第60話 行間Ⅳ

 8月18日 土曜日 午前八時三十分。


 鷹峰は家の近くにあるバス停に立っていた。

 このバスに乗れば芽衣奈が搬送されていった病院へ行くことができる。

 本来ならばもっと早く行くべきだろう。

 この瞬間も芽衣奈の命は不安定なままなら。

 だが、生憎とそこまで自由な場所ではなかった。

 病院には面会ができる時間というものが存在しており、その既定の時間内しか患者に会うことはできないのだ。

 それが無ければ、彼は何時でも病院へと向かうことができただろう。


 鷹峰は昨日から一睡もしていなかった。

 というか出来なかった。

 昨日一睡もしていない睡眠不足からか、今日が夏にふさわしいような真夏日だからか判らないが、彼は頭が重く感じられた。

 まるで脳で考えていることが多すぎるため、頭が警鐘を鳴らしているかのように。

 身をもって彼自身に分からせるために頭が機能した防衛反応なのかもしれない。

 判然とはしないが、頭からジワリと冷や汗のようなものが出たとしても、頭の内部から何者かに叩きつけられているような痛みを覚えたとしても、彼は止まるつもりはなかった。


 少し深呼吸をしてみる。

 するとまるで今までノイズキャンセル機能が働いていたのではないかと思うほど聴覚がクリアになっていった。

 遠くの方から蝉の鳴き声がやっと聞こえてきた。

 その時、鷹峰はようやく自覚した。

 彼自身、極度の疲労感に襲われていることを。

 深呼吸をしたことで脳に酸素が供給された。

 それにより時間を確認しようという気が起こった。


(8時35分…)


 スマートフォンで時間を確認しているとバスの音が聞こえてきた。

 目の前に止まると荒い息を吐きながら扉を開けた。

 乗車すると涼しい風が彼の頬を掠めた。

 入ってすぐの席に座るとそのことを確認したかのようにバスが動き始めた。


(芽衣奈…)


 窓の外を見ながら芽衣奈のことを考える。

 今も、この瞬間も芽衣奈は戦っている。

 そう思うと早く会いたいという気持ちにかられる。

 バスの移動速度を上げてほしい、等といったあまりにも自己中心すぎる思考に至ったところで、ふと我に返る鷹峰だった。



 *



 バスが止まった。

 到着したのは病院前のバス停。

 鷹峰は急いで外に降り立つと、太陽の光から身を隠すかのように早々と病院内に入った。

 病院の入り口には携帯電話はマナーモードにするようにという張り紙が貼ってあったので鷹峰は携帯の電源を落とした。


 受付へ向かい、自分の名前などを紙に書いた。

 記入を終えた個人情報が書かれた紙を受付の30代くらいの看護婦に渡すと何やらパソコンへと目を移し、しばらくお待ちください、と告げた。

 強行突破で病室へ行って会いに行くのは場違いな気がしたし、どこぞの海外ドラマか、と思ったため止めた。

 さらに言うとそもそも病室がどこにあるのかすら知らないので、仕方なく受付の看護婦のお呼び出しを待つしかなかった。


 鷹峰は待合スペースにある椅子に腰を掛けると、なにやら動悸が激しくなってきた。

 ドクンドクンと脈打つ自分の心臓及び血管にこのまま心臓が破裂してしまうのではないかという恐怖を覚えた。

 息が荒くなってくるのを感じた。

 無意識のうちに手を祈るように握っていた。

 考えたくないのに考えてしまう。

 止めろ…。


(もし死んでしまったら…)


 鷹峰は思考を強制的に止めるために自分で自分にビンタをした。

 そんなことがあるわけない。

 伝えなければならないことが彼にはあった。


 ふと病院内にあった固定時計を見る。

 時刻は9時30分を回っていた。

 おかしい。

 面会開始時間はとうに過ぎている。

 先に誰か面会しているのか?

 分からないが、可能性は低いだろう。

 学校の同級生たちがこのことを知っているとは思えないし、家族が居るのなら別に入室許可は下りるだろう。


 何故だ?

 そう考えている間にも時間は刻一刻と過ぎていく。

 苛立ちを抑えきれなくなった鷹峰は勢いよく立ち上がり受付へと向かった。

「すみません。先程から待っているのですが。何時になったら呼ばれるのでしょうか」

 少し怒り口調で放った鷹峰の声は病院内に少し響いた。

 看護婦は動じず、ただ静かに少々お待ちください、と言った。

 そのあとすぐに看護婦はどこかに電話をかけた。

 誰と話しているのか、どんな内容を話しているのかはわからなかったが、看護婦の口から‘‘鷹峰 慎‘‘という名前が飛び出したときにやっと対応してくれたことを実感した。

 看護婦は電話の相手に分かりました、と話すと、受話器を下ろした。

 そして鷹峰の前に一枚のカードを渡した。

 プラスチック製のカードで、クレジットカードの様だった。

 そこには「--3」と書かれていた。


「これはカードキーです。6階の三号室へどうぞ」

 看護婦は最後まで淡々と話した。

 色々と聞きたいことはあったが、今は芽衣奈に会うことが最優先だ。

 そう思った鷹峰はありがとうございます、と声高らかに告げるとエレベーターへと向かった。

 エレベーターに駆け込み、6階のボタンを押そうと思ったが、6階のボタンなどなかった。

 一瞬思考が停止した鷹峰だったが、5階行きのボタンの上に一筋の線が入っていた。

 あたかもクレジットカードをスキャンする機械のように。

 閃いたわけではない。

 ただ、そこに奇怪なものがあったから単純に魅かれただけだ。

 そして自分の所持品を確認してカードがあっただけだ。


 都合がいい、その一言で片づけていい事項だろうか。

 分からないが、とにかく実行してみた。

 このままだと進むにも進めないからだ。

 カードはピッタリその一筋のラインに入った。

 そして横にスライドさせると機械音が鳴った。

 そしてエレベーターは動き始めた。

 階数表示モニターには6階が表示されていた。

 こんな手間のかかることをしなければエレベーターにも乗れないのか?

