N級ダンジョン

「こ、怖いですぅぅ〜……ディーゼルさぁぁぁん……」


 聞こえてきたショコラの涙声。


 肩に恐るべき圧力を感じながら、彼女の尻に向かってうめく。


「早く、しろ……この……メスガキ、が……ッ!」


「あ、そういう言い方。駄目なんですよ。女性蔑視べっしです。ミートゥー」


「ぐぅ、時代か……」


 禁煙に男女平等。ポリティカル・コレクトネス。ゆったりと時間が流れるダンジョンの中とは対照的に、外界はめまぐるしく移り変わっていく。


 だがそんなことは今はどうでも良い。俺の肩が外れそうだ。


 岩壁から突き出した巨大な竜の頭部をした金属製の像があった。


 その獰猛なあぎとにショコラが上半身を突っ込んでおり、そしてそれが今、閉じようとしている。


 口が閉じればショコラはぺしゃんこだ。それこそトマトを噛み潰すようにブシャッといくだろう。


 だからその口が閉じないように俺が肩を入れ、片足で下顎を踏みつけて突っ張っている。はたから見れば、俺たちはかなり危うい状況に映るはずだ。


 実際、危うい。


 俺でさえも、そろそろマズそうと感じるほどの、猛烈な圧力が肩を押していた。


 俺が顎を押さえている間に、ショコラが竜の口の奥にあるスイッチを押さなくてはならない。これはそういうギミックだ。


 スイッチの位置が奥まっているので、彼女は上半身を丸ごと竜の口に食われているような格好になっていた。おかげで俺からはショコラの丸い臀部でんぶしか見えていない。


 その丸みを神に見立てて願掛けする。


「たのむぞ……!」


 ピッ、ピッ、ピッ――プチョッ。


 ブー。


「――ッ! ああんっ、また失敗‼」


「――ぐぉ」


 失敗した瞬間、ショコラが突き出したしりと尻尾がビクーンッ! と跳ね、同時に俺の肩にかかる圧力がガクンッ! と増した。


 ついに俺の甲冑がミシミシと悲鳴を上げ始め、ショコラの「ひっ」という怯えた悲鳴があぎとの奥から聞こえた。


 口の奥のスイッチは、プチョッという音のタイミングに合わせて押さなくてはならないのだが、そのタイミングが毎回異なっていて、かつ意地悪。ショコラはこれで五回連続失敗だ。


 本来は一回でも失敗すれば、押さえている方も、頭を突っ込んでいる方も食われて死ぬのだが、そこは俺の膂力りょりょくと頑丈さに任せて五回ほど延長トライとなっている。


 しかし、この竜のあぎと。失敗回数が増えると、どんどん圧力を増す仕様だったとは……この仕組みは俺も知らなかった。


 大概の挑戦者は一回目で死ぬからだ。


 ズボッと頭を抜いたショコラ。


 涙ぐんで俺を見る彼女を叱咤しったする。


「この、下手くそッ! 俺が抑えていなければ、もうとっくの昔に死んでいるんだぞッ‼ ――ほら、次だ。さっさと頭を入れろ」


「い、いったん……ディーゼルさん……いったん、その肩を外しましょう? 鎧から出てきちゃいけない音が出てますし、やり直した方が良いですよぉ……」


「リトライはない。失敗すればこの口は数日は開かん。大ブレーキだ。俺は早く帰りたいんだ。さぁ分かったら、さっさとその空っぽの頭を入れろ、ショコラ。どうせ潰れても何も出てこないんだろう」


「大丈夫ですよねぇ……? 大丈夫なんですよねぇ……?」


 次の失敗で押さえている俺も、腕を突っ込んでいるショコラも死にそうだが、ビビられたら余計失敗する確率が上昇する。ここは黙っておこう。


 するとショコラが「あっ」と声を上げて、恐る恐る俺の顔を覗き込む。


「――そうだ! ディーゼルさんがそのまま中に入って、自分でやったらいいんじゃないんですか? もし失敗しても、私がディーゼルさんの死体を引きずってアンカーポイントに戻って復活させますから。ね? そうしましょうよ?」


