グロいやつ

 小さめの礼拝堂。


 そのドアを開けて内部に踏み入った俺とショコラ。


 背後から差し込まれた光と、その中に舞う塵埃ちりぼこり。そしてすえた匂い。


 のほほんと、ショコラが無防備に俺の前に出た。


 ああ……これは、やるな。


 その姿を見て、俺は一歩引いた。


 ――カチリ。


 直後、天井から降り注ぐ無数の槍。


 ズドドドド……という重い残響。


「……死んだか?」


 ところが、床に流血はなかった。


 見れば、器用に槍と槍の間で身体をくねらせているショコラの珍妙な姿が。


 この女、密集した槍の雨をかわしきったぞ。


「ほー」と俺が感心そうな声を漏らすと、冷や汗でびっしょりのショコラが引きつった笑みを浮かべた。


「素人でも分かりそうなほど単純な床スイッチのトラップなのに、それを見逃した上で、それよりも遙かに高度な曲芸を披露するとはな。面白いやつめ」


「へ……へっへーん。これが天下のか……ショコラさまの身のこなしですよ!」


「天下のか?」


 俺の疑問に、ショコラは咳払いで返した。


「――どうですか、ディーゼルさん。のっそり動くディーゼルさんのゴツい図体だったら、このトラップは躱しきれなかったでしょう⁉ 分かったら私のこと、もうちょっと尊敬の眼差しで見ると同時に、大事に扱ってもいいんですよッ!」


「そもそも、そんなトラップになんて引っかからない。それに、お前のことはかなり大事にしているつもりなんだがな」


 出会った瞬間に殺していない時点でな。


「――嘘、そんなの嘘ッ! こうやって身動きが取れない私を見て、その分厚い鎧の中で笑ってる人のセリフじゃない‼ ……もー、早く助けてくださいよぉ……」


 ショコラは密集した槍の林にぴったり挟まってしまっていて、自力では脱出できない様子だった。尻尾がヘニョリ。猫耳はペタンと倒している。


 そんな彼女に向かって、大仰おおぎょうに腕を組んでみせる。


「天下のか……ショコラさまが、その大ピンチから、どうやって切り抜けるのか興味があってな。のっそり動く俺としては、勉強したい」


「ううぅ……ディーゼルさんは、いじわるさんですぅ……」


「ところで早くしないと、まだあるぞ」


「へ?」


 槍が突き破った礼拝堂の床から、じわりと染み出し始める、どろっとした暗緑色の粘液。


「う、うへぇぇ……なんなんですか~、これぇぇ⁉」


「スライムだ」


 俺のひと言に、はっとなったショコラ。


「――え、エロいやつですね⁉ 私の服だけ溶かしちゃう、すっごいエッチぃやつ! だからディーゼルさんは、そうやってじっとしているんですね⁉ 私のあられもない痴態ちたいを鑑賞する腹づもりで、我関せずを決め込んでいるに違いない‼ ディーゼルさんは雰囲気どおり、天下一のむっつりさんですッ‼」


「いや、逆。エロいやつじゃなくて、グロいやつ」


「グロいやつ」


「本気で溶かしにくるやつだ」


「本気で」


「服は溶かさず、お前の肉と骨だけ溶かすやつ」


「服は溶かさずに、私の肉と骨だけを溶かすやつ」


「ああ。肌だけじゃなく、穴という穴から体内に侵入して、内部からも溶かすやつだからな。キツいぞ」


「た、たぁすけてええええええぇぇ‼」


 ショコラが大泣きし始めたところで、シュコーと嘆息をついた。


 背中の〈闇黒に絶る大瀑布アカシック・クリーバー〉を抜く。


「しゃがめ」


 ショコラが器用に身体を縮めたのを見て、水平に大戦斧を振り抜いた。


 大量の氷柱つららをへし折ったように軽々と飛び散る、槍の残骸。


 すかさずショコラの首根っこを掴み、猫をそうするように引っ張り上げて後ろに放り投げる。


 かわりに一歩前に出ると、床から染み出した粘液が噴き上がり、それは俺の目の前で大柄な人間を形取った。〈スライムゴーレム〉だ。


 万が一、槍トラップで討ち漏らしても、このスライムゴーレムが確実にとどめを刺すという徹底ぶり。トラップにかかった冒険者はもれなく確殺かくさつするという、ダンマスの悪気のない殺意がうかがえる。


