第28話 山下一美の夏祭り
「一美ちゃーん、お待たせー!」
美徳実は私を見つけるなり、浴衣で動ける精一杯の全速力で走ってきた。夕暮れに息を切らすその姿は、長年一緒に住んだ可愛い妹のようだ。
「ちょっとあんた、ここで体力使い切ってどうすんのよ。お祭りはこれからよ?」
今日は久しぶりにみんなと会う。懐かしい面々に会えるのが嬉しいけど、私はどうしても確認したい事があった。それさえ分かればもう心残りはない。
「えへへ、久しぶりのお祭りだもん。楽しくなっちゃって。あ、一美ちゃん今日は髪の毛縛ってるんだね。格好良いなぁ」
浴衣を着る時はいつも、髪を結っていた。と言ってもヘアゴムでまとめただけのポニーテールだ。
「あいつは一緒じゃないの?」
「強志君は今日料理教室の先生やってて、夜には合流出来るって言ってたよ」
美徳実達が付き合い始めて数ヶ月。世間は夏の終わりかけ。この街では今日が最後の夏祭りだ。規模はそんなに大きくないけど、会場の公園のど真ん中に太鼓を囲んだ踊り場があり、屋台はこれでもかと並んでいる。
「由奈は来るの?」
「うん、細田先輩ももうすぐ着くと思うけど、先行っててって連絡あったから、そろそろ行こう?」
私達は屋台を回った。片手に綿菓子、片手にリンゴ飴を持つ美徳実は、口の周りにさっき食べた焼きそばのソースが付いている。最近この子はとても明るくなった。言うまでもなくあいつのおかげだと思う。美徳実がこうして明るく元気にいてくれる事は、私にとって何よりも嬉しい事だった。って私今この子のお母さん目線になってるわ。
「美徳実、ちょっと来て」
パタパタと草履を鳴らし近付いてくる美徳実を、屋台横のベンチに座らせる。
「あのね、私から一つお願いがあるの。もしあなたに子供が産まれたらなんだけど」
「嫌だな一美ちゃん、そんな先の話」
美徳実の言葉を遮り、私は話を続けた。
「もしそれが男の子でも女の子でも、ずっとずっと、その子達のお母さんでいてちょうだいね」
美徳実は賢い子だ。私の言葉尻や雰囲気で、いつも何を伝えたいのか察してくれる。この思いやりは私の得意とするところではない。だから私の隣にいてくれるんだよね、きっと。
「うん、もちろんだよ。一美ちゃんのためにも」
美徳実は私の手をギュッと握ってくれた。もうあの時の心細い彼女ではなく、芯のある強い女性の手になっていた。
「じゃあ私からも一つお願いがあるの」
「何?」
「一美ちゃんも、同じ約束してね。子供の事を死んでも守ろうとしないで。必ず生きて守り抜いてね」
「言われなくても分かってるわよ。全く、なんか話してたら恥ずかしくなってきたわ。たい焼きでも食べましょ」
しばらく食べ歩いていると、打ち上げ花火が上がった。あいつも由奈も、まだ来てない。
「あの二人はまだ来れないの?」
「んん、もうすぐ着く思うんだけど。私ちょっと探してくるね!」
そう言って美徳実は走り出してしまった。仕方ない子ね、と言いながら周りを見回すと、公園の端っこにオロオロする人影が見えた。見つけた。私は美徳実に連絡を入れず、その男に向かっていった。
「ちょっと顔貸しなさい」
私は世中を無理やり公園の端の木の裏に拉致した。
「山下?! 今度はお前かよ」
「何よ、今度はって。まぁ良いわ。今日はどうしてもあんたに確認したい事があるの」
木の壁に手をつき、間近で見つめる。本当に何でこんな冴えない奴の事なんかを…。
「これが噂の壁ドンってやつだよな。普通は逆だと思うんだが」
「話を逸らさないで。私が聞きたいのは、あの屋上での告白の返事なの」
世中の顔が固まる。そりゃ私だって訳分からない事言ってるのは分かってるわよ。でもこの気持ちをスッキリさせるには、これしかないの。
「いや、あの件はクーリングオフしたじゃないか。そもそも俺は今美徳実と付き合ってるんだから」
「そんなの分かってるわよ。それとこれとは話は別なの。あんたの気持ちを確かめないとスッキリ出来ないの。で、どうなの?」
世中はゆっくりと視線を花火に向けた。今は花火の音よりも、こいつの言葉の方が大きく聞こえている。
「俺は、お前の事、好きだ」
花火の音が全く聞こえない。今は世界中にこいつと二人きりなんじゃないかと思うくらい、何も感じなかった。
「何言ってるのよ。そんな事聞いてるんじゃないの!」
私の欲しい答えはそんなんじゃない。一言嫌いって言ってもらえれば、この気持ちもリセット出来るんだから、その言葉をもらいに来たはずなのに、こいつは何でいつも予想しない事言ってくるのかしら。
「まぁ聞けって。俺はお前が好きだ。そして細田も好きだ。もちろん美徳実も好きだ」
「何堂々と三股宣言してんのよ!」
「違うんだって。とにかく聞いてくれ。俺は美徳実の誕生日の日、お前の家に行ったよな。あの時の山下の思いやりには本当に救われた。感謝してる。そしてその後考えたんだよ。何か恩返し出来ないかって。で色々考えてたけど、お前は大抵の物は持ってる事に気付いた。何たってお嬢様だからな。だから他に何か無いか考えたんだ。そしたら意外なもんを見つけてさ。それが一番良いと思ったんだ。それは、ずっと山下の友達でいる事」
私は胸が苦しくなった。こんな気持ちで悩まなきゃいけなくなったのは、こいつに会ってからだ。
「どんな時も分かり合えて、何か困ったら助け合って、これからの人生をお互いに支えてより良くなれる、そんな友達でいる事が、お前への感謝の気持ちだ」
「だからって好きとは違うじゃない」
「それな、俺調べてみたんだ。好きの反対語。そしたら嫌いじゃなかったんだぜ。好きの反対は無関心なんだってさ。だから自分のこの気持ちにも納得出来た。俺にとってお前は無関心でいられない、そして嫌いでもない。だったらこの気持ちは、やっぱり好きなんだ。だから俺の結論は、山下は俺にとって、本当に好きな親友なんだよ」
何よ、そんな事さらっと言っちゃって。こっちの調子が狂うじゃない。私が求めた言葉より納得する答えを持ってくるなんて生意気よ。
「だからありがとうな、山下。これからもよろしく」
握手を求められた手に、嫌々ながらも私は応じた。こんな形で終わるとは思ってなかったけど、スッキリした事は間違いない。私の聞きたかった事はもうこれで充分だった。
「美徳実があんたを探してたわよ。こういう時はだいたい私を見つけるために冷たくて甘い物の店で待ってるはず。たぶんカキ氷屋よ。私はトイレ行ってから追うから、早く行ってあげなさい」
「やっぱお前ら通じ合ってんだな。ありがとう」
そう言って世中は屋台の方へ走って行った。
「あーもう。こんなに泣くなんて何年振りだろ」
ギリギリだった。視界からあいつが消えたとたん、目から熱い涙が溢れた。私は途切れた思いを繋ぎ直せずに、しゃがみこんでしまった。こんな姿あいつに見せられない。そんな事したら美徳実を裏切ってしまう事になる。だから私はひっそりと、木の影で泣いた。花火の音で泣き声が聞こえなくて、本当に良かった。
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