第46話 視察の始まり


「ルイーザ!」


 存在しないはずの尻尾が見えるようです。

 わたくしの姿に笑顔の花を咲かせて駆け寄ってくださる美少年。まさしくこの世の春といえる光景ではありませんか。問題は、わたくしがまったく興味がないことですけれど。


「急な申し出にも拘らず快くお受けいただき、恐悦至極にございます」


「むしろこちらからお願いしたいと思っていたことです。貴女と一緒に視察が出来るのは何より嬉しい」


 確かに、偶然とはいえ婚約者が同じ他国に居るのですから、視察を共にするのは自然なこと。そういえば、どうしてわたくしに声を掛けることもなく御一人で視察なさっておられたのでしょう。


「色々あって……、疲れているでしょう? 今日も、無理だと思ったらすぐに言ってくださいね」


「まぁ……、ありがとうございます」


 モテる男は違いますわー。けッ!

 って、違う違う。


 視察とは名ばかりでマーティン王国へ謹慎を申しつけられたわたくしを心配くださっていたわけですね。十歳にしてこの気配りとは恐れ入ります。


「ルイーザ様、アルバーノ殿」


 使用人たちが幸せ視線で見守るわたくし達だけの世界を気にも留めずにずかずか入る込んでこれるのは、確認するまでもありませんわね。

 すっかり男性として、王子としての風格を手に入れつつあるサンドラ様のご登場……、といいますか。


 貴方、いま、わたくしの名前のほうを先に呼びましたわね? それ、色々問題があると思うのですが……。


「二人とあそ、出掛けられると思うと昨日はぐっすり眠るしかなかったよ」


「そこは、緊張で眠れなかったというべきでは?」


「はっは、今さら君と出かけることに緊張する私だとでも?」


 遊べる。と言いかけましたわね。いえ、言いかける振りをなさったというべきですか。

 堅苦しい雰囲気が好きではありませんので、サンドラ様の空気は決して嫌いではないのですが。


「ところで、ルイーザ様」


「いかがなさいましたか?」


「今日は挨拶のハグはしてくれないのかな」


「一度もしたことはありませんわ!?」


 気持ちの悪いこと言うな!? じゃない、アルバーノ様の機嫌を損ねることを言うな!!


「サンドラ殿、僕の婚約者を虐めないでくれませんか」


「これはすまない。ルイーザ様があまりにも可愛らしいもので、つい」


 朗らかに笑い合う二人の間には、火山でもぬるいほどの火炎が発生しているようです。と思えば、数秒後には何事もなかったかのように本日の打ち合わせを始めるのですから、この二人の関係はよくわかりませッ!?


 背筋に走るおぞましく吐き気の催す明確な殺気!!


「……………………」


 居るぅぅぅ! というか、こっち見てるぅぅぅ!!


 どうしてそんな遠くに居らっしゃるのですか! 貴女はサンドラ様のお付きでしょうに! もっと近くに、いえ、お傍にいてください! どうして、どうしてそんな遠くの木の陰からこちらをじーっ、と見ているのですか! もはや魑魅魍魎の類ですわ!?


「サ、サンドラ様……、ラウロ様の、御謹慎は……」


「解いたのだけどね、どうも様子がおかしいんだ」


「また貴方が余計なことを言ったのでは?」


「はっは、それは否めないな」


 そうですか。謹慎は解かれたのですね。

 つまり、あそこで見守っていることも悪いことでは、……悪いことだと思いますね。お付きなのですからお傍に居れば良いというのに、あれでは刺客と思われても仕方ありませんわ。そこらの刺客よりも明確でかつ泥のような感情をお持ちのようですけど。


「そうだ。申し訳ないのだけれど、ラウロをこちらへ呼んできてもらえないだろうか」


「……それは、わたくしに申されていらっしゃるのですよね」


「あれは君のことを気に入っているようだしね」


 貴方の目は節穴ですか。

 この間、彼女の口からムカムカすると言われたばかりですけれど。


 とはいえ、一国の、しかも現在お世話になっている国の王子にお願いされて断るわけにもいかず。


「ラ、ラウロ様……、サンドラ様がもっと傍に来るようにと」


「妬ましい……」


 お願いですから、素手で大木をミシミシいわさないでください。


「せっかく御謹慎も解かれたのですし」


「妬ましい……」


 会話してください。


「この間お話したように、サンドラ様にアピールする機会だと思って!」


「……恥ずかしい」


 今の恰好のほうがはるかに恥ずかしいわい。

 って、違う違う!


「何を仰っているのです! 愛とは戦いですわ、恥ずかしいなんて言っている場合ではありません!」


「この恰好だし……」


「サンドラ様は貴女が女性だと知っているのですから問題ありません!!」


 周囲がどう思うかは知ったことはではありません。

 ですが、美しい王子と美しい近衛騎士の恋愛は、おそらく受け入れてもらえることでしょう。メイドを主として。


「貴様のように媚びを売るのは」


「売ってはおりません」


 非売品も良いとこです。向こうが勝手に手を伸ばすのです。むしろ強盗ですわ。


「とにかく! 傍に居らっしゃらないと話にもなりませんわ!」


「分かった! 分かったから、無理に引っ張……、本当に引っ張っているのか、それ」


 貧弱で悪かったな!?

 普通の令嬢なんてこんなもんだよ!!

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