王子
そういえば、あの夢の中の少女は「白馬の王子とか実在するぞここは」と言っていた。
やっぱりここは母国では絶対ない。母国なら皇太子だ。王子はあり得ない。
アンナ=ミリディアナ=ウィル=セイレーンは、「第一王位継承者で在らせられるステファン王子」と紹介された年上の少年を前に、途方に暮れた顔つきをしていた。
響き渡る咳払い。
ハッとして、慌てて礼をとる。男爵の前で失敗したのを教訓に、「先生」に徹底して挨拶を教え込んでもらった。
先生がいきなり泣き出したので何事かと動揺したが、どうやらこの少女は、貴族の子女ならば徹底的に叩き込まれて当然の挨拶を、「めんどくさい」「かったるい」と逃げ回っていたらしい。
……もしかして本当に、あれはただの夢ではなかったのかもしれない。
顔を覆いたくなるような口振りだった。
先生は涙をハンカチで丁寧に押さえてから、笑顔で請け負ってくれた。
及第点はもらえたので、そこまで不恰好ではないはずだ。
それにしても、と、お辞儀のまま前髪が隠してくれるのを良いことに、若干顔を顰めてしまう。
ステファンて、全く統一性のない——!
アンナにメアリーにシオンにウォリーにステファン。
心当たりのある国は見事にバラバラだ。強いていうならアンナとメアリーとステファンは西欧で括れるけれど……
本当に異世界なのか? と疑ってしまう。
夢の中で、この世界について、もっと少女に聞いておけば良かった。
あれが本当のことかもわからないけれど。
「頭を上げてください。レディ」
年の割に、落ち着いた口調で言われて、慌てない焦らないゆっくり優雅にふんわりと、と教わったことを心の中で唱えて頭を上げる。
「そんなに畏まらないで。歳も近い。仲良くしてほしい」
おっと、もう敬語が放棄された。さては、やっぱり付け焼き刃な挨拶のせいで見下されたか。
金髪に近い茶色の髪に、白皙。浮かべている笑顔は、儀礼的で少し胸が痛んだ。
年の割に大人びた態度の子供を見ると、境遇を思って胸が痛む。生意気でうるさい子供の方が安心して見ていられた。わがままを許される自由がある。
いくら王子と言っても、ここまで徹底的に教え込まなくても良いのに。まだ小さいのにかわいそうだ。
名前を言わないのは、会う人数が多すぎるからだろう。多分、貴族の娘とか代わる代わる紹介されたりして。こんなに小さいのに。
王族にはザ・シーズンもデビューも関係ないんだな……
「……レディ。庭を少し歩きませんか? 庭園の薔薇が見頃です」
「気に入りましたか?」
不躾とも取られかねない物言いは、王子の付き人だ。
「退がれ」
……おや、それ以上に不躾な返答。
ああ、でも、不機嫌を表に出せる相手がいるなら、それはちょっと安心だ。
「は」
「レディ?」
再度問いかけられて、父の方を見る。
父は笑顔で頷いてくれた。シオンの方を見て指示する。屋敷では慇懃無礼な感じもしたシオンは、見本のような丁寧な仕草で応じ、少女の後ろについてくれた。
この少女には、まだ正式な従者はいない。侍女は基本的に正式な訪問には同行できないから、父の従者が代わりについてくれるということだろう。
王子に手を取られ、部屋を退出した。
……すごいな。エスコートも完璧に見える。
まだ小さいのに。
大丈夫かな。ちゃんと眠る時間あるのかな。ストレス溜まってないかな。好きに遊べる時間はちゃんとあるのかな。
「どうです? 少し先に四阿があります。噴水と薔薇が見渡せてとても綺麗なので、そこまで歩いても構いませんか?」
振り返ってくれたので、頷く。
おや、敬語に戻ってる。使い慣れてないのかな。
そう考えると、少しほっとした。
第一王位継承者だ。王である父、そして王妃である母を除いて、敬語を使わなければいけない相手はいない。それを考えると、人として随分まともだ。周囲の教える人間が立派なのか、王子本人の人品か。
だとしても、この少女の父親がいない場、年下の少女相手に、敬語を使おうとしてくれる王子は、かなり上等な人間だろう。専制君主制の王子というと、読んできた小説では結構ひどい人間が多かった。
だけど歳を考えると、そんなのまだできなくても良いのに、と思ってしまう。
だから、敬語が不安定なことに安心してしまった。
四阿に着くと、座るようにエスコートされて、腰を下ろす。
日陰で少しひんやりしている。
見渡した先は、噴水が陽光を反射していて、とても綺麗だ。角度によっては虹も見える。
両脇の薔薇は大輪の花をつけている。色とりどり、種類も多い。自分の持つ草花の知識が底辺なのが少し惜しかった。
「……レディ。ミリディアナと呼んでも良いかな」
おや、すごい。一度の名乗りで、ミドルネームまで覚えるなんて。
記憶力が良い子だ。でもその分、苦労するだろうなぁ……。
将来を思って不憫になりながら、頷く。
少年の顔が輝いた。
お、と思ったけれど、それは一瞬で、正面を向いて(つまり外方を向いて)少し気難しそうな顔になった。
「ヴィクトリアスだ」
……?
