Naked

「ドクトルこんにちはー。あっ、どうも」

 ラボのドアを開けて入ってきたのは、昨日発狂してロボの力によって正気へと戻ってきた竹寺乃音だった。

「おや竹寺くん。また発狂でもしましたか?」

「もう! そんなに何度も発狂しませんよ……ね?」

 竹寺は最初こそ冗談と受け取ったが、急に冷水を浴びせられたように青ざめる。

「博士」

 ロボが鋭く諫める。

「いやいや失敬。大丈夫ですよ。君は二回も生還したんですから、そう易々と正気を失うことはないでしょう。それでなにかご用ですか?」

「ええっと、昨日助けていただいたお礼とお詫びを、と思ったんですけど」

 見れば竹寺はデパートの紙袋を持っている。菓子折かなにかを持ってきたのだろう。

「ドクトルには必要ないですね! ということで、はい!」

 竹寺は紙袋の中から綺麗に包装された箱を取り出すと、織子に手渡した。

「昨日はご迷惑をおかけしたみたいで、すみませんでした。えっと、お名前は……?」

「和泉織子です」

 織子は箱を受け取ると、名刺を差し出す。竹寺はあたふたとしながら名刺を受け取る。

「イズミオリコ」

 気のせいか、ラボの室温が上がった気がした。

「私は竹寺乃音です。竹寺乃音はとてもいい娘です。竹寺乃音は速やかに生え、伸びます。竹寺乃音の脳室には高濃度のマドン。竹寺乃音の脳は高室温によって珪素化したのちも室温を高め続けます」

「竹寺さん……?」

「ロボ、データは取れてるかい」

「バッチリ完璧。ただこのままだと室温が高くなりすぎますね」

「困ったなあ。発狂カラテを無力化できるような腕前はないし、はまだまだ未完成だし」

「ぼくに言われても困るんですがね」

 呑気に会話する一人と一体。それはそうだろう。竹寺乃音は完全に織子のみを標的として定めている。

 竹寺の口から溢れる言葉はもはや意味を成していない。それでも機械的だとわかる調子で、矢継ぎ早に言葉になっていない言葉を織子に向かって吐き出し続ける。

「植木さん――」

「下手に動かないほうがいいですね。じっとして、できるだけ引き延ばしてください。ロボの貴重なデータになる」

 助けを求めようとした織子が馬鹿だった。

 竹寺は三度目の発狂を迎えていた。

 きっかけはなんだ。やはり織子の存在か。竹寺が行き着く先の世界とやらはどこまで織子を目の敵にすれば気がすむのだ。

 また狂人の腕力で掴みかかられてはたまらない。植木は織子の心配よりもロボの学習のほうにかまけているが、言うことは正しい。下手に刺激せず、この呻き声を上げさせ続けておけばひとまずは無害だ。

 それにしても暑い。室温が高すぎる。冷や汗ではない玉のような汗が吹き出し、肌をじっとりと濡らしていく。

「うーん、まずいなあ」

「室温下げたほうがいいよ。下げますね」

 冷房が唸りを上げる。どうやらロボはこのラボの空調にもアクセスできるらしい。

 なぜ急に室温が上がったのか。冷房の風が吹き荒れるラボの中で織子はまだ汗が引かないことに苛立ちを覚えていた。

 この部屋に暖房設備はないと植木は以前に言っていた。今朝室内に入った時を思い返すに、もともと冷房は入っていた。機材からの排熱を冷却するためだろう。

 だというのにこの急激な室温の上昇。機材が熱を持ったのか。それとも――気のせいか、脳が熱い。

「室温が高い! 脱いでもいいか?」

 いきなりラボのドアが開いたかと思うと磊落な声が上がり、巨大な影が竹寺の背後に迫った。

 竹寺が振り向いたと同時に、大きな平手が竹寺の顎を弾いた。平手打ちなどという生易しいものではない。その証拠に、さらに二発三発と平手が叩き込まれる。

 ――突っ張り。

 相撲の基礎であり最速最長の波状攻撃。

 竹寺の頭がぐらりと揺れる。すかさず腕を首にかけながら腋の下に通して横転し、相手の腕を絞めの輪の中に入れることによって頸動脈を圧迫して絞め落とす。腕で絞める三角絞め――ねずみとりと呼ばれる絞め技。

「熱ぃ。脱いでもいいか?」

 竹寺が落ちると、現れた男は冷房の風の当たる場所でタンクトップをばたばたと煽ぎ始めた。

 一瞬で竹寺を無力化した敏捷さに見合わぬ巨躯。身長も大きいが肉体の体積も大きい。筋肉で膨れ上がった身体が急に現れれば、影が差したと錯覚するのも致し方ない。

城戸きどくん、せめて落とした相手をここに寝かせるくらいのことはしてもらえませんか」

 植木は床に倒れた竹寺の身体を難儀して机の上に持ち上げようとしていた。

 織子は手を貸そうとするが、その前に植木は諦めて、床に寝かせたまま昨日と同じ電極パッドを頭に貼り付ける。

 またロボによって竹寺を正気に引き戻そうとしているのだろう。ロボのアナウンスが始まり、急に室温が下がり始めた。

「そういえば城戸くん、なぜここに?」

「あ? ドクトルがメッセージ送ってきたんだろ。救援求む。対象者発狂のため関節技不可。速やかに絞め落とされたし――とか、わざわざ注文までつけてきやがって」

「ロボ、それはちょっと越権行為だよ」

 植木は厳しい顔をしてキーボードを操作しながらモニターに向かって呟く。

 どうやらロボが、植木のアカウントを勝手に使用してこの男にSOSを送ったらしい。AIが人間のアカウントを利用して自らの意思で発言する――一歩間違えれば大問題になりかねない。

「緊急事態ですからね。博士も動けば危なかった。なら肉体を持たず機器にアクセスできるぼくが水面下で救援を呼ぶのが一番なんじゃないかな」

「確かにそうだが――いつの間に僕のアカウントを掌握したんだ」

「ごめんなさい。まあ助かったんだからよいでしょう。現世理論強制適用を実行中。マドン未検出状態への移行まで約一分」

「長いな……」

「あの、この人は?」

 織子はタンクトップ一枚で快適そうに室温に順応している男を目で指し示して訊ねる。

「城戸稲丸いなまるくん。生命環境科学部の院生です」

「三年連続わんぱく横綱。中学柔道三大大会全制覇。オープントーナメント全日本空手道選手権大会二連覇」

 ロボがすかさずプロフィールを補足する。大学院生とは思えない肉体だが、それに見合うだけの凄まじい経歴だ。むしろ大学院生をやっていることが異常に思えてくる。

「発狂カラテに対する最善の手は、圧倒的な実力差で封殺すること、というのが現状での結論でして。城戸くんはご覧の通りの達人ですから、発狂カラテが相手でもこうやって簡単に無力化してくれます」

「残り六秒。四秒。一秒。完了しました」

 ロボが言うと、植木は竹寺の顔に貼り付けた電極パッドを剥がす。

「痛っあい!」

 そう叫んで、竹寺は三度目の生還を果たした。

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