ラブコメ編 作家と編集 1

 とある編集部の一角にて、入社1年目の水無月葵は、ほとほと困っていた。

 それというのも、いま目の前で呑気に茶を啜る東極冬彦という作家を、ほぼほぼ丸投げの状態で一年先輩である新田穂奈美に任されたのが事の発端であった。


「あ、茶柱立ってる!」などと言いながらほっこりとした笑顔を向けてくる彼を眺めながらに、水無月は頭を抱えながら、新田に東極を丸投げされた三ヶ月前のことを思い返していた。


「東極先生って怒ったりとか全然しないから! 優しい人だから! ただちょっとバ……天然というか、そういう所がある人だから気をつけてね! あ! よく誤字とかの話になるけど、その時はマジでキレて構わないからね!」


 東極からの解放感からか、そう明るい口調で話す新田の言葉の真意が分からず、水無月葵は戸惑っていた。


――なぜ新田先輩は担当を外されたというのに、こんなにも朗らかな表情をしているのだろう……。

 というか新田先輩が編集を任されていたあのホラー小説……酷かったなぁ。なんか一部で話題になってそこそこ売れてたけど、でもやっぱりあれは……。

 でも、頑張ろう!

 作家さんと誠心誠意付き合えば、きっと良い作品は出来る筈だから!


 新田からの助言に嫌な予感はしていたが、彼女はやる気に満ち溢れていた。

 それというのも、彼女にとって東極が初めて自分一人で担当を任された作家だったからなのだろう。

 東極と何度も話し合いを重ね、ついに送られてきた原稿の出来は、彼女を戸惑いの底へ突き落とすのに十分な出来であった。


「茶柱って立ってると縁起が良いなんて事よく聞きますけど、本当なんですかね?」

 などとまだ呑気な垂れ事をする東極に対し、水無月は意を決して口を開いた。


「あの、東極先生……。なんていうか、その……原稿読んだんですけど……私と話し合っていたものとだいぶ内容が異なっているような……」


「そ、そんなまさか! だって僕達あんなに話し合ったじゃないですか!」


「そうなんですよね。私達あんなに話し合いを重ねたんですよ。でもですね、私のあの時間どこいったのかな?ってくらいに、その……。」


「ど、どこか……どこか気にくわない部分でもありましたか!?」


「いや、気にくわないとか以前に……そのぉ……」


「なんですか!? 誤字ですか!? 誤字ありましたか!?」


――あれ? これってまさか新田先輩が言っていた現象なのでは?

 そう薄々感づきながらも、水無月は冷静に言葉を並べようと努めた。


「いや、誤字なんて気にならないほどにですね――」


 しかし冷静さを欠いていたのは東極の方であった。


「そんなに誤字あったんですかッ!?」


――なんなの此奴マジで?

 言葉を遮られた水無月は、苛立ちを募らせてゆく。


「いやだから誤字ではなくてですね」


「どうしよう……すいません。今回時間が無くてあまり推敲できなくて……ホントたくさん誤字あったとは思うんですけ――」


「落ち着いてください、東極先生。今、誤字の話がしたいんじゃないんですよ」


「いやもう本当にすいません。やっぱり長い時間書いてると、集中力とかも段々と切れてしまってですね――」


「だからッ誤字とかの問題じゃないんですよッ」


 そして遂に水無月はキレてしまった。

 

「え?」


 ふだん大人しい水無月のキレっぷりに目を丸くする東極。


「え?じゃなくてッ! 誤字なんかどうだっていいほどに問題がありまくりなんですよッ」


「……。」


「なんなんですかッ? ほんと一体なんなんですかッ? 誤字で誤魔化せると思ってんですかッ!?」


「いや……その……でも誤字以外だと皆さん僕の検討も付かないことを仰るものですから……」


「だからって誤字に逃げないでくださいッ」


「……すいません。」


「というか本当にご自身で検討が付かないんですか? これッこの原稿ッ問題しかないんですけどッ」


「えーと……。どこだろう……。」


「もうどこから言っていいか分からないほどに全てですよッ。これって、青森の田舎から都会の私立高校に転校してきた少女が、海外から留学しにきている王子、茶道家元の嫡男、サッカー部の後輩、学園一ケンカが強い不良の美青年四人に囲まれながら学園生活を送る女性向け学園ラブコメの筈でしたよねッ」


