子爵家従者

「ウォルター様、よろしいのですか?」

「何がだ」

「……いえ、見目はたいへん麗しい方です。実際に拝謁して驚きました。しかし、セイレス家のご令嬢は素行があまりよろしくないと専らの噂です」

「噂は噂だ。それに、僕を介抱してくれた時は聖女のようだった」

「……今日は体調が思わしくないとのことでした。なのに外出をされていたということも、何かあるように思えてなりません」

「何かってなんだ」

「……あまり、乗り気ではなかったのでは?」

「そんなわけないだろう。ハンカチだってくれたんだ」

「……噂通りのお方でしたら、意味をご存知なかったのかもしれません」

「何を馬鹿な」

 一笑に付した主人に、従者は顔を覆った。

「仮にそうだとしたら、僕が男に生まれたのは残念なことだ。女だったら、顔に傷を負わされたことを盾に、なし崩しに婚姻を迫れたのに」

「……それほどお気に召しましたか」

「ああ、気に入った。話ができないのは残念だったが、彼女は表情がよく動くな。何が言いたいかだいたいわかる」

 従者は一つため息をついた。

「何が不安なんだ? だいたい、父上たちは彼女がどんなわがままなじゃじゃ馬でも、公爵家と近づけるならと言っていたじゃないか。渡りに船だろう」

「ウォルター様! ……貴族としてそのようなことを口にされてはなりません」

「だったら父上に言ってくれ。没落貴族から爵位を買い上げた成り上がりが由緒正しい公爵家の招待を真に受けて、のこのこ出向いたから轢き殺されるのかと思ったけど。勘違いで良かったよ」

「お父上方は手遅れです。なればこそウォルター様に申し上げております。由緒正しい公爵家の令嬢とおつきあいをなさるのでしたら、尚のこと、そのお口振りは改めていただきます」

「……それもそうか」

 はたと気づいた、といった態で真面目な顔になる。

「あの挨拶はどうだった?」

「及第点です」

「そうか。舌を噛むんじゃないかとヒヤヒヤした。お前の言う通り、慣れておいたほうが良いな。彼女はどんな男が好みかな」

 窓の外を見て楽しげに微笑む主人に、従者は内心ぐっと拳を握った。

 謎に包まれた公爵家令嬢の好みのタイプなど知る由もないが、年若い主人のため、最大限利用させていただこう。

「由緒正しい令嬢なら紳士に憧れるものです。仮に変わった好みだとしてもです。基本を蔑ろにしてはなりません。お口ぶりとエスコート、ダンス、食事の作法、剣の腕、器楽。公爵家のご令嬢に並び立つには、学ぶべきことがたくさんあります」

「……ああ、そうだな。真面目にやるよ。あの子に恥をかかせたくない」

 社交の場で言えば、こちらが恥をかかされそうな噂しか聞かないが、そんなことは黙っておくに限る。


 それに——それに、不憫な主人のためにも、やる気を起こさせる目標は必要だった。

 子爵家では滅多にない正餐も、公爵家では頻繁にあること。

 子爵なんて位の低さでは、正式な婚約者になんてなれるわけもない。

 大勢いる婚約者候補との顔合わせのための、予行演習に使われたのが関の山。

 子爵家にはそれ相応の婚約者候補を旦那様が用意するだろう。

 次に会えるのはおそらく社交デビュー後。それまでに鍛え上げる。洟も引っ掛けなかったことを少しは後悔させられるように。

 そうでもなければ、あまりに——不憫だろう。


 大人の世界のことなど何も知らない少年の瞳は、幼いながらも確かに恋を宿して煌めいていた。

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