オンリーワンダー
二軒目三軒目と回るうちに当然酔いも回ってくる。
ロボが時々忠言を繰り返したが、織子は知らんとばかりに酒をかっ食らった。竹寺のほうもだんだんと正体をなくしていく織子を心配していたが、当の織子はその心配につけ込んで酒を飲ませていった。
結果、日付の変わるころには、完全に出来上がった酔っ払いがふたり学園都市の中に放たれることとなった。
「よくないな」
織子のスマートフォンから弱々しい声がした。
ああ、これはあの狂ったロボットだなと織子は理解する。かわいそうな奴め。アルコールで頭をぐるぐる回す快楽も知らずに発狂しているなんて。
「充電がもうないんじゃ。ぼくが動いていない中であんたらふたりをほっぽり出すのは危険が危ないが」
「竹寺さん竹寺さん、ほら、ロボが発狂してます」
「あららららら。ロボ、大丈夫? 狂ってる?」
意味もなく爆笑する二人。ノイズのようなものが織子のスマートフォンから鳴る。たぶんロボの溜め息だろう。
「世界が発狂しようとしているそうですしね」
「いけませんよ和泉さん。狂人の真似とて大路を走らば、すなわち狂人なりー!」
また笑う。なんとくだらない悪ふざけ。日ごと発狂する人間の頻出するこの場で、発狂を冗談のように扱う。あまりにも不謹慎。だがアルコールで壊れた脳には至極心地がいい。
「世界が発狂しようとしている!」
竹寺が大声で叫んだ。今度は笑ったのは織子ひとりだった。
「わかりますか。まだわかりませんか。狂っているのはあなただけなのに」
あははははは!
今度は竹寺がひとりで笑う。
不思議と、酔いが冷める気配はなかった。むしろこうなってしまった竹寺に積極的に絡んでいきたいと思える。妙といえば妙だ。普段の織子は酒が入ったからといってこうも距離を詰めることはない。
「狂っとるのはそちらでは」
「誰が見ても狂っている状態というのはどう定義しましょう」
「多数決で」
「ヨロシイ! 素人VS玄人のオセロですよ。最初から自分の色を増やそうと躍起になる素人は、最後には盤面を全部相手の色にひっくり返されて負ける」
「では今はまだ狂っていないほうが優勢だと」
「それだと最終結果が見えていることになりますがよろしいか」
「オセロはたとえ話でしょう。まあ、発狂している相手にたとえもクソもないか。じゃあ私はどっちに裏返りますか」
「あなたは碁石ですね」
「碁石。今度は囲碁でたとえるんですか」
「いいえ。五目並べもしません。あなたはオセロの盤面に置かれた碁石です。裏返しても色は同じで無意味。そもそもが異物なのに、遠目から見れば区別は難しい」
「近くで見ればいいでしょう」
「そこまで近くまでは寄れていないんですね。石を指すこともできない。勝手に繰り広げられていくオセロを眺めるしかないんです。だけど碁石が混ざっていると、ゲームバランスが崩壊しますよね」
「でしょうね」
「あなたが隅を取ってくれればまだよかった。隅の石はひっくり返らない」
「隅を取ると有利と言いますよ」
「あなたは試合に参加していないんですよ。碁石がオセロに混じってはいけない。なのにずけずけとルールを無視している。しかも隅でおとなしくしているわけでもない。素人のつたない指し手に碁石が干渉している。あれ、この石はひっくり返っても同じ色だぞ妙だなあととぼけてやがるんです」
「取り除けばいいじゃないですか」
「取り除かせてくれますか」
「イヤです」
「ほら説得も無意味だ。あなたはこれを狂人の言葉だと勝手に解釈してしまう。違うんですよ。どう考えてもオセロの盤面に乱入してくる碁石のほうが狂っているに決まってるじゃないですか」
「一理あります」
喋りながら、織子と竹寺は大学の構内へと侵入していた。ずいぶんと歩いたものだ。
「あなたはこのままだと後悔しますよ。私たちは先に行くのに、あなたひとりがここに置き去りにされる。碁石はオセロに参加できませんから」
「植木さん、いないんですか」
織子は植物園を抜けた先のラボのドアを叩いた。植木はいなくとも、ここにはロボの本体が設置されているはずだ。
「ほらそうやって耳を貸さない。やがてそのままあなたに帰ってきますよ。こんなその場しのぎをいつまで繰り返すんです。ドクトルだってわかっているはずなのに」
言いながら、竹寺は織子についてラボの中に入ってくる。言葉と身体が連動していない。
織子はラボの電灯を点けると、コンセントを見つけてスマートフォンに充電器を刺してつないだ。画面が明るくなるまで少し時間を食う。まったくどれだけ電池を食うのか――。
「竹寺乃音の脳室温に異常はないな」
ラボ内の機材からロボの合成音声が響いた。
「酔ってるだけだね。正気は失っているが発狂はしていない」
気づくと、竹寺はラボの机の上で寝息を立てていた。
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