CODE CRUSH
寿司屋『夕顔』で、織子は竹寺乃音と二人、無言で大して美味くない寿司を口に放り込んでいた。
「じゃあデートをしてきてください」
ラボで平身低頭する竹寺に対して、植木は残酷にもそう告げた。
植木の注文は簡単だ。これから明日へと日付が変わるまで、織子と竹寺は二人きりで過ごす。
「バッテリーが心許ないな。充電してくれね」
正確には、このロボも一緒だが。
植木は発狂倶楽部くんロボを、織子の所持しているスマートフォンにインストールした。織子が専用のアプリをインストールしたわけでも、植木が手間暇かけて織子のスマートフォンにAIを搭載したわけでもない。ただ植木がロボの入っているスマートウォッチを織子のスマートフォンに
次にロックを解除すると、織子のスマートフォンのホーム画面ではあのブリキのロボットのアイコンが落ち着きなく動き回っていた。
ひょっとしなくても、このAIはかなり危険な代物なのではないかと思ったが、今さらな感想とも言えた。なにせ発狂したロボットである。それが汎用人工知能としての機能を獲得している。人類を脅かさないのは、発狂しているから――と言ってしまえることさえできた。
織子は店主の海藤にかんぴょう巻きを注文するついでに、スマートフォンを充電させてもらえるように頼んだ。海藤は少し厭な顔をしたが、誰もいない座敷席の隅にあるコンセントを使えと無愛想に言った。
織子のスマートフォンに入ったロボは常にバックグラウンドで動いているし、スマートフォンの状態を無視して音声を発することさえできる。その代わりに大層な電力を消費してしまうのだが、バッテリー切れだけはどうしても覆せないらしく、こうして充電を催促してくる。これで今日三度目だった。
カウンター席に戻ると、竹寺がびくりと身を竦める。
仕方のない反応ではある。なにせ直近二回の発狂に、どちらも織子が関わっている。織子の存在が竹寺が発狂するトリガーとなっている可能性は大いにあった。
植木も同じ考えらしく、そのために織子のスマートフォンにロボを潜り込ませた。
曰く、ロボには竹寺が発狂するかどうかを常に測定させるようにする。だから二人は安心してデートを楽しんできてください――ならそもそもデートをさせるなと言いたかったが、植木は笑っていた。
これはチャンスである。植木は笑いながら言った。
「発狂の謎を解明するチャンスです。竹寺くんも、何度も何度も発狂しては身が持たないでしょう。根本原因を探り、対策を検討することで、発狂の根治を目指すわけです。今回のデートは、その第一段階にすぎません。現状では和泉さんの存在が大きな要因のように見えていますが、狂人の理屈に道理は通じませんからね。単に竹寺くんが発狂したタイミングに和泉さんが居合わせただけなのかもしれない。そうした細かい点を検証していきたいんです」
嘘だな、と思った。
植木は発狂の根治とやらには、明らかに興味がない。その場その場で狂人を発狂から救い出してこそいるが、結局のところは謹製のAIの動作確認と学習のためでしかない。
なぜだか、植木は発狂を受け入れているようにさえ見えた。仕方のないものとして、諦観の域に勝手に到達している。
世界が発狂しようとしている――からなのか。
個人個人の発狂ならばまだ手の打ちようはあるのかもしれない。だが世界自体が発狂してしまえば、もはや打つ手はない。
植木は世界を止めようとはしていない。だけど個人の発狂に対しては対策を講じている。
この噛み合わない加減がどうにも気持ち悪い。
「竹寺さん」
織子は熱い茶を啜っている竹寺を刺激しないよう、小さく声をかける。
「は、はい」
「あなたと植木さんとのことを、詳しく話してもらえませんか」
「ドクトルとの……?」
「植木さんは大学で教鞭を執っているわけではないと聞いています。そんな彼とあなたがどうして、そのような呼び方をする間柄に?」
竹寺は、そこで初めて笑った。