「たわけがッ‼」


「ひぃ」と猫耳を押さえて、俺のカミナリに後じさるショコラ。


「この状況で腕が伸ばせると思うか⁉ 太ったグレートドラゴンを一匹かついでいるかのような重みなんだぞ‼ くっそ重たい‼」


 ふーっと深く息をつき、声のトーンを下げて続ける。


「……さぁ、分かったら早く頭を入れろ。言うことを聞かなければ次に目覚めた時に、殺さない程度に折檻せっかんするぞ? おお?」


「あー! ディーブイ! それディーブイですよ‼ 暴力で女性に言うこと聞かせるなんて前時代的! ミートゥー! ミートゥー‼」


「うるっさい! いいからやれ‼」


 めそめそと泣きながら頭を突っ込んだショコラ。


 俺の目の前でプルプル震えている臀と尻尾を眺めていると、ふと思いつく。


「――ひゃん⁉」


「俺がタイミングを教えてやる、俺が握ったらすぐに押せ」


 ショコラの尻尾を握り込み、言った。


「だ、だめぇーッ⁉ そこは敏感なんですぅ‼ スイッチ押すどころじゃないからぁ‼ へんたーいっ‼」


「ええいっ、もういいから、つべこべ言わずにやれよ! 肩が外れそうだ‼」


「はーなーし-てぇ~~~~ッ‼」


 ちょうど良い脳への刺激になったのか、六回目の挑戦でショコラはようやく成功を収めた。


 顔を真っ赤にしながら尻尾をフーフーし、責める視線を突き刺してくるショコラ。


 圧倒的無視を決め込む俺。


 絆の深淵のギミックは人数に応じている。


 この竜頭のギミックで開くのは、二人乗りのエレベーターだ。もっと大人数で通るには、もっと大人数用のギミックを解除しなければならない。


 基本的に少人数ギミックの方が解除が楽なので、実力さえあれば、この絆の深淵は二人か、多くても四人でくのが最適なのだ。


 よほどの玄人くろうとでなければ、少人数攻略はただの自殺行為でもあるが。


「動き始めたか」


 見上げる先から、エレベーターのかごが下りてくる。


「はぁ……この先にアンカーポイントがあるんですよね? 早く行きましょう」


「いや、違う」


「え?」


「今下りてきた籠はダミーだ。それに乗ると途中でワイヤーが切れて墜落死する。籠には鍵がかかってしまうから脱出できん。そして下には鋭い槍衾やりぶすまだ。落下で十分に加速がついて叩き付けられれば、串刺しになって必ず死ぬ。そこにはダンジョンのルールが絡んでいるから、俺ですら死ぬ」


「ひぃ」


「このダミーを一度見送る。するとカウンターウェイトとして、もう一機のエレベーターが下りてくる。それは一見底が抜けていて使い物にならないのだが、その格子につかまって上るのが正解だ」


「なんでそんな回りくどい仕組みになってるんですかぁ……?」


 しかめっ面のショコラを余所よそに、降りてきたエレベーターの中のスイッチを押して、すかさず外に退避。


 空っぽの籠が上っていくのを見送りながら、ぼそり。


「――ここがN級ダンジョンだからだ」


「なるほど……」


 これほど説得力のある説明があるだろうか。


「ちなみにもっと深層へいくと、似たようなギミックでワイヤー伝いに大量の毒蛇が下りてきて籠に侵入してくるというバージョンもあるな。バジリスクの幼生だが、強烈な毒がある。死にはしないが、エレベーターから出た時には息も絶え絶えになる塩梅だ。なんとか助かったと安堵した直後に、巨大ハンマーを担いだ屈強な武装トロールが十匹ほど襲いかかる仕組みだ。餅つきの餅になった気分を味わえるぞ」


「ここのダンジョンマスターさんは、なにかの病気なんですか?」


「ああ。間違いない」


 そんなことを話ながら籠を待っていると、壊れたエレベータの籠が降りてきた。底の抜けた鳥籠に似ている。


 その側面の格子を片手で掴んで、もう片腕でショコラの腰を抱きかかえる。


 ゆっくりと、引っ張り上げられていく俺たち。


「ちなみにこれな、一番上まで行ってしまうと何もない。エレベータも動かなくなって投身自殺するしかなくなるから、途中で岩の隙間に飛び込むぞ」


「もう、お任せします」


 ふっと、ショコラが達観した笑みを返してきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る