メッセンジャーフロム全世界

 出社するとすぐに小谷信理部長が駆け寄ってきた。

「和泉さん、昨日なにをしました」

 織子は胸を詰まらせ、自分の吐息を掌で確認した。

「やっぱり抜けてませんか」

「いや、酒臭いのはいいとして――よくはありませんが、会社ウチに大量の投書がきてるんですよ」

「俳句ですか? 短歌ですか? 日常ほっこりエピソード?」

「まあ読んでください」

 小谷部長は織子のデスクに山と積まれた紙束を指さした。厄介事を押しつけられたかと辟易するが、封書や便箋の宛名を見て身を乗り出す。宛名は新聞社の住所に社会部気付――和泉織子様。

 ざっと確認したところ、判で押したように全て同じ宛名であった。だが素人目にも筆跡が全員別人であると示している。差出人は書いてあるものと無記名のものが半々くらいで、全ての差出人に織子は全く心当たりがなかった。

 とりあえず一番上に置いてあった便箋をひっくり返して内容を読もうとする。が、不可能であった。書いてあるのは日本語ではない。どころか全く見覚えのない文字であった。強いて言えばひらがなやハングルを金釘流にしたものに近いが、秩序も法則もない滅茶苦茶な殴り書きの羅列である。

 ほかも大半が似たようなものであった。無論同じ系統の文字は一つとして存在しない。全員が全員、得手勝手に独自言語を生み出して手紙をしたためているらしかった。

 たまに日本語で書かれたものも見つかったが、はっきり言ってこちらのほうが頭が痛かった。意味をなさない文字の羅列という意味では同じ。だが漢字ひらがなカタカナが読める分、なにか意味があるのではないかと余計に頭を使ってしまう。

 投書の山を半分ほど崩したところで、織子は読めないものに意味を求めるだけ無駄であると割り切った。そこからは早い。結局意味を求められるものは一通として存在しなかったからである。

「悪質ないやがらせであれば、警察に通報しますが」

 織子が投書を片付けたのを見計らって小谷部長がしかつめらしく言ってくる。便箋に直書きされた投書も多かったから、意図せず中身を見てしまっていても不思議はない。見られても問題ない――なにせ内容がない――ものばかりであったが、かえって小谷部長の不安を煽ってしまった部分もあるはずだ。

 いやがらせ――いやがらせか。そんな生温いものではないことくらいは織子にもわかった。これだけの数の住所と筆跡と独自言語をひとりあるいは数人で使い分けられるはずがない。差出人は全員別人だ。彼ら彼女らが一様に織子に意味をなさないメッセージを送ってきたということに、なんらかの意味はあるはず。

「いえ、大丈夫ですよ。読みますか? 無害なもんです」

 小谷は汚らわしいものでも見るように投書の山から身を引いた。織子はこの投書を社で保管し、以降も届くようであれば同様にしてほしい旨を告げた。

 投書を片付け散らかったままのデスクで織子は昨夜のはしご酒で得られた情報の確認と裏取りを進めた。『夕顔』の店主の言の通り、学園都市内の飲食店で時折発狂する者がいたことは確かなようだった。これらの話は店側よりも常連客から聞き取ることができた。サークルの後輩が発狂したと話す大学生、同僚が発狂したと話す会社員。しかし彼らからはあまり悲哀は感じられなかった。

 発狂はいつの間にかチープな事件スリルに堕していた。もはや誰かしらが発狂するのは日常であり、ショックもサスペンスも介在する余地はない。だが不思議なことに明日は我が身と怯える者は皆無であった。当然である。正気であるということは正気であることを自覚しないこと。ゆえに発狂とは正気の者からすれば自分とは全く無縁の産物。

 発狂した者たちも同じ考えだったという確信めいた憶測が、すでに織子の中でできあがっていた。彼ら彼女らが以前より発狂に怯えていたのなら、この時点で織子の耳に入っているはずである。しかし発狂した者に共通点はなく、周囲からも事前になんの異変も察知できていない。

