果としてプレイヤーを手助けするネメシスにとっては最悪な結果となった。


「くたばれ」


 一閃。

 世界最強の天使の斬撃が遂にMAOの身体を貫いた。


 ネメシスは一つ舌打ちをすると腰に手を当て、

「結局助けられた結果になったのか、ほんといけ好かねぇ野郎だぜ」


 脳波とリンクしプレイヤーの感情の起伏によってその値がステータス値に直接影響を与えるというシステムは澤田和俊が提案し、導入したもの。

 澤田はいつでも先を見越したように行動し、布石を打っておくからそれに気が付いた時に気分が悪くなる。

 だが、ネメシスの顔にはイラつきの感情もあったが、どこか清々したような顔に見えた。

 腰に手を当て、剣を鞘に仕舞うと

「ま、単純技能でどうにもならん攻撃も悪くはねぇかもな」

 と呟いた。



 *



「私はもう長くない」

 真っ先にメイの口から零れた言葉は短かった。

「長くないって…どういうこと?」

 ミズキは聞く。


「私の病気は…VRHSを付けることによって進行する…。今もこのゲームの世界に生きているってことは現実世界でVRHSを付けているってこと…。現実世界では医療措置が施されているのかわからないけれどゲームの中で現実世界にいるときみたいな症状が出ることなんてことは一度たりとも無かった。でもね、最近になってずっと身体の調子が良くないの…なんでかわかる?つまり私の容体が悪化していて、現行の医療措置では追いつかないくらい病気の進行が早まってしまっているの」


 ミズキとカイトは思わず声が出なかった。


「私ね、一度だけゲームの世界で倒れちゃって救急車で運ばれたことがあるんだ。あの時と同じようになったら私は現実世界ではどうなっちゃうのかな…」


 不安そうな表情を露わにするメイを前に何も言ってあげられない、何もしてあげられないカイトは自分の無力さを嘆いた。

 何か自分にできることはないか、聞こうとした。

 でもそれはなぜかメイの逆鱗のようなものに触れてしまうような恐怖を覚えた。

 今、尋ねるのは賢明ではない。

 また時期を見計らって尋ねよう。


 メイは考えた。

 


 なぜか。

 これは脅迫だ。

 早く計画を遂行しろというメッセージ。

 唯一の娘を研究のために、否、金のために売ったクズ男。

 父、霧春真治からのだ。

 計画を直ちに遂行しなければ生命維持装置を停止させる。

 直接言われなくてもわかる。

 自分の身体の不調くらい自分が一番よく知っている。

 現実の私には最低限の医療機器しかついていないこともわかる。


 メイは思い出す。

 この世界にログインした日のことを。

 メイが目を覚ますと真っ白な地面に立っていた。

 空は広く晴れ渡り、雲が通常の2倍程度の速さで動いていた。

 目の前に一人のホログラムが現れた。

 それは紛れもない、自分の父親を模したものだった。

 そして一人のプレイヤーの顔写真とともにこう言われた。

 忘れもしない。

 そこに表示されていたプレイヤーの顔はカイトだった。

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