人気者
「つ……疲れ、た……」
アンナ=ミリディアナ=ウィル=セイレーンは、就寝前の身支度を済ませ、侍女が下がってから、それまで顔に貼り付けていた愛想笑いをベリッと剥がし、ベッドに突っ伏した。
今まで生きてきた中で一番頭使ったわ……。
この少女であるうちは、傍観者ではいられなさそうだ。
家庭教師はマンツーマンだし、お嬢様付きの侍女はいるし、ご両親もこの少女をすごく可愛がっている。
自分を可哀想がっていた頃は、ある意味楽をしていたんだ。見ているだけというのも、それなりに感情は忙しかったような気はしていたけれども、当事者になるとその比じゃない。
わかったことはたくさんある。
確定したことは、この少女の名前。
アンナ=ミリディアナ=ウィル=セイレーン。
今の所、父からはミリーナ、母からはミリィと、ミドルネームの異なる愛称でそれぞれ呼ばれている。使用人たちからは一貫して「お嬢様」だ。そして男爵の少年はレディ・セイレーンと呼んでくれる。
そして侍女の名前がメアリー。
父の従者の名前がシオン。
そして、この家は貴族の家柄。
ここからは推測も混じるけれども——
この少女は見た目とはかけ離れた行動的な性格で、だからなのかけれどなのか、家族関係や主従関係はおそらく良好。
突飛な行動に出ることもあるけれど、それが関係にヒビを入れるような結果には、今の所なっていないと思う。
集中力はないようだけれど、きっと地頭はかなり良い。大人があまり子供相手の口調をしていないのがその証拠、だと思うが、これに関しては、大人側が少女のためにあえて手加減していない可能性もある。
そして、この世界はもしかしたら——異世界、かもしれない。
食べ物に耳慣れないものはなかった。お高いレストランと同じで、給仕係が皿を置く度にメニューの説明をしてくれたが、食材にファンタジーなものはなかった(あったら口に入れられない)。
外出の機会もあったが、空にドラゴンが飛んでいたり、人ならざるものが歩いていたりということもなく、庭園を彩る植栽に関しても、明らかなファンタジー感漂うものは特になかった。ただ、草花の知識は底辺なので気づかないだけかもしれない。
未来でも過去でもなく、異世界だと思ったのは、あの護衛の女性の能力だ。
もしかしたら、テグスのようなものを自在に操って、川の中から引き上げたのかもしれない。——引き上げるのはともかく、自分の腕よりも高く持ち上げ、そこからふわりと腕の中へおろすというのは——
わかったことがたくさんあるということは、考えなければならないこともたくさんあるということだ。
何よりもまず、少女の口調が知りたい。
お嬢様らしい典雅な口振りなのか、性格を反映して少年のような話し方なのか。一番知りたいのは一人称だ。「わたし」か「わたくし」なのか「あたし」なのか、はたまたボクっ娘なのか。
もしかしたら、日記があるかもしれない。今日は幸い満月だ。月明かりで夜なのにかなり明るい。窓辺なら十分に文字も読める。
意を決して体を起こそうとしたが、猛烈な眠気に襲われ、それは叶わなかった。
意識を手放す直前、明日は部屋のどこかに日記があるかをまず探そうと決意した。
「——、——! ——っ!」
何か聞こえる。……誰かの声? 嫌だな、また怒鳴られるのか。早く諦めて欲しい。いや、起きないと、また叩かれるかもしれない。それも嫌だ。
……起きないと。
……ああ、もう嫌だ。いつになったら、抜け出せるんだろう。
「ちょっと、おばさん!!」
は!?
「……ああ、やっと気付いたか。おーい。わかる? オレのこと見えるか?」
バチっと目を開けた瞬間、不思議な空間に少女が浮かんでいた。
「え、あ、見え、ます」
「良かった。話できそうだな。オレが誰かわかる?」
「……アンナ=ミリディアナ=ウィル=セイレーン嬢?」
「そうそう」
言って少女は、にぱっと笑った。真顔は明らかに可憐な少女なのに、笑顔は少年のようだ。
何が何だかわからないが、
……まさかの一人称「オレ」?