 発狂は突然やってくる。

 昨日手に入れた発狂した者の氏名と、すでに新聞社で把握している発狂した者の氏名を照らし合わせていく。重なるものはあまりなかった。これは不確かな情報を掴まされたのではなく、こちらが把握できていない多くの発狂者が存在することだと結論づける。

 何人かの氏名を確認していると、見覚え――というには弱いが、どこかで見た記憶のある名前がいくつか見つかった。

 先ほどの投書の山をまた引っ張り出してきて、差出人の氏名の確認に移る。

 やっぱりだ。発狂者の氏名と同じ差出人がかなりの数発見できた。中身は無意味な文字とも呼べないものばかりなのに、宛名だけはどれも律儀に書いてあるのが不思議というより不気味ではあったので記憶に残っていたのだ。

 新聞社の把握している発狂者と投書の差出人に書かれた人物の氏名と住所は全て一致していた。

 となれば、昨日聞いた発狂者の氏名を投書の中から探す。なんとも奇妙なことに、その全員が投書を送ってきていた。

 一応もう一度内容を読んでみる。やはり意味をなさない記号だか文字だかわからないものの羅列ばかり。

 最後の一通。これは日本語――正確にはひらがなとカタカナと漢字で書かれたものだった。以下はその内容を可能な限り文字起こししたものである。


  大三体ふじこ三走み学ばこ来り魔やかしへき妖やかしくぁせ行列シグマ隊長体方けだしネックセリア


 実際にはこんな行儀よく書かれたものではなく、文字の大きさや並びも滅茶苦茶で、文字に起こして四十五文字しかないことに気付いた時は驚いた。

 四十五文字――五十音が四十六文字であるが、この文字列には同じ文字が複数使われているから対応して暗号になるというわけではあるまい。

 四十五を素因数分解すると三・三・五になる。冒頭に「三」が二回出てくるので、三を二回使って九文字かける五行に並べ替えてみた。

 

  大三体ふじこ三走み

  学ばこ来り魔やかし

  へき妖やかしくぁせ

  行列シグマ隊長体方

  けだしネックセリア


「大学へ行け……」

 簡単な縦読みである。こうも簡単にメッセージらしきものが出てくることには驚いた。送り主が意図して文字を書いたのか、あるいは織子が勝手に意味を見出してしまったのか。

 おそらくは後者であろうと、織子は薄ら寒さを感じていた。本来の手紙の文字は並びもばらばらで、文字に起こし順序立てたのはあくまで織子の手によるものである。つまりこのメッセージは、織子が勝手に作り出したものにすぎない。

「まあ、行こうとは思ってたけどさ」

 学園都市の中枢をなす大学。しばしば冗談交じりに「核実験をしている」だの「生物兵器を開発している」だのと言われるこの機関に、取材に訪れる必要があることはわかっていた。

 学園都市内でこれだけ発狂事件が相次いでいる以上、大学もなんらかの対応策を練っているかもしれない。

 もっといえば、全ての元凶は大学にあるのかもしれない。

 とにもかくにも発狂事件が学園都市内に限定されている以上、学園側の関与を疑うのは当然の帰結である。

 もう少しで昼時だが、織子はいても立ってもいられずに会社を出た。シェアサイクルに跨がって学園都市の中心に向かう。わけのわからない投書に発破をかけられたのか、単に自分の直感を信じたかったのかは定かではない。どちらにせよ正気の沙汰ではないことは確かだ。織子はいつだって自分の正気を疑っている。

 怖いのだ。

 自分もまた簡単に発狂してしまうのではないかという恐怖は常に付き纏う。

 だからここまで連続発狂事件に惹かれるのか。己の行き着く先をのぞき見しているようで肝が冷え、安堵するから。

「世界が発狂しようとしている!」

 またどこかで、狂人の叫び声が上がった。

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