第68話 『Enge : Devil Online』

 戒斗が目を覚ますと真っ白な地面に立っていた。

 空は広く晴れ渡り、雲が通常の2倍程度の速さで動いていた。


 戒斗はこの空間を知っていた。

 海外のゲーム紹介サイトで何度も見た、この風景はまさしく、

「『Enge : Devil Online 』の世界だ…」


 戒斗は高揚した。

 いつの日か、体験したかった世界に来ることができた喜びに溢れていた。

 このゲーム、『Enge : Devil Online 』は有料ゲームで月額制のため、小学生の戒斗には敷居が高く、手の届かないゲームだった。

 そのゲームの中に居る、その事実が戒斗を興奮させるとともに疑問を生んだ。

 何故ここに居るのか。


 自分の過去を振り返る。

 すると思い出す、自分がVRゲーム『Crosslamina』のプレイの後、心肺が停止し倒れ、病院に運ばれたことを。

(あれからどのくらいの時間が経った?)

 戒斗は長い間意識を失っていたように感じるとともに病院に運ばれたのが昨日のようにも感じた。

 ふと手元に視線を落とす。

 手が動く。

 やはりこれは映像を見ているだけではなくて実際にゲームにフルダイブしている。

 感覚が現実のそれと全く同じだった。


 しかし、ゲームにしてはタイトルが表示されない上にステータスやオプション画面が出てこない。

 キョロキョロと辺りを見渡してみてもだだっ広い白い地面がずっと続いているだけでゲームの進行のトリガーとなる物は一つも見当たらなかった。

 その時、目の前に一人のホログラムが現れた。

 驚いたカイトは思わず尻餅をついた。

 老いた執事のようなキャラクターは落ち着いた声色で驚かせて申し訳ない、と謝辞を述べた。


「私はカイト様をゲームへと誘う説明書です。ゲームを始める前に疑問点があるでしょう、答えられることは答えましょう」

 静かにそう述べるとカイトは感じていた疑問をぶつけた。


「ゲームはどうやって始めるの?」

 すると老執事はフォッフォッフォッ、と笑い、その後失礼、と口元を抑えた。

「カイト様は何故自分がこの世界にいるのか、よりもどうやってゲームを進めるかということに強く関心がおありですか」

「だって現実世界のことをゲーム内のNPCに聞いても仕方がないじゃん」

 カイトは至極真っ当なことを言った。

 すると老執事は確かにそうですね、と持っていた杖をコツンと地面で鳴らした。

「私はカイト様の現実世界でのことも熟知しております。なんなりと質問なさって下さい」

 淡々と述べる老執事を奇妙に思ったカイトは試すことにした。


「現実の俺はいまどこにいる?」

「都立大学総合研究病院特別隔離施設002号室にいます」

 カイトは鼻で笑った。

「違うね。俺が運ばれたのは地元の病院だ。記憶が曖昧だけどお母さんが言ってたんだ、間違いないね」

 老執事は狼狽える様子を見せず、また静かに答えた。

「確かに、カイト様は半年前まではカイト様の地元の病院にいました。しかし、ここ半年は都内にある特殊な病院に隔離されております」

「ちょ、ちょっと待てよ、今何年何月何日だ?!」

「今日は2022年8月1日でございます」


 戒斗は思わず思考が停止した。

 そして考えた、このNPCが言っていることが本当かどうかを。

 仮に嘘を吐くようにプログラムされていたとしても戒斗に偽りの情報を伝える理由がない。

 戒斗の情報を熟知しているという発言に多少の違和感を覚えたが、情報開示の権限を所持した特殊なNPCなのかもしれない。

 加えてこの摩訶不思議な空間に現れ、プレイヤーを導くために現れたクロミナで言う初期設定NPCのような存在なのかもしれない。

 真偽はわからない。

 確かめる手段もない。

 戒斗は一つため息を吐くと腰に手を当て、これからのことを聞いた。


「これから俺はなにをすればいい」

 老執事はしばらく答えなかった。

 痺れを切らした戒斗は問い詰めた。

「時間も全く分からない、現実の情報も一切ないこの仮想世界で俺は何をすればいいんだ?このゲームは『Enge: Devil Online 』の世界だろ?このゲームをプレイすればいいのか?」

 戒斗の質問の羅列に老執事はようやく口を開いた。

 どうやら何かの準備をしていたようだ。

 一つ咳ばらいをするとゆっくりと話し始めた。


「そうです。カイト様にはこの『Enge: Devil Online 』をプレイして頂きます。私がこのゲームにアクセスする権利を有しております。なので私にゲームをプレイする意向を示して頂ければ即刻準備致します」