「水無月さんと話し合って決めた感じなんで、そんな説明口調で言わなくても……」


「自分で言い聞かせなきゃ分かんなくなるくらいッもう訳わかんないんですよッこの小説がッ」


「え、えぇー……。」


 東極は水無月の気迫に怯えていた。

 そんな東極の反応に気付いたのか、水無月は我に返った。


――あれ? 私、なんで作家さんにこんなブチギレ噛ましちゃってんだろう……うそ……元彼が浮気してた時もキレなかった私が……だめだ、冷静にならなきゃ。


「……すいません、取り乱してしまって。じゃあまず、青森から東京に越してきた主人公の工藤 舞なんですけど、読者が感情移入しやすいように、どこにでもいる少女って設定で話し合ってましたよね?」


「……はい。」


「なんですか?『わー』って?」


「あ、それは青森の方言で、私って意味です!」


「それは知ってますよ、なにやっちゃってくれてんですか? 百歩譲って青森にいる間は『わー』で良かったかもしれないですけど、東京越してからも彼女ずっと『わー』言ってますよね?」


「方言かわいいかなと思って……」


「感情移入できないんですよ。青森限定で出版するわけじゃないんですよ、分かってます?」


「はい。直します。」


「次、転校した主人公が一番始めに仲良くなる金髪碧眼の留学生、マルレリルド・ミラルド第二王子なんですけど、彼はクールキャラでいくって仰ってましたよね?」


「影がある感じのクールキャラです!」


「……じゃあなんで一人称、『朕』にしちゃったんですか?」


「王族であり高貴なお方なので……朕でいこうかなと」


「いかないでください。ぶれまくるんで」


「はい、直します。」


「次、茶道家元の嫡男、繭水光一なんですけど、彼は先輩キャラなのに天然系というか、ちょっといつも眠たげな感じにするって仰ってましたよね、東極先生。」


「そういうキャラって結構人気あるんですよね!」


「そうですね。でも『僕(やつがれ)』これやめてください。」


「古風な感じがしてカッコイイと思うのですが……。」


「だからって全ての『僕』の所に一々フリガナ入れないでくださいよ……正直くどいんですよ」


「みんな読めないかなって思って……」


「もう勝手に頭の中で『僕(ぼく)』に変換して読み進めようと思ったけど、全箇所にフリガナ振ってあって、なんかすごい腹立ちましたから」


「……僕(ぼく)にします。」


「あ、これはこっちでフリガナ消しとくだけなんで良いんですけどね」


「……。」


「次、唯一の後輩キャラ、サッカー部一年エースの翼端 誠(よくは まこと)。短髪黒髪で笑うと八重歯が可愛らしい男の子って設定でしたよね?」


「ちょっと背も低いんですよね! でもちゃんと主人公を守ろうと頑張ったりとか! あ、あと! この子生まれが大阪なんで、この子だけ大阪弁って所も結構ポイント高いんですよね!」


「だからって『わい』はないですよ。東極先生知ってます?

大阪の人でも『わい』って言う人あまりいないんですよ。これ確実に関西圏からのヘイトかいますから、絶対やめてください」


「はい、すいません。あ!でも!響は問題ないですよね!?

一人称『俺』でしたから!」


「鋭い眼光の不良キャラ、荒峯 響。更生させてくれた主人公に恋心を抱くって設定でしたよね。えぇそうですね、『俺』ですね……更生する前は」


「……。」


「なんで更生した後、一人称『愚生』にしちゃったんですか?」


「……ちゃんと反省の色が見えた方が良いかなと思いまして」


「俺のままでいいですから。というか俺のままでお願いします」


「そうですよね。よくよく考えたら愚生って意味分からないですもんね」


「よくよく考えなくても分かってください、それくらい」


「……すいません。」

 東極は素直に頭を下げた後、水無月の顔色を窺いながら恐る恐る問う。

「これで全てですよね……帰っていいですか?」と。


「はっ?」と言葉を返した水無月葵の眉間を見て、東極は思う。

――人って、こんなにも眉間に皺を寄せることが出来るのか。と。


 パグより深い眉間の皺は、話がまだ続くことを案じさせるのに十分なものであった。


「東極先生、私、言いましたよね? この原稿には問題しかないって。だから一番直しやすい一人称の指摘をしたんですよ、はじめに」


「なるほど。」


「いや、なるほどじゃなくて……自覚ないんですか?」


「……。」


 黙ってしまう東極に対し、一度大きな溜め息を吐いてから、水無月は言った。


「もういいです、私、読みますよ。」と。

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