第37話 狂犬の刃
「や? やさ? え? や? ん? え? んん?」
一国の王女が、いえ、女性が見せて良い姿ではありません。彼は女性ではありませんが。
嫌いな野菜と食べたケーキの美味しさの矛盾が彼の脳をショートさせてしまっているのでしょう。ショートケーキだけに。
「サンドラ様! お気を確かに! サンドラ様!?」
「……ラウロぉ? ああ……、夢かー」
「サンドラ様ァ!? お、おのれルイーザ! なんというものをサンドラ様に食べさせたのだ!!」
廃人と化してしまった主の様子に、ラウロ様が腰の剣を抜きました。って、おいおい……。いくらゲームな世界だからってさぁ……。
ですが、この展開は予想済みです。わたくしにとっての問題は、目の前のラウロ様よりも、彼女に飛び掛かろうとするニクラを止めることにありました。どうして彼女はこんなにも好戦的になってしまったのでしょう……。
「貴女では勝負にもなりません。下がりなさい、ニクラ」
「そうは参りません!! ルイーザお嬢様に刃を向けてただで済むはずがありましょうか!!」
だからといって、スプーンでどうやって戦う気なのですか、貴女は。
「気持ちはありがたいけ、ちょっと!」
「いやぁぁああ!!」
メイド剣術スプーン破刃を繰り出したニクラが、華麗に宙を舞う。怒り狂う本人とは裏腹に、ニクラの攻撃を捌き切ったラウロ様の剣はどこまでも柔らかいものでした。
「ふん」
「はぅ!?」
床に激突し、目を回しているニクラは……、怪我はないようですね。良かった。
ですけれど、これで正式に同盟国の貴族相手に牙をむいたことになりますね。それも、他の目があるところで。
「申し開きはあるか」
首筋に向けられる美しき刃。
言葉を間違えれば彼女はわたくしを斬り捨てるでしょう。ここまでくると、もはや国にとって害悪ではありませんかね……。
彼女が少し力を加えるだけでわたくしの首は床に転がることになるでしょう。それでも、わたくしが何も怯えることなく微笑み続けることが出来たのは、この展開を予想していたから。
とか、言いたいのですけれどね。本当は、怖すぎて腰が抜けて動けないだけですわ。
無理無理! 剣とか無理ですって! 令嬢ですわよ、わたくし! 剣なんて間近で見たこともありませんのに、いきなり首にひやり、とかありえませんわ!?
どこの世界に剣を向けられて平気な人間が居りましょう! 世の中に異世界転生している主人公たちはどうやってこの恐怖を乗り越えているのですか!? それとも、彼らは皆元の世界でも凶器を向けられることに慣れた生活を送っているのですか!? どこそれ世紀末!?
「……、」
余裕を崩すことのない(様に見えなくもない)わたくしに、ラウロ様がたぢろがれます。これは……、なかなかにご都合的な展開!
飛び掛かったニクラにも怪我がないことを考慮すれば、彼女はまだ完全に理性を失っているわけではないはず。と、言いますかこの狂犬のことです、真に理性を失っていればそれこそすでにわたくしは斬り捨てられていることでしょう。
「な……、なんだその目は!!」
怖すぎて視線を外すことすら出来ないだけですわ。
「ふふ」
「!?」
恐怖が臨界点を越えて逆に笑えてきました。
ちょっともうどなたでも良いので助けていただけないでしょうか。わたくしはただ野菜嫌いのサンドラ様のために美味しい野菜ケーキを準備しただけなのですけれど!?
「ッ! この!」
「おやめなさい!!」
場を支配していた空気が、たった一言で吹き飛びました。
ああ……、良かった……。
復活なされたのですね。
「ラウロ……!! いったい貴方は何をしているのです!!」
絹の如き髪がうねりを上げる幻覚が見えてしまうほど、怒り狂う王女がそこには居りました。
言っておきますが、野菜ケーキで混乱した貴方にも問題はあると思いますけど……。準備したのはわたくしということはこの際棚に上げますわ。
※※※
「何と言えば良いか……」
あれからサンドラ様の号令のもと、ラウロ様は駆けつけた兵士たちに捕らえられてしまいました。さすがにあの行動は目に余るものでしたしね。
サンドラ様は、この場で起こった出来事全てをしばし他言無用にせよ、と言い聞かせ、わたくしとニクラを連れてまさかの私室へと案内してくださいました。
ゲームの設定よりも、ラウロ様の我慢が効かないように思えたのはやはり年齢が原因なのかもしれません。彼女もまたわたくし同様に十歳の娘。だから許されるものではありませんが、ゲームで登場するより幼い彼女では色々違いもありましょう。
などと、考察している場合ではありません。
同盟国の大貴族の娘に刃を向けたとあっては、これはまさしく国際問題です。それも弩級の。
いくらサンドラ様の事情を知るラウロ様といえど、それなりの処分は免れないことでしょう。それこそ、処断すらありえる話です。
とはいえ……。
わたくしとしましては、そんなこと望んでおりませんし、このことがお父様の耳に入ろうものなら……。う、うぅん……。
ラウロ様の態度も、妹を思い出せば可愛いものです。あの程度で腹を立ててあの妹の兄はやってはいけないというものです。もう、死んだのでやっていけませんけれど。
「上手く事が運び、一安心で御座いますね。サンドラ様」
「お嬢様……?」
いきなりおかしなことを言いだすわたくしに、思わずニクラが口を出してしまいます。これこれ、状況が状況とはいえ、王族と公爵令嬢の会話にメイドが口を挟むのは失礼ですわよ。
クエスチョンマークを浮かべるニクラとは対照的に、サンドラ様の顔つきがすぐさま変わります。さきほどまでの頭を抱えていらっしゃった彼はどこにも居りません。
「いずれは王となられるサンドラ様のために、すべてを投げ捨ててでも守る覚悟があるか。ラウロ様を試される計画にご協力出来たこと一生の誉れと致したいものですわ」
「…………。ルイーザ様には、無理ばかり申してしまい、感謝しかありませんね」
「何を仰います。このルイーザ、親愛なるマーティン王国のためとあらばこの身を捧げる次第です」
「ルークス王国は良き臣下を持ったものですわ」
「二国の明るい未来のためとあらば」
つまりは一芝居打ったことにしてしまおうというだけです。
無理は承知ですが、あの場に居た者たちも二国の絆が失われることを望んでいるわけがありませんし、そのことを分かった上で今日のことを漏らすほど愚かではないでしょう。
それでも、まったくの問題が消えたわけではありませんが、ここでラウロ様を処断するよりは幾ばくも良いはずです。少なくとも、サンドラ様にとって。
「それでは、皆様にお伝えしに参りませんでしょうか。不安になっていらっしゃる頃かと」
「そうですね。そういたしましょう」
ありがとうございます。
立ち上がったサンドラ様が、小さく零した言葉がわたくしの耳に届くはずはありません。
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