ホラー編 2
「ババァとの距離だけじゃ無いんですよッ」
「え、まだあります?」
「あるからわざわざ呼んだんでしょうがッ」
「……。」
「この後ですよッババァとの距離とかよりもッもっと問題なのがこのすぐ後でしょうがッ」
「えぇー、どこだろうなぁ」
新田がなぜこんなにも怒りを露わにしているのか本当に分からないのだろう、東極は彼女が机に叩き付けたまま放置していた原稿をそっと手に取りパラパラとページをめくっていた。
そんな東極を新田は――こいつマジかよ……。と、引いていた。
しかし彼女は少しの間、東極自身で自分がなぜこんなにもキレているのかを分かってくれると信じ待った。
それから数分後、パラパラと自分の原稿をめくった後、東極は顔を上げ言った。
「特に無いと思うのですが……。割と推敲も重ねましたし、誤字とかも無いような――」
新田は、東極のまたも的外れな言葉により怒りで肩が震えていた。
「私、言いましたよね、東極先生。誤字の話してるわけじゃないんですよ……つーかマジですか? 推敲した時、冷静になって書き直そうと思わなかったんですか?」
「……。」
東極は、黙る。
新田がどうしてこんなにもヒステリック気味にキレているのか分からず、だんまりをきめる。
だんまりをきめながら、学生の時分、先生に怒られた時の事を思い出していた。
先生に帰れと言われて素直に帰ったら、普通に早退扱いにされたのは今でも腑に落ちないなー、なんてなことを思いながら、手持ち無沙汰だったのかパラパラと原稿を適当にめくっていれば、ついに痺れを切らした新田が東極から原稿を奪い取り、読みだした。
(東極北彦 著 陽の目村 一部抜粋 読み 新田 穂奈美)
『尻餅をついたまま、目の前に立つ老婆を見上げる結城の喉元に、右手がゆっくりと伸びた。
彼にはもう抵抗する気力すら残されていないのだろう、振り払おうともせずに、その右手を受け入れてしまう。
老婆の右手が結城の首を握り絞めれば、その長い爪が彼の薄い皮膚を容易に貫いた。
老婆のその骨と皮しかない細腕からは想像が出来ないほどの力が結城を襲い、彼の体躯は宙に浮く。
死に対する恐怖心とは対に、ようやく解放され楽になれるという安堵感が複雑に入り交じった彼の顔は酷く歪んでいた。
涙としょんべんと首元から垂れる血で地面に出来た体液溜まりを、老婆は嬉しそうにキッキッと笑いながら眺めていた。
そんな老婆をぼうと見る事しか出来ずにいれば、やがて感情は消え失せ、結城の意識は段々と薄れていった。
彼は薄れ行く意識の中で、走馬灯を見ていた。
幼少時分の最古の記憶から、大学に進学し、オカルトという共通の趣味を持つ仲間達と出会い、そして今日までの記憶を彼は鮮明に見ていた。
そして、ある感情が彼の中に生まれる。
――あぁ、俺も夏木と同様に、この老婆に殺された後バラバラにされるのだろう。夏木。夏木? つーか夏木……あのクソビッチ……なんなんだよマジで。俺に気がある風に接していながら、他の奴ら全員と寝てたとか……。つーか俺も夏木に気があることあいつら全員知ってたよな? 裏で夏木と寝てたくせに、俺が夏木に気があることを話した時、応援するとかめっちゃ言ってくれてたのに……まじ俺ピエロじゃん。
ぃやだッやだやだやだッマジで死にたくないッ。
童貞のままッ死にたくないッ。
そう思った瞬間、結城の体躯に生気が戻った。
彼はキッキッと笑う老婆の顔、右側面に強烈な一撃を喰らわせれば、老婆の左目の眼球が衝撃で抜け落ち、彼の体は解放された。
老婆は空洞となった左目を抑え、うっうっと苦しそうに唸っていた。
ふと、結城は落下した眼球に目を遣った。
右目の眼球とは違い、左目の眼球は地面に落下しても潰れる事無く、テンテンテンと地面を弾んでいたのである。
結城は地面の上で大人しくなった眼球を手に取り、そして気付く。
それが、四星球(スーシンチュウ)であることに。』
そこまで読み終えた新田は原稿を机の上に叩き付け、この日一番の怒鳴り声を上げた。
「四星球ってッッッなんっだよッッッ」
東極は暫く新田の激しすぎる憤りに呆気に取られていたが、ハッとした表情で我に返り、説明しだした。
「あっ! ご存知ありませんでしたか!? 四星球は、四つ星が書かれた球で――」
東極の説明を途中で遮る、新田。
「そんな事は知ってますよッ。舐めてんですかッ!?」
「……舐めてません。」
「私が聞きたいのはッなに急にホラー小説でドラゴンボール始めてくれちゃってんだッってことが言いたいんですよッ」
「いやでも……これ大事な所で……。ほら! 新田さんも最後まで読んでくれたから分かってらっしゃるとは思うのですが、この後、老婆から四星球を手に入れた結城が老婆をぎりぎり倒し、他六人の老婆もなんとか倒して眼球……七つの球を揃え、殺されたサークルメンバーを生き返らせ、皆で力を合わせて村長を倒し村を封殺するっていう大団円があるわけで――」
「ほぼほぼナメック星編なんだよなぁッそれッ」
「……ちがいます。」
「なにが違うんだよ」
「ちょっと冷静になってくださいよ、新田さん」
「はぁ?」
「よーく考えてください。老婆の目玉が四星球だったら……めっちゃ怖くないですか?」
「おめぇのッその発想が怖ぇんだよッ」
「……。」
東極は黙り下を向きながら思う。
――新田さん絶対元ヤンだ。と。
「何とか言ったらどうなんですか?」
「新田さん……昨日、北野映画見ました?」
「はっ?」
「いやなんとなくなんですけど」
「見てませんけど。なにがおっしゃりたいんですか?」
「今日、めっちゃまくし立ててくるなって思って」
「東極先生がッドラゴンボールのまがい物みたいなの書いてきちゃうからでしょうがッ」
「……。」
また黙ってしまう東極に、新田は一度大きく溜め息を吐き冷静な口調で言った。
「とにかく、うちはジャンプじゃないんで……つーかジャンプでもこんなん載せらんねーけど、とにかくこんなのうちで載せるのムリですからね。書き直してください」
新田にそう忠告された東極の表情には、明らかな焦りが見て取れた。
「そ、そんなッそれは困りますよッ。すぐに金がいるんですッ。
大家のババァがここのところブチギレでうちに来るんですよッ」
「払えばいいでしょう、家賃」
「だからッこの原稿料で払おうと」
「じゃあなんでドラゴンボール書いてきちゃったんですかッ?」
新田の質問に東極は数秒黙り考えた後、照れ笑いを浮かべながら言った。
「まさに再起をかけたんです」と。
新田は東極を死んだ魚のように濁りきった目で見詰め、言った。
「うまくねーよ。」
了。
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