3日目

ーー3日め。いよいよ「死」が近づいていきます。



Q3.


 残された3ヶ月という時間があっという間に過ぎ去っていきました。


 意識は良好ですが、ベッドから起き上がれなくなりました。

 残り1週間です。


 これから何をしますか?

 日常生活において、何が変わりますか?




A3.


 後悔なく死ぬ、というのは、非常に難しいことだと思います。


 夭折の運命を受け入れるには、3ヶ月という時間は短すぎます。


 行動の変容は出来ても、自分の心の奥底では、納得いかない気持ちが残っているはずです。



 寝たきりになって、余命まであと1週間。


 自分が死ぬまでに気持ちの整理をつけることはできないでしょう。



 であれば、自分ではなく、周りが気持ちを整理できるように、二つのことを実行します。



 1つ目は、僕の死後に目を向けさせることです。


 僕が死ねば、僕が考えていたこと、気持ち、感情などは、総て無に帰ります。


 しかし、僕の周囲の人生は、僕が居なくても続いていくのです。


 僕が居なくなってから、周りの人々はたくさんのことを成し遂げるでしょう。


 そのときに、僕の死が「障害」となり、立ち止まる要因になってはならないと思います。


 死者は帰ってきません。


 僕の死に「意味」を与えるのは、周りで生き続ける人たちですが、その人たちの人生が前に進み続けられるよう、僕が「死ぬ」ことではなく、「死んだ」ことに向き合えるように話をします。



 2つ目は、こちらは自己満足なのですが、「感謝」の気持ちを伝えることです。


 「感謝」という行為は、もちろん相手への尊敬の念なども含まれていますが、多分にエゴイズムを孕んでいます。


 感謝の言葉に対して、受け取り方は相手次第です。


 自分が感謝した「つもり」になり、良いことをしたという「気分」を味わいたいがために言う言葉であることは、疑う余地がありません。


 けれども、僕は死ぬ前に、周りの人に「感謝」を表したいと思っています。


 一見すると、一点目と矛盾しているように映るかもしれません。


 ですが、実際には、どちらも同じ方向性を向いています。


 「ありがとう」は、これからすることに対しても使いますが、基本的には「(○○をしてくれて)ありがとう」、と使うことが多い、過去指向性をもつ言葉です。


 過去から続いてきた物事を、そのひとことではっきりと「終わらせる」意味合いをもちます。


 僕は、この言葉を伝えることで、自分の生を「終わらせ」、相手が自分のいない生を生き続けるよう、差し向けることが出来ると考えています。



 以上の2点を軸に、僕は最後の1週間を、「別れ」ではなく「終わり」の時間として過ごします。

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