「やー。大変だったな。多分子供の脳みそに二人分の記憶ってのがまずかったんだろ。オレも前そうだったし」
ああああ、夢が崩れるその可憐な外見でその口調やめてえええええええ……ってそうじゃなく。
「……あの?」
「あーえっと、心当たりない? っていうか、覚えてないかな。本を読むのが好きで、一人でいるのが好きで、部屋の隅っこで絵本ばっか読んでる。人に話しかけるのが苦手で、膀胱炎の時も言い出せなくてトイレが多いってf怒られたり」
それは、自分の保育園時代の記憶だ。だから頷いた。恥ずかしいが。
「なのに、ボタン上一つだけ留めて腕抜いて『マントだ!』って言って庭でヒーローごっこして木から飛び降りたりして女の子に囲まれて笑ってる」
さっき以上に恥ずかしいが、それも記憶にあったので頷いた。園庭で園服をマント代わりに駆け回って、保育士に「元気ねぇ」と困ったように言われた記憶。そのころは、お人形遊びもごっこ遊びのママ役も全く興味がなかった。
自分でもこの記憶は謎だった。世間話の一つにどんな子供だったと聞かれて、両極端なこれを話すと、「何があったんだその間に」と大抵笑われ、時折不憫なものを見るような目を向けられた。
「後半オレ。前半アンタ」
「……は?」
「オレとアンタの体はなんでかわかんないけどいつも繋がってる。子供時代は頻繁に行き来できるんだ。ただある日いきなり入れ替われなくなる。そんでその人生のジ・エンドを迎えると、また入れ替わりできるようになる。言葉の意味は違うけど、ソウルメイトって言えばわかるか?」
……意味不明なはずなのに、すんなり理解できてしまうのは、彼女が言っていることが本当だからだろうか。
「アンタがやっとこっちにきたってことは、アンタの前世が終わったってことだろ。お疲れー」
——終わった?
「やー助かった。オレはこのどっしり重くて機能的じゃない服が嫌いだったんだよ。アンタの方の、薄くて軽くて楽チンな服が好きだった。アンタは、重い服、好き、だったんだよな」
——似合わない、から着なかった。ただ、ゴスロリというのだろうか、そう言った服を見て綺麗だな、可愛いな、と思う気持ちは確かにあった。
「前世の入れ替わりが終わる直前がさ、だいたいの人間の趣味嗜好が定まる10歳くらいだったんだ。多分、オレの好みでそのまま行った、みたい、だな……申し訳なかった」
少女の視線が徐々に下がる。
それに釣られて、自分の服を見た。
極力肌を見せない服。飾り気のないシャツに、アンクル丈のパンツ。足元はスニーカーだ。見慣れた服装。
自分の好みとは違うが、それが似合うと思っていた。
10歳前後といえば、ワードローブからスカートが一掃された時期だ。
一時期、スカートしか履かなかったのに、気がついたらパンツばかりになっていた。
「あー……罪滅ぼしってわけでもないが、今世じゃ好きにやってくれて構わない。性格が変わったり趣味嗜好が変わっても、子供のことだ、大人は気にしない。アンタもそうだったろ」
……いやもう、何が何だか。
「明日から、徐々にオレの記憶が統合されてくと思う。馴染んでくと思うよ。だからそんなに思いつめた顔するなよ」
——もしかしてだけどあなたさては人気者ですね?
なんだろう、少女相手におかしいのだが、うっかりときめいてしまった。
「今世でアンタを傷つける人間はいないよ。——いや、傷つかないってことはないか。えーと、アンタに暴力振るう人間はいまいないし、そんな奴らからは守ってくれる人間が大勢いる。……恋愛とかそういうので傷つくことはあるかもしれない。でも支えてくれるやつもいるから。だからさ」
少女はふわりと浮かび上がって、まだ小さな幼い腕をこちらに伸ばした。そっと頭に触れられる感触。
——触れるんだ。
「そんなに気を張らなくて良いんだ。こっちの世界は、生きるのに困ることはまずないからさ。もっと楽に自由に、好き勝手生きてくれ。前世頑張ったご褒美みたいなものだと思って。わがまま放題でも、愛想つかされたりしないからさ。——多分」
「たぶん」
「少なくとも両親は大丈夫だ。婚約者殿がどうなるかはわからん。そこは多分だ。ごめん」
男前な態度が一変して、しゅんと項垂れた。
「あ、いやでも、メアリーも大丈夫だ! あいつは絶対何やらかしても嫌わないぞ。あとは、そうだな」
「充分です」
「え」
少女に向かって、「おばさん」の外見をした自分が敬語というのは変なのかもしれなかったが、それが当然なような気がしたからしょうがない。
「あなたのご両親が愛想を尽かさないのであれば、十分すぎるくらいです。夢が叶いました」
「……夢?」
「ええ。一度でいいから、母親から愛されてみたいと思っていました」
「——いや、ちょっと待て。ええ? もっとこう、ほら、ないのか。ほらあれだ、ドレスが好きならこう、最先端のドレスを作って流行を席巻してやるとか」