 隔離でもされているのか?


 わからない。

 今更何か言われようともすべてを肯定してしまうかもしれない。

 そう考えてしまうほど、彼は心身ともに疲弊していた。

 扉は比較的早く開いたように感じた。

 エレベーターから出ると早足で3号室へと向かった。

 着いた場所は一本の通路。

 真っ白の壁とフローリングに囲まれ、左側に病室があるのか、横スライド式の扉が等間隔に設置されていた。

 3号室を見つけた鷹峰は扉を開けようとする。

 しかし、扉は開かない。

 カードキーの存在を思い出し、扉の横に設置された機械にカードを通す。

 カチッという音とともに扉が開く。

 すぐさま中に入る。


「芽衣奈!!」

 思わず叫んでいた鷹峰だったが、目の前に広がる光景に言葉を失った。

 大きなベッドの上に仰向けになって寝ている芽衣奈。

 口には酸素供給機がはめられている。

 その周りには4人ほどのスーツに身を包んだサングラスの男女が芽衣奈を囲むように立っていた。

 鷹峰の声に反応した4人は一斉に鷹峰の方を向いた。

 目が合った両者は数秒間沈黙した。

 だが、その空間を一人の人間が壊した。


「いやー、初めまして。芽衣奈のお友達かな?」

 軽快な声を上げながら扉の前で立ち往生している鷹峰に近づいてくる。

 4人のSPのような人間とは違い、サングラスをしていなかった。

「僕は芽衣奈の父、霧春きりはる 真治しんじ。よろしくね」

 すっ、と手を差し出してくる芽衣奈の父。

 鷹峰は渋々握手をした。

「鷹峰 慎です」

 鷹峰の名前を聞くと何かを思い出したかのように頷くと、にこりと笑った。


「芽衣奈は大丈夫なんですか」

 霧春真治の笑顔とは正反対の表情を見せる鷹峰。

 その表情を見て霧春真治はまた笑った。

「ああ。今挨拶しておくといいよ」

「何のです?」

「お別れのだよ」

 思わず、は?と聞き返したくなった。

 急いで芽衣奈の元へと向かう。

 するとそこには。


「なんで…」

「どうしたのかい?」

「なんでVRHSを付けてるんですかッ!!」

 鷹峰の叫びにも動じない霧春真治。

 ただ静かに淡々と答えた。

「芽衣奈が世界でも希少な病気にかかっているのは知っているだろう?」

 霧春真治は続けた。

「その病気研究の為に海外の企業から多額の資金援助を受けてね。霧春芽衣奈を使って研究をさせてくれないか、とね」

「研究…?」

「いやぁ、こちらとしては好都合ってもんだよね。死にかけの娘を研究材料として提供するだけで儲けが出るんだからさぁ!」

「使う…?」


 鷹峰の理性を飛ばすには十分すぎる言葉が並べられた。

 ガタッ!

 霧春真治の胸ぐらを掴む鷹峰。

 鷹峰は息を荒げていた。

 フーフーという荒い息を吐きながら、怒り狂った眼球。

 今にも殴り倒そうとしていた。


 だが。

 鷹峰の顔の前に1枚の紙が押し付けられた。

 その力に敵わず、鷹峰は尻もちをついた。

 いまだ表情を変えず、ひょうひょうと立つ男。

「まだ罪を重ねるつもりか?」

 軽い声ではなく、重い、大人の声だった。

「これはお前と八条 竜也に対する‘‘慰謝料請求書‘‘だ」

「慰謝料…?」

「お前たちは芽衣奈が病気であることを知りながらも止めることもせず、なんだったら誘ったと聞いている」

「そ、それはッ…」

「お前たちが芽衣奈を死に追いやった張本人だ。責任をきっちりと取ってもらおう」


 鷹峰は何も言いだすことができなかった。

 それは違う。

 そう高らかに言うことができなかった。

 そう捉えられてしまったらそうとしか言えないからだ。

 例え芽衣奈自身がゲームをしたいと言って鷹峰たちを誘ったとしても。

 止めろと説得しても止めれれなかった事実も。

 何もかもが証拠という名の裏付がないため証明ができない。

 それに加えて鷹峰は考えていた。

 芽衣奈を裏切ることはしたくない、と。


 でも。

 どうしても腑に落ちないことがあった。

 いや、ここに来てから腑に落ちないことなんか山ほどある。

 書き出していったらキリがない。

 でもそんな違和感や疑念などではなく、ちゃんとした意味が分からないことが鷹峰の前では起こっていた。


 笑っているのだ。

 この芽衣奈の父親は、この瞬間笑っているのだ。

 その時、鷹峰は自身の感情に押し潰された。

 自分が何もできない無力感、目の前でたった一人の掛け替えのない友達を失う恐怖。

 それらがごちゃ混ぜに絡み合って彼は、彼の中のストッパーが壊れた。

 なにも言わず、一瞥することも無く、鷹峰は部屋を後にした。


 そして人生で初めて発狂し、近くの壁に渾身の一撃をお見舞いした。

 この日から、鷹峰 慎、プレイヤー名「暗黒」は人格が変貌した。

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