第3話 機工絵本
ギルド内でミア宛の依頼を整理し、立ち去ろうと再び1階のホールに立ち寄ると、ある声が相談依頼受付のカウンターから聞こえてきた。
「すいませんが、そこを何とか……」
「ですが、本ギルドが関与していないものをお答えすることはできませんし、何よりそのような匿名に近い物については、お答えしかねます」
何事かと思い視線を向ける。シンプルなブラウスとワンピースに、ダークブラウンの髪をシニョンにまとめた女性、孤児院の世話役であるメリダが、真剣な表情で受付嬢に話しかけていた。
「どうしたんですか?」
「あ、ミアさん、いいところに!」
ミアが声をかけながら近寄ると、助けがきた、とばかりに受付嬢が顔を輝かせる。木製のカウンターの上には何やら金属の大きな箱のようなものが置かれていた。
「実は、こちらの女性が怪傑ゼムナスについて教えてほしい、と依頼がありまして」
「怪傑ゼムナス、ですか?」
困惑した声音でミアが問いかけると、メリダがうなずいた。
怪傑ゼムナスというのは、20年ほど前から人気を博しはじめた大衆小説の主人公をさす。表向きは怠惰な貴族がゼムナスという裏の名を騙って、得意な細剣や実の軽さを活かして悪徳領主や商人をこらしめあり、貧しい人に奪われた富を返したり、誘拐された夫人や子どもを救うという、勧善懲悪なヒーローである。
もちろんゼムナスは小説の架空の存在であるため、メリダの問い合わせはおかしいものなのだが、実は贈与士ギルドとしてはよくある話だったりする。
贈り物をするとき相手に誰かわからないようにしたい時、ゼムナスという裏の名を騙るという設定は非常に都合がよく、好意で贈っているということがよく伝わるので広く匿名として用いられるようになった。ただ、贈られた側としては誰から送られたのか気になるので、教えてほしい、もしくはそのゼムナスに返礼させてほしい、とギルドに問い合わせが来るようになったのである。
「贈与士ギルドが関与しているなら逆引きして調べて、返礼を贈ることは可能なんです。が、記録を調べてみても、関わってないので返礼しようにもできないんですよね」
「なるほど……。もしかして、その金属の箱のようなものが返礼の品、ですか?」
「いえ、返礼というか、贈っていただいたものをそのままお返しさせていただきたい、と思いまして……」
申し訳なさそうに、メリダが金属の箱を示す。
話が見えてこないので、金属の箱が何なのかよく見てみると、それは箱ではなく、2インチ程度の厚さの鉄のページが積み重なった機械仕掛けの本、
「開いても?」
「構いませんよ」
ミアが断りをいれてから表紙を開くと、かちり、と反応して内部機構が動いて、ページ裏に設置されたオルゴールボックスから音楽が流れ始めた。音楽に合わせてゆっくりと薄い鉄板に描かれた空がスライドして昼から夜へと変わっていく演出となっている。
他のページでもめくるごとにオルゴールの機構と合わせて背景やキャラクターが動く丁寧な作りになっていて、特に夜の時計塔で悪党と一騎打ちするシーンは、あえてオルゴールの内部機構を見せて時計塔を演出しつつ、オルゴールのディスクの回転を利用して悪党とゼムナスが
「非常に丁寧な造りですね。音楽も初めて聴くものばかりですけど、とても作品とマッチしています。こんなに精巧な機工絵本は見たことがない」
ミアが感心してうなずくと、俺も同意するようにうなずいた。一度ミアに付き添って工房に見に行ったことはあるが、ここまで凝った造りのものは見たことがない。
「ある朝、玄関先の扉にゼムナスの名前とともにこれが置かれていたんです、私も初めてみたときは驚きました。。子どもたちが大喜びでこの本で遊んで、最近は近所でも評判が広まったのか、子どもから大人まで見に来るようになりまして……」
「ここまで出来のいい作品でしたら、それもうなずけますね。もしかしたら、譲ってほしいという好事家の方がいらっしゃってもおかしくないのでは?」
「ええ、その通りなんです。数日前にもかなり高額な金額で譲ってほしいと提示されました。ですが、せっかく好意でいただいたものを売り渡すわけにはいかないと、お断りさせていただいたんです」
「ちなみになのですが、どのぐらいの金額を提示されたのか参考までに聞いても……?」
ミアが問いかけると、こっそりとメリダが小声で金額を告げた。その金額は、中流市民の家族が一生遊んで暮らせるほどの金額で、俺も、ミアも、そばで聞いていた受付嬢も驚く。