 戒斗は頷くと一番聞きたかったことを聞いた。

「この世界からがどうやって出るんだ?」

「この世界から出ることはできません」

 執事の返答は即座に返ってきた。

 まるで戒斗がその内容に触れることを待っていたかのように。

 この世界から出ることはできない。

 確かにその執事は言った。


 何をふざけたことを言っているんだと嘲笑しようとしたその瞬間、老執事の持っていた杖が鳴った。

 地面を叩き、その瞬間辺り一面に画面が出現した。

 その画面には口に酸素供給機を付け、腕からは何本もの管が通り、頭にVRHSを付け、病院のような場所で仰向けになる少年が映し出された。

 それも何十という画角から、それも鮮明に。

 戒斗は一瞬何を見せられているのか判らなかった。

 しかし、気付きたくなかった現実に気付いてしまった。


「…こ、これ…おれか?」

「その通りでございます」

 一切躊躇わずに言う老執事。

 コイツの言っていることは全て偽りかもしれない。

「おれは…信じない、おれは…」

 戒斗は身体の力が抜けていく感覚に襲われた。

 思うように呼吸ができない。


「では、こちらの画面をご覧下さい」

 戒斗が目を背けようとしたが、遅かった。

 その画面には確かに戒斗の母親の姿が映っていた。

 部屋の外のガラス越しに不安そうな顔を覗かせていた。

 その瞬間、自分がこの世界に囚われている事実に気付いてしまった。

 何故か、判らない、が、自分がそこにいると気付いてしまった。

 近親者が現れたからかもしれない、一時的なパニックに陥り、正常な判断ができていないのかもしれない。

 しかし自分はそこにいる。

 本能が訴えかけていた。

 戒斗はうずくまり、頭を抱えた。


「…なんで俺がこんなことになってる?」

 戒斗の消えかかった声に老執事は答えた。

「カイト様は特異な病気を患われました。その病気を治療している最中というわけです。」

 その後老執事から病気について色々と聞いたが、よくわからなかった。

 ただ、自分の病気はVRが関係しているということ。

 その治療法を確立させるために研究の被験体になっていること。

 最終的には助かる見込みがあるということ。


「カイト様がこの世界から出る方法は一つだけです」

 話を変え、変わらず接してくる老執事に戒斗は思わず飛び掛かろうとしていた。

 しかしなんとか思いとどまる。

 コイツはただのNPCだ、ホログラムだ、攻撃したところで意味はない。

 戒斗が顔を上げると変わらない表情で淡々と話を続ける。


1。そうすればカイト様は現実世界に戻ることが許可されています」

 そのようにプログラムされているそうだ。

 老執事はこのゲームについてご存知ですか、と尋ねてきた。

 戒斗は答える元気が無く、無視した。

 その所為か、老執事は説明を始めた。


「このゲーム、『Enge: Devil Online 』はゲームを始める前に天使か悪魔、どちらかを選択します。天使陣営のプレイヤーは悪魔陣営のプレイヤーを、悪魔陣営のプレイヤーは天使陣営のプレイヤーを攻撃します。広大なフィールドで常にPvPが行われます。ここまでよろしいでしょうか?」

 戒斗は全て知っていた情報だったため、聞き流した。

「敵陣営のプレイヤーを倒すと経験値が得られ、自身のレベルアップと共に倒した数がスコア化されます。そのスコアが一番高いプレイヤーがこの世界でナンバーワンプレイヤーとなります。因みに自身のレベルと倒された際に敵に与える経験値は比例関係にあります。レベルが上昇すればするほど敵に狙われる危険性が高まります。さらに…」

「もういい、分かった」

 延々と話し続ける老執事に辟易した戒斗は強引に話を終わらせる。

「つまり、この世界でナンバーワンになればいいってことだろ」

 よいしょと立ち上がる。

 その顔には決意が現れていた。


「くよくよしてたってしょうがない。この画面に映っている情報が本当って言うんなら俺にやるべきことは一つしかない」

 意を決した戒斗の目には炎が宿っていた。

「元々このゲームには憧れていたんだ、ナンバーワンになってやるさ」

 戒斗はポジティブに考えることにした。

 だが、やはり現実世界が少しばかり恋しい。

 それに母親、家族にも会いたい。

 戒斗は仮想空間に慣れることを期待して老執事にゲームを始めるよう伝えた。

 彼に止まることは許されていなかった。

 現実世界に戻るためには戦うしかない、戦い、勝って勝って、勝ち進み、1位になる外ない。

 ゲーマー戒斗の目に炎が宿った。

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