第58話 心に傷を残したまま帰路につく


 わたくしは何も出来ませんでした。

 頭は回っているのに。意識はあるのに。まるで自分の身体が自分のものではないかのようです。視界に映る光景が、テレビのように他人の目で見ている映像を見ているとしか思えてなりません。


 呆けている。

 いまの状況を説明する言葉としては、こちらがまさしくぴったりな言葉ではないでしょうか。どうせ呆けており何も出来ないのですから少しだけ整理してみてはいかがでしょう、ルイーザ。良い提案ですわね、ルイーザ。


 ラウロ様は仰りました。

 サンドラ様に女として見てもらえるように努力すると。一度や二度断られても諦めないと。

 これはとても素晴らしい変化ではありませんか。恋愛方面に自信を持てなかった彼女が前を向いて行動するというのです。様々な思いを横に置いておいたとしても、恋する乙女を応援するわたくしにとってこれはまさしく最上の変化と言えましょう。


 ラウロ様は仰りました。

 もうわたくしに八つ当たりをしないと。

 これもとても素晴らしい変化ではありませんか。わたくしに構うことがなくなってしまうのは少々寂しいと感じることも出てくるかもしれませんが、それは思い出が美化されるが故であり、これで命の危険が迫ることがなくなったのです。わたくしの精神衛生上、そして生命活動においてもこちらもまた最上の変化と言えましょう。


 ラウロ様は仰りました。

 気持ち悪いと。


「どォいうことですのォ!?」


 草木も眠る丑三つ時。

 何度目か数えるのも止めてしまった悪夢に、わたくしは飛び起きました。おぞましい汗の量に最高級のシーツが不快指数を上げてしまっております。


 あの日から。ラウロ様が逃げていかれたあの日から、気付けば五日が経過しておりました。その間にも二人の王子様による決闘は続いていたようですが、決着の付かないままにアルバーノ様が国に帰らなければならなくなりました。

 そして、それと同時にわたくしもお父様より帰国命令が出されたのです。


「ルイーザ様、如何なさいましたか」


「……大丈夫。なにも、なにもないわ」


「承知致しました。なにかあればいつでもお呼びください」


 廊下で警備している人がニクラでなくて助かったわ。彼女であれば問答無用で部屋に押し入ってきたことでしょう。


 ラウロ様は言葉通りわたくしへの八つ当たりを御止めになられました。まだサンドラ様へのアプローチは行ってはいないようですが、まずは本当の性を公に公表するための下準備をなさっていることだけは耳にしております。

 アルバーノ様にお会いする名目であれからも何度か城を訪問しているのですが、彼女にはついぞ会えて居りません。周囲の者に確認してみれば、ついさきほどまでここに居たのですが、と首をかしげられることもありましたので本格的にわたくしから逃げているのでしょう。


「気持ち悪い……」


 女の子に言われて傷つくワードトップスリーにランクイン確定間違いなしの台詞です。しかも、いまのわたくしはルイーザなのです。見た目だけで見ればわたくしは美少女。にも拘らず、わたくしは彼女から気持ち悪いと言われてしまった。

 それは、つまり。

 この見た目を持ってしてもカバーしきれないほどの気持ち悪さが滲み出ていたということ……。


「死ねと? 神はわたくしに死ねと仰る?」


 そりゃ俺はモテたわけじゃなかったさ。……ちょっと見栄を張ったよ。モテなかったどころの話か女性と会話したことだって数回程度だよ。

 でも、そこまでひどい台詞だったか? いや、そうとは思えない。クサかったかもしれないが、この世界じゃ普通なはずだ。アルバーノ様だって歯が浮く台詞を言うことがあるんだから。ってことは、台詞ではなくて言った時の俺の雰囲気か? キモ男臭が漂っていたというのか? 見た目美少女から?


「はは、それは気持ち悪いわ……」


 男の感覚のせいで、周囲の男からは魅力的な女性に見えてしまう。だけじゃなく、男の感覚のせいで、周囲の女性からは気持ち悪い男に感じてしまう? おいおい……。おいおい、おいおい!


「これなんて無理ゲー?」


 命の危険がないだけ他の転生主人公よりマシだと、頭のどこかで誰かに突っ込まれてしまった気が致しました。



 ※※※



「ルイーザ様。次は私のほうから貴女に会いに行くよ」


「正式な訪問であれば、我が国が、喜んで、貴方を歓迎致しますよ」


「君じゃなくルイーザ様に言ったんだけどね」


「勿論、ルイーザも一緒に歓迎しますとも、僕の婚約者としてね」


 決着が着かなかった二人の王子様は、別れの朝も元気に火花を散らし続けております。わたくしの手を取ろうとしたサンドラ様の手をアルバーノ様ががっちりと掴まれて、はた目からは仲良く握手を交わす王子様となっております。

 とはいえ、実際に二人の仲が悪くなっているとは感じられません。むしろ、日を増すごとに二人がまるで長年の親友、いえ、悪友のようになっていく様だけは見ていて微笑ましいものがありました。


「この度は、わたくしの訪問を受け入れてくださり誠にありがとうございました。多大なる歓迎の数々、一生忘れませんわ」


「感謝を言うのはこちらのほうだ。貴女のおかげで我が国は真なる一歩を踏み出せたのだから」


「わたくしは何もしてはおりません」


「そういうことにしておこう」


 さすがにこの日だけはラウロ様もお見えにこそなられたものの、他の護衛の皆さまと共に一歩離れた場所にて待機しておられました。今まではあれほどサンドラ様から離れなかった彼女が。いえ、まあ、立場を考慮すればむしろ改善とすら言えるのでしょうけれど。


「では、帰りましょう。ルイーザ、手を」


「ああ、そうそう。勿論ルイーザ様のために最高級の馬車を用意させてもらったよ」


 王家の馬車へとわたくしを誘おうとするアルバーノ様を邪魔するように、負けず劣らずの豪華な馬車がわたくしのために用意されておりました。


「……」


「……」


「ここまでしてもらわなくとも僕の馬車で一緒に帰るから大丈夫ですよ。僕たちは婚約者なのだから」


「はっはっは、婚約者と言えど女性なのだよ? 長旅のなかで一人になりたい気持ちも汲んでみるのが男というものではなかろうか」


 二人の王子様が最後まで仲良く喧嘩しているのを尻目に、わたくしはサンドラ様が用意してくださった馬車へと乗り込むことに致しました。

 アルバーノ様には悪いですが、ずっと一緒はちょっと……。この間のキス未遂事件もありますので。

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