「そのせいなのか、実は今朝方、孤児院に泥棒が入られたのです……。おそらく狙いはこの機工絵本だろうと。せっかくいただいた本なのですが、子どもたちに何か危険があってはいけないので、本をお返しできたらと思い、相談させていただいたのです」
メリダの話を聞いて、なるほど、とミアと俺は納得した。高価なものは防犯上良くないので置いておきたくない、その一方で失礼のないよう返したいというメリダの気持ちはよくわかる。惜しいのは、機工絵本を贈る過程に贈与士ギルドが絡んでなかったことだ。
「泥棒に入られたというのですが、被害は?」
「たまたま起きていたこの子が見つけて叫んでくれたんです。そのおかげで、取られたものもなく、無事で済みました」
メリダが示すと、スカートの陰に隠れて一人の小柄な影が裾にしがみついていた。以前会った時の強気な様子との違いに、思わず声をかける。
「マクじゃないか。もしかして、強盗を目撃したのって」
「ええ、この子なんです」
なんでも、トイレに3時頃に起きたマクがダイニングに降りたところ、ちょうど玄関の扉の鍵をこじ開けて侵入しようとする泥棒と出くわしてしまった、とのことであった。
「それはさぞかし怖かったでしょうね」
ミアが同情するように話すと、怖くなんかないやい、とマクが裾をきゅっと握りしめる。
「本をもっていくって聞いたから、姉ちゃんが襲われたりしないようにって思って来たんだ」
マクが精いっぱい話している様子を見て、あらあら、とミアが好ましいものを見るように微笑む。
だが、俺から見ればしがみついているところや声が震えている様子からは明らかに怖がっていて、メリダから離れたくないように思えてしまう。
「強がりを言うんだったら、せめて裾から手を放してから言えよ……」
「レガロに言われたくないやい。いつもミア姉ちゃんと一緒なくせに」
「ばっ、俺は見習いな上付き添いだから、これも仕事なんだよ」
「こら、レガロ君。マク君に失礼ですよ、謝りなさい」
マクに言い返すと、ミアにたしなめられた。確かに大人げなかったと思い、口をつぐむ。
「すいません、メリダさん。うちの弟子が」
「いえいえ、マクと一つしか違わないのに、レガロ君は本当にしっかりしてますから」
マクは確か11ぐらいだったはずだから、メリダから見て確かにそうなのかもしれないけれど、比べられてややショックを受ける。そんな俺には気付かず、メリダは困ったように頬に手を当てた。
「けど、強盗に入られる危険があるのは怖いです。いざというときに、子どもたちを守りきれるかどうか……」
「そうですよね……」
ミアは話を聞きながら、機工絵本とカウンター裏へと視線を向けた。その先にはカウンター裏には数時間前に見た小包が置かれている。
(ん? なんか大きさが機工絵本と似通っているような……?)
そんな疑問を俺が浮かべていると、考えこんでいたミアが一つうなずいた。
「なら、この本はギルドで預かるというのはいかがでしょうか?」
「それはありがたい申し出です。ただ贈り主であるゼムナスさんにはなんと釈明したものか」
「ああ、そのことについてなんですが、素晴らしい出来だったのでより多くの人に見てほしいと孤児院側が寄贈した、と説明書きを添えて展示すれば、いずれ贈り主にも知られますし、気分を害されないと思います」
「贈与ギルド本部であれば、いろんな人が来られますし、噂も広まりやすいですからね。いいアイディアです、ミアさん」
「ただ、私個人としては、強盗の方が心配です。噂は広まるまで時間がかかりますし、孤児院に寄贈したと強盗側は知らず、今晩も来るかもしれません」
頬に手を当てながら心配そうに話すミアに、俺は、そうか? と疑問に思う。
子どもに顔を見られないまでも、背格好は見られているし、警察の捜査も入ったので警戒されている。さすがに今晩は来ないような気もするが。
そんなことを考えていると、こっそり、脇腹をつねられた。
「あだっ!」
「そこで提案なのですが、今晩、レガロ君と二人で孤児院にお邪魔させてもらってもいいですか?」
「え? ええ、まあ、構わないですが」
戸惑いながらメリダが、ミアの勢いに押されて提案に対して応じる。いやいや、どうしてそういう流れになるんだ、と本来なら指摘をいれるところだが、痛みに気をとられたときにはすでに話は決まってしまっていた。
「よかった! じゃあ、手ぶらもなんなので、お茶菓子を持ってうかがわせていただきますね」
嬉しそうにミアが手を合わせながら微笑む。
こうして、今晩、奇妙なお茶会が開催されることとなったのであった。
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