第105話 修行③ Inflammation

 二日目。


 カイトが目を覚ますと部屋のベッドに仰向けになっていた。

 ふと機能の記憶を呼び起こす。

 だが、どうも曖昧で部屋に入ってからの記憶が途切れている。

 ベッドに上がった記憶も布団を掛けた記憶もない。

 頭に手を当て、考えたが記憶は蘇らない。

 思考を止め立ち上がる。

 そして再び剣を握ると扉に向かった。

 昨日よりも剣を持つ手が慣れてきているような感じがした。

 今までは剣に持たれているようだったが、今は剣を持っているようだった。

 このままいけば剣に振り回させれることなく剣を振り回すことができるようになるかもしれない。


 外に出るとネメシスからの伝言が看板に書かれていた。

 夜にまたログインする、それまで昨日教えたことを続けろという指示だった。

 看板に書かれた文字を読んでいると後方からメイが起きてきた。

 メイも指示の内容を確認すると早速剣を構えた。


 メイはどうやら昨日の時点で第一段階はクリアした様で、今日から第二段階である構えの姿勢を取ることを許可されたようだった。

 カイトは引き続き昨日の復習と重心の移動、そして剣先の柔軟な変更を実行した。

 取り組めば取り組むほど自分のスキルの無さに気づかされ、何も習得していなかった頃の自分が恐ろしく感じた。

 天使として生きて、そしてナンバーワンになるためには踏まなければならない過程を飛ばしていた事実に恐怖を覚えたのだ。


 今は一分一秒でも惜しい。

 少しでも早く習得するために剣を持つ。

 だが、限界が来たのは剣を持っていた手だった。

 カランッ…と剣が落ちる。

 手が痺れて動かない。

 それもそのはず、慣れない重さの剣を昨日から何十時間も持ち続け、普段使わない筋肉を酷使したため炎症を起こしたのだった。

 それに加えて腕の筋肉が悲鳴を上げ、筋肉細胞の破壊が始まった。

 その事態はメイにも起こった。

 二人揃って剣が持てなくなり、焦りを感じ始めた。


 左手に置き換えて剣を構えようとするメイを見てカイトは止める。

「左と右じゃ感覚も慣れも違うから逆効果なんじゃ…」

「でも、早く覚えなきゃ…時間が惜しい」

「今は腕の回復を待った方がいい気がする」

 カイトの提案にメイは詰め寄る。

「いつまで?いつまで待てばいいの…?この腕が治るとは限らないじゃない…?だったら左でも右でもなんでも動かして慣れて覚えることが一番いいじゃない」

 メイに詰め寄られ、何も言い返すことができなかった。


 カイトに背を向け黙々と鍛錬を繰り返す。

 やはり構えは先程よりもブレていた。

 身体の使い方も腕の回し方も何もかもが逆であり、重心の移動も慣れていない。

 また、左手に置き換えるのならまずは右手に費やした剣に慣れるまでの時間を同じだけ左手にも費やさなければならない。


 焦る気持ちはカイトにもよくわかる。

 その上いつ治るか分からない以上次の手、次の手と、手を変え品を変え試行錯誤していかなければならないことは承知の上だ。

 だが、それにしても今メイが行っていることはあまりにも非効率的と言える。

 カイトはしかし、反対意見を提示するだけの根拠も想いもないことに気付き、メイの行動を止められない自分をただただ無力に感じるだけだった。


 するとその時何者かが近づいてくるような気配を感じた。

 それはメイも感じたらしく、同じ方向を向いた。

 そこには一人の天使、ミズキが歩いてきていた。

 カイトとメイはミズキに気が付くと急いで近寄り、再会を喜んだ。

 ミズキもまた二人を強く抱きしめると喜びの声を上げた。

「ログアウトしてしまってごめんなさい、私なりに考えていたの」

「いいのよミズキ。全然良いの。私たちもミズキが元気でいてくれるのが一番だもの」

「本当にそうだよ。元気そうでよかった」


 二人の声を聴いてミズキはまた目に涙を浮かべる。

 しかし、その涙はすぐに消し、笑顔で二人に向く。


