6日目
ーー6日め。いよいよ、「死」と向き合う時間もおしまいです。
Q6.
今日が最後の質問になります。
今まで、自分の死と向き合い、人生においてなにが大切かを振り返りました。
やり残したことはありませんか?
では、あなたにとって死んでもよい状態とは何ですか?
病気ではない状況で、こうなったらもう死んでもいい。
やり残したことはないと思えますか?
A6.
僕が人生においてやり残したこと。
それは、両親に自分の思いの丈を伝えることです。
昨日、僕は両親への自分の想いを書きました。まるで結婚式のスピーチを考えているかのような気分になりましたが、それもそのはず、僕は自分のこの気持ちを、結婚式の時にはじめて吐露しようと考えていたからです。
人と繋がる、というのは、人生の分岐点を作りだす出来事です。
数多くある出会いの中で、自分の以降の人生を最も大きく左右する出会いが、パートナーとの出会いだと思います。
結婚式というイベントは、区切りとしてとても相応しいものなのではないでしょうか。
僕は常々、「幸せな状態で死ねれば、それでいい」と言って暮らしています。
実際、幸せに死ぬことが最終目標であり、それに少しでも近づくためには、今の自分はどう生きればよいのだろう?と考えながら、日々励んでいます。
つまり、僕は「幸せであるならば、いつ死んでもいい」と考えている、ということになります。
あまりに自分勝手だ、という方もいるかもしれません。
ですが、お気づきでしょうか。
僕は、主体が誰であるか、一度も明言していません。
そして、この「幸せな状態である」ひとは、僕だけに限りません。
僕と社会とを繋ぐネットワークの中で、僕が死ぬことで少しでも影響を受けるひと、この全てのひとが「幸せな状態」になったとき、僕は初めて、心残りなく死ぬことができます。
……我儘ですね。
でも、人生で一度きり、死ぬ間際にだけ我儘を言ったって、バチは当たらないでしょう?
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最後になりますが、今回6日間、このように自分の死と向き合う機会を下さった さん、本当にありがとうございました。有意義な1週間を過ごすことができました。
本企画の成功を、祈っております。
令和二年 五月三十日
㐂夕(たななばた)
死の教育 㐂夕(たななばた) @penuzugu
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