同じ方向を向くが、人影はなかった。
人名だと思ったのだが、何か違う意味の言葉だったのだろうか。
それとも、見えないだけだろうか。もう一度少年が向いている方、その左右を見渡すが、やはり人影はなかった。これほどの庭園なら、庭師が何人もいるだろうが、勤務時間外なのか、庭師らしき人もいない。
あ、もしかしたら、薔薇の名前だろうか。
どの薔薇だろう。あっちの大振りな黄色い薔薇かな。それとも噴水を飾るみたいに咲いてる、花弁が何重にもなってる薔薇?
「ミリディアナ?」
焦れているかのような口振りに、こっちも焦った。まだどの薔薇のことかわからない。
「嫌なのか?」
——まったこれ、何か違う。違うっぽい。薔薇の名前じゃないのか。
とりあえず首を横に振っておく。
「そう」
また少し嬉しそうな顔になって、正面を向く。
……なんだろう。
整理しよう。
1、薔薇と噴水が綺麗だからとここまで歩いてきた。
2、ミリディアナと呼んで良いかと聞かれ、頷いた
3、ヴィクトリアスだ。
4、無言でいると不機嫌そうに「嫌なのか?」と聞かれた。
国語の読解の問題だと思え。
1から導き出して薔薇の名前だと思ったが、これは不正解。薔薇の名前を紹介して、「嫌なのか」は文脈上おかしい。
ということは、ヒントとなるのは2だ。
ということはつまり、これは名前のやりとりだ。
紹介ではステファン王子と言われたことから、多分ヴィクトリアスはミドルネーム。ミリディアナもミドルネームだから、間違いない、はず。
「……ヴィクトリアス? ——さま」
危ない。正解を知りたい一心で口にして、危うく敬称を忘れるところだった。不敬罪で牢屋にぶち込まれてしまう。
「……ミリディアナ様とお呼びしましょうか」
おおっと、正解だけど不正解っ!
名前だということは正解だったけど、敬称を間違えたらしい。
「……ヴィクトリアス殿下?」
……いやでも、ミドルネームに敬称はそもそもおかしいのか? ステファン王子、もしくはファミリーネームに殿下を付けた方が……。
案の定、頭を抱えられた。
あ、夢の中のあの子と同じ。
「それならまだ様の方が良い」
「ヴィクトリアスさま」
少年はなんだか複雑な顔をして——複雑そうな表情ではなく、表情を読むのが苦手な自分にはよくわからない表情をして、こちらを見た。
「……うん。今はそれで良い」
「ぜひ僕をパートナーに」
「これはこれは……光栄ですが、娘は何分、気性が激しいのです。殿下が他のデビュタントに目移りされたとなれば、拗ねるだけではすみますまい」
「気性が激しいとはとても。噂など当てにならないものですね」
「娘はまだ体調が万全ではないのです」
「僕はこう見えて、一途な性質です」
父と同様に、少女の瞳が半開きになった。口元には緩い笑みが浮かぶ。
もちろん口にはしないが、その心は「その歳で何を言う」である。
「まだ先のことです。殿下もこれから大勢のご令嬢と会う機会がおありでしょう。お決めなるのは時期尚早かと」
これも翻訳すると、「出会ったばかりの少女にその都度申し込むおつもりか?」である。
この少女とも初対面なのだ。それでいきなり、社交界デビューのパートナーにと申し出られても、正直困る。同じ年頃の女の子に免疫がないのでは?
