第14話 黒のパンツの上にシースルーのナイトウェア

 ぼくは片方の手でさゆり姉の声を出す人物の両手を押さえ込み、馬乗りになりながらもう片方の手を床に這わせる。「この世のものではない」感覚が次第にはっきりしてきた。

 間違いない、これは「もどき」の影だ。

 

 ぼくは暗がりの中、手探りで「もどき」の影のふちを探り当てる。光の下だけに影があるのではない。暗闇にも影はあるのだ。

 ぼくの手は慣れた手つきで「もどき」の影のふちを地面から引きはがしていく。それはあたかもヨーグルトの容器の蓋をあける時のように、いともたやすく行われていく。ぺりぺりぺり、と影を引きはがす音まで聞こえてくるようだ。ぺりぺりぺり。

 そうしてぼくは「もどき」の影を最後の一ミリまで地面からはがし終える。はがし終わった影はもはや影でも何でもない。ただの黒く薄っぺらい「何か」に過ぎない。


 ぼくは立ち上がりキッチンの電気を点けた。明るくなったキッチンの床に仰向けの姿でさゆり姉はだらしなく寝そべっている。暗がりでは気付かなかったが、彼女はほとんど裸体といっても良い格好だった。黒のパンツの上にシースルーのナイトウェアを羽織はおっており、(多分)ブラジャーはつけていない。実に目のやり場に困るものだったが、紛れもなくさゆり姉であることだけは確認できた。

 ぼくはためらいつつ彼女の肩をつかみゆすり起こす。少しずつ目が開かれ、意識がはっきりしてくるのがわかった。

「……ん」

「さゆり姉、しっかりして。ぼくだけどわかる?」

「……わかるけど……あれ? 私何してたの?」

「何も覚えてないの?」

「何もって何のこと? ちょっと待って私何でこの服着てるの?」

 胸元を押さえたまま、さゆり姉が恥ずかしそうに言う。



   〇



 それからぼくは、透け透けではない適当な服に着替えたさゆり姉に、今この場で起こったことをかいつまんで説明した(とは言っても、さすがにさゆり姉がぼくを誘惑しようとした行為については触れなかった。その方がいいと判断したのだ)。

「という訳でこれがさゆり姉についていた『もどき』の影だったもの。これをはがしたら途端にさゆり姉が意識を失って元のさゆり姉に戻ったというわけ」

 ぼくは手につまんだ「もどき」の影をぴらぴらと広げてみる。さゆり姉は興味深そうにその影を眺めながら、指でつついたり撫でたりをしている。

「とうとう私も感染しちゃったのね。でも大事に至らなくて良かったわ。ありがと」

「どういたしまして」

 さゆり姉がふといぶかしそうな顔つきで、ぼくに訊ねた。

「ところでこの病気って基本無症状の筈なのに、どうして私はこんな変なことになったの?」

「ぼくもよくわからない。ぼくの知っている限り、今回のような症状は多分初めてだと思う」

「再発したりしない?」

「断言はできないけど……多分大丈夫じゃないかな。何となくそんな気がする。これまで再発するという事例はなかったし。心配だったら駅近くの研究所に連絡しとくから、暇な時に検査に来ればいい」

 とりあえず明日大学の講義が終わってから、研究所の桔梗ききょうさんのところにこの「もどき」の影を持って行こう。


 さゆり姉の部屋を出ようとしたところで、ここに来たそもそもの目的がハンナのスマホだったことを思い出した。そのことを告げると、彼女はあわてて奥の部屋に戻り、携帯電話会社のロゴの入った紙袋を持って来た。

「初期設定はあんたにお願いするわね」

 少しは自分でもやったらどうだろうかと思ったが、口には出さないでおいた。

「了解。それと気になることがあるんだけど」

「何?」

「さっきのシースルーの服ってやっぱり元カレの趣味とかそんな感じの」

「聞くな」

 にらまれた。

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