 スライムゴーレムは、かなり高レベルなモンスターで、この浅い層においてはたおせる相手として配置されていない。即死トラップの一部扱いだ。普通の冒険者ならば逃げるしかない恐るべき相手なのだが、俺は統べる幽鬼レイン・アブザード


 踏み込んで、唐竹からたけ割りに大戦斧を叩き付ける。


 ゴパァという音を残して、スライムゴーレムはコアごと真っ二つになった。


 返り血のごとく飛び散った粘液が付着するも、俺の鎧――〈枯朽こきゅうする曙光しょこう〉――〈ダイイング・サン〉を溶かすには時間と量が足りていない。


 こいつらの海に沈められて、長時間じっくり漬け込まれると俺でも溶けてしまうが、さすがにそんなケースは滅多にない。よほど間抜けなトラップにでも引っかからない限り、そんな懲罰ちょうばつ的なシチュエーションにはならない。


 手甲についた粘液をピッピッと振り払う。後ろではショコラが「アチッ! アチッ!」と尻尾を掴んで跳び回っていた。


「さぁ、進むぞ」


「――どうやってですか?」


 ショコラが床を指差した。そこは強烈な溶剤の臭気漂う死の海となっていた。


 逡巡しゅんじゅんし、やむを得ず告げる。


「……俺に掴まれ」


「えー……抱っこしてください。腕が疲れちゃいます」


 睨み合う俺たち。


「――俺の腕が塞がっていたら、この先モンスターに対処できんだろうが!」


「ディーゼルさんの鎧チクチクするから、あんまり背中に抱きつきたくないんですよぉ! 何でそんなにツンツンした形なんですか⁉」


 俺の鎧のデザインは攻撃的だ。


「あっ、そうだ! ――よっとっと」


 スルスルと俺の身体をよじ上るショコラ。まるで猫だ。


「これでよし!」


 俺の肩に陣取って満足げなショコラ。シュコーという音が俺の兜から漏れた。


 仕方なくショコラを肩車したまま粘液の上を進む。


 ここは街の小さな礼拝堂的な場所で、狭く、天井も低い。照明も少なくて薄暗い室内だった。


「ん? ……あ、ディーゼルさん。ここの照明には〈魔石〉が使われてますよ! しかもこれ、〈月煌げっこう石〉じゃないですか⁉ 普段なら気がつかないかも知れませんけど、肩車してるから私には丸見えです。ラッキーでしたね!」


 天井からぶら下がった光る石をむんずと掴んだショコラ。


「あ、おい! 馬鹿ッ‼」


 ガチャ。


 ベチャ。


「ほぁ」


 ショコラの魂の抜けたような声が頭上から聞こえた。同時に、ガラガラガラとけたたましい音がして、部屋の窓とドアが頑丈な鉄板で閉じられる。


 ベチャ。ベチャ。


 閉鎖された礼拝堂の天井から、次々と落ちてくる暗緑色の粘液の塊。


 周囲から続々と立ち上がるスライムゴーレム。


 ……多すぎる。


「……ディーゼルざぁん……」


 ショコラが涙ぐんで見下ろした時、俺はすでにタバコを抜いていた。


 パチンッと指を鳴らし、飛び散った火花でタバコの先端を赤々と燃やす。


「――ここはもうすぐスライムの海になる」


「わ、わた……わたし……」


「間抜けな冒険者にはこっぴどい制裁を。このダンジョンの基本モットーだ。抵抗するだけ無駄。ダンジョンの掟からは何人なんびとたりとものがれられぬ。お前も……この、俺でさえもな……」


「ぁ……ぁ……ぁぁ、ぁあああああああああ」


 鳴り止まないべちゃべちゃ音。


「ふぅ」と吹き出した煙が、ショコラの蒼白な顔にかかった。


「――チョコを食え、ショコラ。気が紛れる」


「あああああああああ、はむ……」


 ショコラは震える手でチョコを口に入れた。


 ショコラの悲鳴は短かった。


 脆弱ぜいじゃくなのが幸いした。


 やがて何も聞こえなくなった。

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