「ファッションデザイナーに憧れたことはついぞなかったんですよね」
「今までできなかったみたいだから、目一杯好きな服と宝飾品で着飾って舞踏会の華になるとか」
「性格的に壁の花ですかね」
「世界中の美味しいものを食べるとかな!」
「お腹が弱いのであんまり食べられなくて」
「ガーデニングとかどうだ? 珍しい植物とか花とか、専門家と協力して」
「虫が苦手で」
「旅行は!? 海も山も湖も森も川もあるぞ」
「……旅行にいい思い出がなさすぎてあんまり」
「女の子なんだから、素敵な恋をするでも良いじゃないか! いっそのこと白馬の王子様とか実在するぞここには」
「……遠い世界の話すぎて」
「どうして遠いんだ!? 公爵令嬢だぞ!? 王子の婚約者候補としては順番めっちゃ上だぞ!? 隣国の王女の次はオレだ!」
「公爵令嬢だったんですね。いえ、あの順番がという話ではなく……恋って、するものじゃなくて見るものと読むものだったんですよね」
「オマエはどういう生活をしていたんだ!?」
ついにアンタからオマエになった。
「あれか? 趣向がちょっと普通じゃないのか? こう、……その、女性にしか興奮しないとか、……あー……小さな子供にしか興味がないとか……自分しか可愛いと思えないとか」
「ちっちがいますよ、あの、純粋に、……その……誰かを見てときめくことが、あんまりなくて、好きな人ができても、付き合いたいって思ったことがなくて」
「だからって……! あ、めっちゃ金持ちだぞ。うち」
「は?」
「自分に自信がないとかだったら、金にあかせてなんとでもなる」
「いえあの、そうではなく、……自信がないのは確かですが、お金の問題ではないような」
「何の問題だ」
「見た目も悪かったですが」
「悪くない」
「すみません、そうじゃなくて」
そりゃそうだ。こんな可憐な少女の見た目が悪いなんてそんなはずはない。
「性格……かと」
「性格?」
「嫌われやすい性格なので」
「そうは思えない」
「会ったばかりだからかと……なので、わざわざ言い寄ってくれる人もいないんですよ。どうしても付き合いたいと、自分から告白するほど好きになった人もいませんし」
少女は頭を抱えて丸くなっていたが、やおら決意したかのように握り拳を作って顔をあげた。
「わかった」
「はい?」
「記憶は統合されるが、オレもまだしばらくは入れ替われるはずだ。入れ替わりが1回だけだったなんてことはないからな。その間に色々と手を回してやる」
「はい?」
「オマエがときめく相手を見つけてやろうじゃないか。社交界デビューする頃には、オマエの夢は『愛するあの人と結婚することです』だ!」
「……はい?」
なんだその、頭の中お花畑みたいな思考は。
「なんだその、呆れたような顔は。オマエは特に夢がないんだろう? だったら、貴族の女が抱く最も一般的な夢を夢にされて文句はないだろ!」
「……そ、そういう世界なんですね、ここ」
「だから一番先に、手に職系の話をしたのにちっとも乗ってこなかったじゃないか。それとも他に将来の夢とかあったのか」
言われて愕然とした。特に夢はなかった。それはもう子供の頃から。親の望みの職につければいいかと思って。
「……なさそうだな。何も責めてるわけじゃない。そんな顔をするな。環境が許さなかったんだろう。オマエは悪くない。言い方が悪かったなら謝る。少し興奮しすぎた」
本当に、いちいち男前な令嬢だ。
「いえ、……大丈夫です」
「10歳前後までだったとはいえ、オマエの境遇がキツかったのは知ってる。だから幸せになってほしいんだ。——何がおかしい」
「いえ……初めて言われたものですから、嬉しすぎて」
顔がにやけて笑えてしまった。こそばゆい。
「オマエを絶対幸せにする、をプロポーズの言葉にさせよう」
「やめてください」
そんなことを言われたら、今みたいにこそばゆすぎて笑ってしまう。プロポーズに吹き出すなんて失礼すぎる。
「なら、なんて言われたい?」
楽しそうに問いかけられて、一度も考えたことのないことに空想を巡らせる。
読んできた物語はたくさんある。恋物語にはあまり感情移入できないから、数は多くないけれど。それでもいくつかは読んだ。
結構みんな捻りのきいた言葉だった。
だけど、
「そうですね……あまり言葉の裏を読むのは得意ではないので、……シンプルなものが一番嬉しいかもしれません」
「シンプルか。結婚してくれ?」
「ええ」
「しかし、それはこの世界のプロポーズでは必ず言われるぞ。その前に、口説き文句が入る」
「……口説き文句」
「希望は?」
これは難しい。みんな、その女性キャラがいかに大切かを話していた。だから、自分には当てはまらない。
「……わからないです」
少女は少しがっかりしたように肩を落とした。
「仕方ない。そこは個々人で勝負してもらおう」
個々人? 複数?