「セイレス家は筆頭公爵ではありませんか。レディ・セイレーンに比肩する女性がいるとは思えないのです」
おや、呼び名が……いや、その前に、セイレス家? セイレーンは語尾の女性変化ってこと? セイレス家は筆頭公爵……待って。筆頭公爵って、つまり……公爵は公爵でも、爵位の一番上に属する公爵の中でも、その一番上。
王家の次に偉い家柄ってことに……。
夢で少女が「公爵令嬢だ」とはいっていたけれど、ただの公爵令嬢と筆頭公爵家の令嬢じゃ背負うものが違うじゃないか。
「家柄重視でお決めにならなくともよろしいのでは? 当家も先日、子爵家の跡継ぎの少年を招きました。身分に囚われない広い視野がこれからは必要と思いましてね」
「これは公爵の仰ることとも思えません。身分があるからこそ、防げる諍いもあるのです」
「左様。であるならば、殿下のパートナーという大役は、隣国の姫君こそが相応しいと存じます」
「レディ・セイレーンの許嫁に、子爵家は相応しくありませんね」
許嫁? 子爵家って、この前のあの少年のこと? あれは許嫁との顔合わせ?
……胃が痛くなってきた。
考えることが多いのもそうだが、言い合いは苦手だ。
殿下が誰をパートナーに選ぶかは殿下の自由だ。
だけど、この少女が誰と付き合うかもこの少女の自由だと思う。
……っていうのは、一応身分差のない社会の人間の科白か。
「で? 私の可愛いミリーナと、二人になって殿下は何を言ったのかな?」
「お嬢様を『ミリディアナ』と」
「——ほう」
「殿下のことは『ヴィクトリアス』と呼ぶようにと」
「——で、ミリーナは呼んだわけか」
「……ごめんなさい」
「いいや。ミリーナは悪くないよ。そこで断ったら臣下としての立場を守れなくなる。だからそれで良いんだよ。一人でよく頑張ったね」
頭を撫でられる。
「しかし、殿下にも困ったものだ。仮にもグレンフォード公爵家の一人娘を望むなら、正妃にするしかないというのに、その重さをわかっているのかな?」
グレンフォード公爵家? セイレス家……ってああ、爵位名! 家名と爵位名は異なる。一時期転生モノが流行った時に、家名に公爵家をつけて呼んでいることが多くて、歴史に沿うことなく、名称を省き混乱を避け、ユーザーの利便性を重んじるゲームっぽさを出してるんだなぁと感心したっけ。
自分は専ら本ばかりで、ゲームもしたことがあまりない。ただ、ゲームを好きな人たちの話を聞くことはあったし、ゲームを舞台にした物語も何冊か読んだ。運営というところに報告すると、改善されることがあるとか。基本的に一方通行な本の世界と違って、双方向なのは凄いなと思ったが、同時に一方通行の方が楽で良いとも思った。
ともかく、家名と爵位名、があることから、やっぱり西欧のどこかだ。未来なのか過去なのか異世界なのかは確証がないけれど。
「旦那様は反対なのですか?」
「一人娘の許嫁がこんなに早くできるのを喜ぶ男親はいないと思わないか?」
「男爵を招かれたので、さっさと済ませようとされているのかと」
「……私の従者は基本的に私のことを理解していないな。選択肢が多ければ、選ぶのに時間もかかるだろう。結果決まるのが遅くなるというわけだ」
「殿下が割り込んできたらその企みも元の木阿弥ですね」
「殿下がいても割り込んでくる気概のある男もいるかもしれない」
「望み薄ですが」
「どちらにせよ、まだ婚約したわけでもない。今の所、あの話は内々だ。パートナーの話も、たとえ陛下のお耳に入ろうとも子どもの戯言としか受け取られんだろう。広まらなければ当面の問題はない」
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