護衛兼従者候補

 セイレス家の奥様といえば、その名を近隣諸国にまで轟かせる美姫。

 王家から寵臣へ下賜され降嫁した——というのが、表向きの話。

 実際の所、筆頭公爵の跡取りと、王女は顔を合わせることが多かった。王女は美しく、引く手数多——かと思いきや、身分の高さとあまりの美しさに、大抵の人間は尻込みしてしまう。そんな中、公爵の跡取り息子は大層見目がよかった。太陽と月のように並び立つ二人を見れば、誰もがお似合いだと噂をし、物怖じしない跡取り息子は、疎外感を抱いていた王女の心を溶かし——つまる所、恋愛結婚だった。

 そんな二人からは、それこそ珠のような女の子が生まれる。

 公爵譲りの金髪に、王女譲りの菫色の瞳、そしてどちらにも似ない野生的な性格——誤字ではない。野生的なご気性なのである。

 

 護衛の任務の前に、一風変わった試験を受けた。

 面接である。

 紹介状を持って執事あるいは当主と顔合わせを行うというのが通例なのだが、何故かお嬢様を交えての面接だった。

 この時はまだ、お嬢様が野生的な性格なのだとは知る由もなかった。

 彼女は椅子に座って、にっこりと、それはもう大層可愛らしく微笑んだ。

「採用」

 彼女が微笑んでから一拍置いて、男性の声がそう告げた。

 自分はまだ一言も喋っていなかったので、思わず「は?」と言ってしまった。

 後に知ることになったが、お嬢様の微笑みに勝てたのは——赤面せず、顔を逸らしもせず、ニヤける口元を覆いもしなかった人間は——二人しかいなかった。

 なんでも、お嬢様はその可憐な見た目を最大限利用し、護衛を騙くらかしてお勉強から逃亡するのだそうだ。


 そうして逃げ出した先が、森の中だとか湖だとか、はたまた市街地だとか。貴族のご令嬢のお出かけと言えば、馬車が定番。それをこのご令嬢は、徒歩でどこまでも歩いて、時々走って行く。

 木を見れば登る、湖を見れば泳ぐ、小動物がいれば追いかける、虫も魚も平気で掴む。

 あまりに不思議なご令嬢だった。

 それだけなら手を焼かせるご令嬢だが、後始末に奔走する侍女のために、見かけた一等綺麗な花を摘んで持ち帰るという憎いところもある。

 何故知っているかと言えば、「このお花、お嬢様が私のためだけに摘んできてくださったのです。栞にしました。大切なお嬢様の心が私に向いているという証拠ですから」と、自慢げ——というか、こちらを見下しているかのよう——な表情でわざわざ見せてくれたのである。

 それを見た、女だてらに護衛についた同僚が、何故かしょんぼりと肩を落とした。



「お嬢様、自由時間ですよ。今日はどちらに?」

 あの日、はっきりと落ち込んで見せた同僚が、侍女のいない隙にお嬢様を誘う。

 それに対して、お嬢様は困惑しているような顔で、首を横に振った。

 お嬢様は今日、一言も喋らない。

 何かをお怒りで企んでいるというのが、侍女と執事の共通見解だったが、どうなのだろう。

 単純に、体調が悪いんじゃなかろうか。

「横になった方が宜しいのでは。今日は正餐です。子爵家のご子息がご挨拶にいらっしゃると」

 お嬢様は初めて聞いた、というように目を見張った。

「お嬢様はまだお小さいのですから。正餐に招くとなれば、許嫁候補でしょう。気が向かないのであれば、寝込まれた方が宜しいかと。許嫁が出来るショックで、声がでなくなったのかと」

 それに、露骨に同僚が顔を顰めた。

「お嬢様、顔合わせがお嫌だったのですか? なら私が止めてきます」

 ——お前、どうやって止めるつもりだ。

 まさかせっかくの才能を、無駄遣いするつもりじゃないだろうな。

 それにお嬢様はまた首を横に振る。

 今のは、顔合わせが嫌なのか、同僚の暴走を止めたいのか、どっちだ。



 侍女が同行するという、セイレス家前代未聞の外出で、事故が起こった。

 お嬢様はほんの1時間ほどお休みになられていたが、どうにも寝付けないらしく、寝返りを頻繁にしていたため、それならいっそと、家に篭るより外が好きなお嬢様のため、侍女の提案で馬車による外出が決まった。

 

 侍女はお嬢様と馬車に、護衛二人は騎馬で周りに。

 お屋敷の周囲をぐるりと囲む森の外縁の道を一周して戻る予定だった。

 ところが、外縁の道の端に、子供がいた。

 訓練された御者は子供を避けたが、後輪が跳ねた石が子供に向かって飛んで行った。

 運悪くそれが子供の額に当たり、驚いた子供はそのまま後ろに倒れ、川に落ちた。

 下馬に時間を取られ行動が遅れる。

 その時、あろうことか馬車の扉が乱暴に開け放たれた。侍女の悲鳴が耳を擘く。

 しまった、お嬢様のご気性を考えたら——

「グレイ!!」

「わかってる!!」

 馬車から転げ落ちるように下りて、一目散に川に向かって突っ込んで行くお嬢様が飛び込む前に、お嬢様を捕まえようと走る。

 川とは馬車を挟んで反対側にいたせいで、たったの数メートルが長く感じる。

 お嬢様が川に飛び込む、まさにその寸前で、少年の姿が水の中から浮かび上がって、宙に浮いた。

「……間に合った」

 安堵の声とともに、お嬢様を抱き上げる。

 腕の中でお嬢様は、今まで見たことのない、驚愕の表情を浮かべていた。

「お嬢様? もう心配はありません。あいつの能力があって良かった」

 同僚に目を向けると、少年をゆっくり受け止めるところだった。

「お嬢様!」

 侍女が、お嬢様よりよほど淑女らしく馬車を降りてくる。

「お嬢様が川に飛び込まずとも、護衛が動きます。お嬢様が動かなくても」

 そう言ってお嬢様に手を伸ばす侍女に、お嬢様を渡す。伸ばされた手は、赤くなっていた。

 多分、お嬢様を止めようとして、お嬢様に振り払われたのだろう。

 それでも、お嬢様を見る目には涙が浮かんでいた。

 飛び込まなかったことにホッとしたのだろう。

 けれど、お嬢様は侍女ではなく、同僚の方を向いていた。

 意識が戻らないようだが、その胸が上下しているところをみるに、問題はない。

 けれど心配そうな様子のお嬢様に、侍女が子供の方へ向かって歩く。

 可哀想に。公爵家の侍女ともなれば、こんな事態に出くわすことは滅多にない。顔色が悪く、唇を噛んでいる。

「お嬢様。気を失っているだけです」

 同僚が告げる。

 お嬢様は、何故かご自身の体をパタパタと叩き始めた。

「お嬢様?」

 やがてハンカチを引っ張り出して、少年の額に当てる。

 川の水が洗い流したのか、ひどい出血ではない。とはいえ血が滲んできてはいた。ただでさえ、額は出血量が多くなりやすい部位だ。浅くても結構血が出る。

 目に入ったら面倒だ。


 ——ハンカチ?

 何か引っかかったが、子供が目を覚ましたことで引っかかりを追求することもなく、そのまま忘れてしまった。

 後になって思えば、侍女のもともと悪かった顔色が、紙のように白くなっていた気もした。

 

 

 

 

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