「一つ、教えてやる」
「はい?」
「他人のしたいことを優先するんじゃなくて、オマエのしたいことを優先しろ。それがこっちの世界を楽しむルールだ」
……なんだか自己啓発書みたいなことを言われている。
「なんだその、胡散臭そうな顔は」
「いえ、あの……」
「こっちの世界は使用人が大勢いる。使用人は、オマエが使ってやらなきゃ暇を持て余すだけだ。なるべくたくさんのことを思いついて実行してやってくれ。大勢の人間を雇って就職難にさせないのも、公爵家の務めだ」
……やっぱりこの少女は、大した傑物だ。
「義務感は持たなくて良い。難しいことはオレがなるべく片付けておく。前世で経験しなかった分、オマエはたくさん恋をするべきだ」
「たくさんはちょっと……」
「そうか? なら、言い方を変えよう。存分に恋に現を抜かしてくれ」
そういって、またにぱっと笑った少女は、男前な仕草で頭を撫でてくれた。
「安心しろ。この世界は王子を筆頭に美形揃いだ。オマエの気を引く男の一人や二人、必ず用意してやるよ」
確かに、この少女の父親も、その従者も、あの少年も、それぞれ大層な美形だ。恋愛を全くしなかったからと言って、別に美形が嫌いなわけではない。目が追うのは、性格を知ってからだけれど。
「……楽しみにしておきます」
そう答えると、少女が嬉しそうに笑った。
「お嬢様、お目覚めください」
——なんだかとても、不思議な夢を見た。
男前なお嬢様に、恋人を作らせると宣言された。夢は願望を表すなんていうけれど、そんなに恋がしたかったのだろうか。
——いや、そうだ、確かに自分は、今度は恋をしてみたい、と……?
「おはようございます、お嬢様。今日も天使のような寝顔でしたわ。——大丈夫ですか?」
思わず吹き出して咳き込んでしまった。
そうだ。今の自分の外見は、夢の中の可憐な少女だった。
「……大丈夫」
答えて侍女を見ると、瞳をキラキラと輝かせていた。彼女こそ天使のようだ。
「まぁあああ!! お嬢様! 昨夜は何を企んでいらしたのか謎のままおやすみになりましたけれど、諦めてくださったのですね!」
……しまった。うかつにも声を出してしまった。
だけどとりあえず、不審がられている感じはない。
夢の中の少女の口調で返してしまったが、違和感はなかったのだろうか。
メアリーは何があっても嫌わないと、あの少女はいっていたけれど。
本当に不思議な夢だった。
まぁ、今の所、もっと不思議な現実を生きているけれど……
「ああ、安心しました。生きた心地がしませんでした。今までもお嬢様があんな危険な外出をされていたなんて。私が鈍くて鈍感で愚鈍なばかりに」
昨日に続いて今日も慌てて腕を引っ張り首を横に振る。
うっかり強く引っ張りすぎて、侍女がバランスを崩し、鼻の頭がぶつかりそうなくらい近づいた。
目を見開いた侍女に、固まる自分。だけど、本当に綺麗な人だと、見惚れてしまう。ちょっと不思議な性格だけど、きっとこの人の方が男性の気を引く。
この少女の外見はとても、すごくすごく可憐だ。中身があの夢の中の少女だったら、すごく変わっているけど、でもきっとすごく魅力的だったろう。
だけど自分はどうしたって嫌われ者だ。
いつものように、人の輪を外から眺めているのが良い。
もし、あの夢が本当なら、彼女と入れ替わって、彼女がこの少女の体にいる間に、入れ替われなくなれば良い。
彼女はこの世界の衣装を嫌いと言っていたけれど、彼女がいなくなって、取り残されたのが自分だとしたら、彼女を一心に慕っている人たちが可哀想じゃないか。
もし、あれがただの夢なら。
——夢の中のあの少女には、もう一度会ってみたいな。
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