「簡単ですよ。私が最初に発狂した時に、助けてくれた人だからです」
予想はできていた。竹寺は昨日発狂から帰還した際に、『また?』と訊いている。以前にも発狂し、植木の――ロボの力でこちら側に戻ってきたことは、ほかならぬロボ自身の発言によって説明されている。
「二週間ほど前だったと思います。私は気付くとあのラボにいました。そこでドクトルから、私が発狂したこと、今は回復していること、自分の名前は植木蘭人で博士号だけは取っているから人は自分を『博士』だとか『ドクトル』だとか呼ぶ――ということを伝えられました。私の学生証を渡されて、『君は情報工学科の二年生、竹寺乃音ですね』と聞かれたので、『はい』と」
二週間前――連続発狂事件が大々的に広まるより、少し前になる。
「それだけです。あんなんでも一応、恩人ということになりますから。博士って呼び方もなんだか妙な気がして、ドクトル、と」
「二週間前、あなたが最初に発狂した時――その前にはなにかあったのですか?」
「そんなものはないに決まっているじゃないですか」
室温が――上がった。
「データが設定されていません。不要な情報を搭載すればするだけ容量は増加していきます。よって平常時の設定に不都合が生じない設定のみを搭載しています」
「――ロボ」
織子はゆっくりと椅子から腰を浮かせ、座敷席へと移動する。ロボの入ったスマートフォンが、今の織子にとっての命綱だ。
「室温上昇を検知。データは取れてますよ」
「そうじゃなくて」
なんとかしてくれと泣きつきたかったが、相手は発狂したロボである。
「大丈夫だね。竹寺乃音は発狂していない。ただちょっと、あんたがきわどいところを攻めすぎたからな」
発狂していない? あれは午前中に織子に見せた狂気そのものではないか。なんなんだ、こいつらの発狂の定義は。
「戻って、会話を続けるといいんじゃない」
どうやらロボは織子を助ける気はないらしい。悪態を吐きたいのをぐっとこらえる。かといって会計も済ませず竹寺ひとりを残して逃げ出すわけにもいかない。
結局織子はロボの言う通り、カウンター席に戻って竹寺と会話を試みようとすることにした。
「二週間前にはなにもないと仰った。あなたは――本当に竹寺乃音という人間なのですか」
「竹寺乃音の存在は保証されています。疑問を挟む余地はあなた方には与えられていません」
「なら私の言っていることは、なんなんでしょう」
「狂人の戯れ言ではないでしょうか」
織子が沈黙すると、竹寺はそのまま店主にウニの軍艦を注文した。
出されたウニを口に放り込む横顔を呆然と眺める織子の視線に気付いたのか、竹寺は居心地が悪そうにこちらを見た。
「高いネタ、やっぱ駄目ですか……?」
この店は織子が奢ると最初に言っていた。
継ぎ目が、わからない。いったいどこから竹寺は狂気の中にあって、どこから平静に寿司を食ったのか。
いや――ロボの言った通り、そもそも発狂していないのか。
では今の会話はなんだった。竹寺は正気のまま、織子に意味の取れない発言を繰り返したのか。
ならば狂っているのは――そこまで考えて、織子は疑念を振り払う。
危険な兆候だ。自分の正気を疑い始めればいくらでも疑い続けることができてしまう。
「どうぞ。好きなものを」
織子は自分も大トロを注文し、竹寺と値段のグレードを合わせる。店に入ってからほとんどかんぴょう巻きしか頼んでいなかったので、勝手に萎縮させてしまったのだろう。
仕方がないことではある。大トロを口の中に放り込んで、織子は苦い顔をする。この店で味が保証されているのはかんぴょう巻きだけなのだ。
確かなものなどどこにもないとはわかっている。織子は口の中を熱い茶で洗浄して、またかんぴょう巻きを注文した。
たとえばこの細巻きの中身がかんぴょうでもきゅうりでも、織子たちには大差ない。
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