 ミズキは思っていた、一番辛いのはカイトとメイの二人だと。

 二人の前では決して悲しい表情は見せないと。

 そしてなるべく笑顔で楽しく接すること、それが一番大切だと。

 一番元気じゃないのはカイトとメイのはずだから。

 一番思い悩んで悲しんで苦しんでいるのは二人のはずだから。

 安全地帯にいる自分が一番彼らの理解者になってあげなくてはならない。

 そして自分はもう過去を振り返らない、そう決めた。

 あの日からずっとネメシスの言葉が胸に残っていた。

 自分で弱さを作っているということ。

 それはきっと弱者も強者も全てを切り捨てることが何よりも大切であるといった意味ではない。

 事の本質は自分の弱さを隠す事でも共有することでもない。

 ましてや創り出さないことでもない。

 その弱さと向き合って次へと歩き出すことだ。

 あの時の自分は自分が生み出した弱さに支配されていた。

 そして自暴自棄になり冷静さを欠き八つ当たりした。

 そうではなく、自分の弱さを認め立ち向かい、克服するよう努めることが何よりも大切なのだと、ミズキは思った。

 カイトとメイは弱さなんかに支配されていては自分の身が危ない。

 気持ちを病んでいる時間すら惜しい。

 そう思ったからこそミズキよりも立ち上がるのが早かったのだろう。

 その強さが二人にはある。

 その強さが自分には無い。

 だからこそ身に着けていかなくてはならない。

 悩んでいる暇があったら守りたい人も守れない。

 だからこそ目の前のことに集中しろと、そして絶対に目を背けるな。

 そしてミズキは立ち上がった。

 二人の戦っている守りたい人を守るため。

 凶悪な世界に立ち向かう二つの刃に自分も加わるために。



 *



 ミズキはメイに左手で剣を振るのは止めるように言った。

 そして右腕に冷水を掛け、一時間ほど安静にするように言った。

 カイトにも同じ処置を施した。

 初めメイは反発したが、剣道有段者のミズキの言葉には信憑性があり、自分の行動の過ちを自覚した。

「ところで、さっきの構え、あれはネメシスから教わったの?」

「そうだよ」

 カイトが答える。

 ミズキは顎に手を当て考えた。

 何処かであの構えは見たことがあった。

 この世界ではない、現実世界の何処かしらで、だ。

 そしてはっと気付く。


 あれは間違いなく高校の全国大会の会場で見た。

 一年前、彼女が中学三年生の時、剣道全国大会中学生の部で一位に輝いた年にミズキは同じ会場で行われていた高校生の部を見学した。

 その時一際目立っていた選手が居たのを鮮明に覚えていた。

 高校三年生、チームの主将だった彼は独特な構えと独自の動きで相手を翻弄した。

 周囲の人間は彼を嘲笑った。

 あのような動きは無駄だと。

 伝統も何もない、何だあのへんな動きは、構えは。

 しかし、ミズキの目には見えていた。

 あの動き、構えがいかに洗練されたものかが。

 ざわつく会場を彼の一撃で鎮めた。

 同時に相手選手も沈めた。

 彼の動きは完全に我流だった。

 だが、彼は全国で一番強い実力を身に着けていた。

 全国の高校生の中で一番強いということを身をもって証明してしまった。

 あの時の衝撃は忘れられない。

 きっとこれからも忘れることは無いのだろう。

 その時の彼の動きと合致していた。

 もしかすると、そうなのかもしれない。

 カイトとメイの炎症が収まった。

 二人はミズキに感謝し、鍛練を続けた。

 やはり動きは間違いなく彼のものだった。

「メイ、私と対人戦やらない?」

「わたしと?」

 ミズキはメイに提案する。

 その提案はこの世界最強の剣士、ネメシスの剣を身をもって感じたいと思ったからではない。

 全国で最強の彼の剣と今の自分の剣。

 どちらが強いか、確かめたくなったからだった。

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