第26話 想い出との再会

「何で、ここにいるんですか?」

 駐車場に座り込んだ私は、朦朧とした意識の中でゆっくりと返事をした。飲んだ缶も、トートバッグも、そこら辺に転がってるが、どうでも良かった。

「田中ごめん。俺が間違ってた。本当にごめん。これ、受け取ってくれ」

 赤いプレゼント袋を目の前に突き出される。その手はまるで、私が生徒手帳を返した時のように、まっすぐ伸びていた。

「いらないです」

 もらえない。そんなんが欲しいんじゃなかったのに。受け取ったらまた、元に戻っちゃうよ。この声を聞くたびに、私は自然と心が落ち着くんだ。だからもう近くに入れない。その声を聞く資格は私にないんだ。

「頼む!受け取ってくれ」

 いつだって先輩は真剣でさ、羨ましいよ。それにそんなに息切らしてさ、こんな真夜中に。こんな場所で。…もしかして、探してたの?

「やっと見つけたって、私を?」


 目の前が潤み、涙が一つ溢れて、コンクリートを濡らした。悔しい。泣いている自分が酷く悔しい。先輩の両手が私を抱きしめた。

「ダメっ!」

 私は思いっきり突き飛ばした。先輩はよろけて地面に倒れる。もうそのまま帰ってよ。忘れさせてよ。あなたは何度も何度も私を見つけてくれる。不安な時も辛い時も、どこにいたって探し出してくれる。それが今は、どんなに苦しい事か。それが今の私にとって、どれだけ心を締め付ける事か。

 その後何回も、先輩は抱きしめてくれた。その度に突き返した。何度も倒れてる。でままだ諦めてない。ただひたすら無言で、私を包もうとする。何でそんなに諦めが悪いの。擦り傷だらけの両手で、もう一度抱きしめられた時にはもう、突き返す力も気力もなかった。

「俺、二年間さ」

 話し始める先輩の声に負けそうな自分がいる。この声は時が経っても、私の心には響き過ぎる。何で私なの。何でよ。

「ずっと思ってた。こんな時になって嘘みたいで、都合良いと思われるかも知れない。でもこれは、本当の事なんだ」

 嘘だなんて思わない。あなたはこんな時に嘘つくような人じゃない。だから心から惹かれたんだ。いつも真っ直ぐで、素直で、私に足りないところをたくさん持っていて。いつも心の支えになってくれた。

「放ったらかしにして悪かった。側にいれなくて申し訳なかった」

 そんなの知ってるよ。先輩だって辛かったの知ってるよ。だから私はわがまま言っちゃ駄目って思ったんだよ。私だって我慢してたんだよ。私は小さくなりながら、先輩の胸の中で重い口を開いた。


「違うの。私は連絡がなかったからとか、一緒にいれなかったからとか、そんなの全然気にしてません」

 もう堪えられそうもないよね。私は我慢してたものが一気に涙に変わり、わんわん泣きじゃくった。

「私だって一緒にいたかった。連絡もずっと待ってた。一緒に歩きたかった。一緒に笑いたかった。一緒に遊びたかった。一緒にご飯食べたかった。一緒に映画観たかった。一緒にデートしたかった。一緒に喧嘩したかった。一緒に。一緒に。でも、何よりも、あなたの支えになりたかった。あなたを支えてあげたかった。側に入れなくても、辛いけど、我慢出来た。話出来なくても、寂しいけど、分かっていられた。でもあなたは私を頼ってくれなかった。同じ悩みで大変な思いをしたかった。ただそれだけなの。あなたの心の中で、支えになりたかったの」

 息継ぐ暇もなく、感情のまま、ただ息を吐くように、私は喋った。先輩の服を強く握りしめて、ただ泣きじゃくった。


「ごめんな、気付いてあげれなくて」

 やめてよ。もう喋らないで。

「ただ俺は、田中の事を忘れたことなんてなかった」

 やめて。もう。私だって忘れた事なんてなかった。忘れられないよ。

「それに支えになりたいのなら、その必要はないよ」

 駄目だよ、それ以上言わないでよ。

「俺はこの二年間、ずっと心の中で田中に支えてもらってた」

 あぁ、もう無理だ。

「ずっと心の拠り所だった」

 やっぱり自分に嘘をつくのが一番辛いよ。

「もうこの手は、離さないから」

 神様、ごめんね。私やっぱり、この人の事が。

「本当に、ありがとう」

 大好きなんだ。


 私は、先輩の唇に自分の唇を押し当てた。何回も、何回も。先輩が抱きしめてくれたよりも多く。時間が遅く感じた。あの時のキスより、深い気持ちがそこにあったから。今までの分を取り返すように、何度も何度も唇を重ねた。ほとんどが涙の味で、それと少し、お酒の味がした。


 私は涙も落ち着き、二人して立ち上がる。

「そろそろ行こうか」

「でももう終電ありませんよ」

「それなんだけどさ。タクシーでウチまでならそんなにかからないと思うけど、来る?」

 私は一瞬ビクッとしたけど、信じれる人なら大丈夫かな。って、ははっ。そんな想像してるの私の方だけかな。

「そうだ、これ開けてみてよ」

 そう言われ、プレゼント袋を開けた。不器用に結ばれたリボンを解き、中から出て来たのはクリスタルのオルゴールだった。

「これ、私が前に欲しがってたやつ。覚えててくれたんですね」

「あぁ、もちろんちゃんと監督のサイン入りだぜ」

「嬉しい、大切にしますね」

「それと、誕生日おめでとう」

「それも覚えてくれたんですね」

「あぁ、でもこれは誕生日プレゼントって訳じゃないから。寝て起きたら、どこか遊びに行こう。一緒に」

「はい。 一緒に」


 私は嬉しくて先輩に抱きつこうとしたら、勢い余って盛大に転んでしまった。先輩は私をしっかり受け止めてくれた。でもその時、右肩のトートバッグの中から家の鍵と、左手に持っていたプレゼントとが同時に高く宙を舞った。どうしよう。このまま行ったら鍵は排水溝に入る軌道だ。プレゼントは確実に落ちて壊れる。どちらか一つしか選べない。

 私は瞬間的に、鍵を手にしていた。そして、先輩も、鍵を握る私の手を握っていた。

 ガシャン。

 クリスタルオルゴールが壊れる音がする。

「あ、ごめんなさい。折角のプレゼントなのに、私ったら」

 あぁ、折角もらった記念なのに。何でここで失敗するんだろう。がっかりする私に、先輩は笑顔でこう言った。

「俺も田中の立場なら、鍵を取ったと思う。実際に俺もそうしたしさ。だってこれ、ずっと使ってくれてたんだろ?」

 先輩が指差した、私の手の中の家の鍵には、古くなった四葉のクローバーのキーホルダーが付いていた。これも、覚えてくれたんだ。

「俺も一瞬迷ったよ。ただオルゴールは何とか直せるかも知れないけど、このキーホルダーの中の想い出は、そこにしかないから」

「うん」


 深夜のこの街の夜風は、季節柄にもなく冷たく吹き荒れる。でも今はそんな事感じないほど、心は暖かかった。

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