第9話 偶然との出会い

 俺は楽しみにしていた。修学旅行といえばやっぱり京都。中学生の頃に行って以来だが、お寺のあのなんとも言えない落ち着く空間。時が止まったような不思議な感覚が好きだった事を覚えている。さらにウチの高校は平日に行く。今回は火曜日から金曜日の三泊四日。だから日曜日が終わってまたすぐ日曜日。くぅ、最高だ。


「なぁ強志。今日の自由行動の時だけどさ、やっぱ大仏見に行くより鹿と戯れるのが良いと思うんだが」

「そうだな。初日は奈良からか。良いよ鹿三昧で。俺は京都の方がメインだからさ。今日明日の奈良はおまけだよ」

「だよなぁ。奈良県民の方々には申し訳ないが、京都の方が修学旅行って感じするよな」

 健二は移動中のバスの中でも、いつも通りスマホゲームをしながら話している。まったく、器用なやつだ。


 奈良に到着し、昼食を食べ終え、いくつか名所を周った。そして自由時間中、有名な鹿公園に着いて餌を買っていた俺に、一足先に餌をやっていた健二が走ってくる。

「おい、強志! ヤバイ、ヤバイぞ、鹿が怖ぇ!」

 一匹の鹿が健二を小走りに追いかけていた。

「お前鹿に何したんだよ。鹿さんの目が本気だぞ」

「何もしてねぇよ。ただ、ちびちび煎餅をあげてたら、もっとくれって袋の方を狙ってきたんだよ」

 俺の後ろに隠れて鹿の様子をちらちら伺う健二に、ぐいぐい押される。

「こら、押すなよ。身代わりにするな」

「お前の事は一生親友だ」

「俺はここで死ぬのか? 死因は鹿です、じゃ浮かばれん」

 俺達がワイワイしていると、クラスメイトで学級委員長の細田がやってきた。


「もぉ、何してるの。鹿さん怯えてるじゃない。ごめんね、お腹空いてただけだもんね」

 鹿の頭を一撫ですると、鹿は急に可愛く細田になつく。この鹿、絶対オスだ。

「あんまり鹿を困らせちゃダメよ」

「違うんだよ、あいつから迫ってきたんだ」

 健二は浮気の言い訳のように取り繕う。そしてちょっと欠伸をして、目をこする。

「何か久し振りに走ったら疲れたみたいだ。ちょっと俺、先にバスで休んどくわ」

 疲れ気味に後を去る。きっと夜通しゲームで寝不足なのだろう。というかこんな時でも芯があるというか、流石だなと思う。


 鹿を撫でている細田は、そうだ、と話しかけてきた。

「ところで世中君、この前屋上で忘れ物、受け取った? 君がいない時に届けに来てくれた子がいてね。そういえばと思って」

「あぁ、田中の事か。おう、しっかり受け取ったぞ」

「それなら良かった。とっても可愛い子だったわね。教室のドアを開けて『よのなかさん、いますか?』って間違えて。私が訂正したら顔を真っ赤にしてたの」

「そんな事があったのか」

「そ。なんか真っ直ぐな感じで良いなぁって」

「そうだな、あいつは凄く真っ直ぐだと思う」

 俺はふと、昨日の泣き顔を思いだした。あいつはきっと、小さい事でもちゃんと向き合えるタイプなんだろうな。だからこそ積み重ねる事が出来る。だけど気が小さいのか、奥ゆかしいのか、とても消極的なとこがある。

「あら、知ったような台詞、もしかして気になっちゃってるの?」

「バカ! 違ぇよ、ただみんなで映画観に行っただけだし」

「えー、意外。そこまで進んでるんだ。世中君そういうの興味ないのかと思ってた」

 細田はニコニコしながら俺の顔を見つめる。天使が悪戯っ子の真似をしたように感じた。

「そんな事どうでも良いだろ。ほら、もうすぐホテルに行く時間だ。バス乗り場に行かないと」

「あれ、照れてるのかな? あ、照れてるぞ、こりゃ」

 俺はバス停までからかわれながら、鹿公園を後にした。


 ホテルに到着した俺達は、各班ごと並んでロビーに立って先生の話を聞いていた。すると横から健二がぼそぼそと話しかけてきた。

「なぁ強志。あそこにいるおじさん。ほらフロントにいる人。さっきからずっと交渉してるんだよ。そこをどうにか取れないか、って。泊まりたかったんだろうけど無理そうだよな。こんな大勢の学生が来てるんだし」

「そうだとしたら、なんか悪い気もするな」

「以上。説明した通り、引き続き我が校の生徒として恥じぬ行動を取るように。では、夕食の時間まで解散」

 先生の話が終わると、みんなぞろぞろと自分達の部屋へ向かった。

「なぁ健二。夕食までどうする?」

「あぁ、俺はとりあえずゲームしてるよ」

 だろうな。俺は部屋に着くと、うとうとしながら夕食までの時間を過ごした。明日の夜には京都に到着する。健二は味が薄いから苦手と言っていたけど、京料理は俺の好物だ。そして明後日からはお寺巡り。存分に京都を楽しもう。


 ほどなくして夕食も終わり、就寝時間が過ぎたが、もちろん寝ない。枕投げはしなかったものの、四人部屋の男子は女子会並にぺちゃくちゃ話していた。

「太郎って彼女いるの?」

「俺はいないよ、健二は?」

「俺もいない。ってことはみんな独り身かぁ。あ、でも強志は良い人見つけたんじゃないか?」

「何でだよ。俺だって彼女いねぇし」

「だってほら、この前山下一美と抱き合ってたじゃか」

 ん?…あ! 一昨日の事故りそうだった時の事か。

「てか、お前見てたのかよ」

「おいおいなんだよそれ、詳しく聞かせろ!」

 周りが食いついてきた。そりゃそうだ。学校一の美少女と抱き合ってたとなれば、嫉妬よろし聞きたいことは山ほどあるだろう。

「違う、あれは事故で、ってお前も見てたなら説明しろよ」

 健二は爆笑しながら俺を指差して笑っている。弁解を求めつつも、こんな雰囲気は嫌いじゃないと思った。高校生してるな、って感じがする。

「とにかく事故だから、俺自販機で飲み物買ってくる」

 誤魔化すように俺はとりあえず部屋から出た。


 確かに、今思えば学年一の美少女を命の危機から救い、不可抗力とはいえ、身体が密着したんだもんな。何だかんだドキドキする。目の前で田中にも見られてたし、って何で田中が出てくるんだ。

 俺は一人、妄想を手で払い自販機へと向かった。


 そして俺はしばらく立ち往生する事になる。

「ちょっと待て、百五十円だけしか持ってきてないぞ」

 自販機に小さな声で抗議した。なんでペプッシュコーラが百七十円もするんだ。ホテルだから少し高いだろうとは思っていたが、まさかここまでとは。今や百円を切ってる店も多いなか、ホテル事業とは抜かりない。コーラと睨めっこしていると、横から急に手が出てきた。そして十円を二枚いれる。ボタンを押す。ガコン、っと出て来たコーラを渡される。

「やっぱり、世中先輩だ」

「田中?!」

 俺は夢を見ているのだろうか。

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