26.優先すべき事
夜空を照らすように、炎の光と――雷光が村に轟いていた。
異常な雰囲気。何度も稲光が見えるのは、ミティが戦っているからなのだろうか。
馬を飛び降り、村の広場へと全速力で駆ける。
逃げ惑う人々と、何かを恐れて身をひそめる人々。
彼らが見つめる先に――ミティは居た。
黒い渦のようなものに巻かれ――自らの身体を抱いて――小さくうずくまっている。
そんな彼女の身体からはとめどなく電流がほとばしりつづけていた。
まるで怒りを解き放つかのように所かまわず雷撃を放っている。
明らかに何かおかしい。
それが何なのか僕には分からなかったが、アズはそれを見た瞬間――ミティに向かって走り出していた。
「いけません! そのままでは堕ちてしまう!!」
アズが広場へと飛び出した瞬間――
何かがものすごい勢いで、彼女に迫った。
大きな翼を持つ黒い影。
何とか反応して、僕は彼女を抱きかかえて避ける。
「っ――!」
地面を滑る摩擦よりも、アズを抱きかかえた腕に激痛が走った。
三本筋の深い裂傷。
トラスへと逃げてきた村人がつけられたものと似ている。
見上げて――空を飛ぶ黒い影を視線で追う。
この傷の犯人は――
ミティの友達。ジャターユだ。
人を襲う事はないと言っていた大鷲がなぜ?
だが、その姿を見て僕は、理由を推測することができた。
以前見たジャターユとは違う、禍々しい姿。
それはジェスターや彼の神獣ティンダロス達とよく似ている。
ジャターユが暴走している理由は、おそらく同じような原因だ。
「エリオット! ミティちゃんが……このままでは『咎人』に……!」
「そんな……」
「まだ間に合うはずです! 早くしないと!!」
腕の中から這い出ようとアズが叫ぶ。
咎人――
ジェスターのいびつに変貌した姿が脳裏に浮かぶ。
ミティがあんな風になってしまうというのか?
だけど、アズはまだ間に合うと言っていた。
咎人になるのを阻止できるというのであれば、急がないと。
「あらあら。誰かと思えば……『八咫烏』の巫女」
ジャターユを警戒しながら、アズを立たせるとミティのそばに女性が立っているのに気が付いた。
黒い艶やか長髪を撫でながら、女性はアズを見て不気味な笑顔を見せる。
整った顔立ちだが、肌は生気がなく真っ白だ。その瞳も笑っているようで――どこか感情がないようにも見える。
「ベ……ベリアル……!」
アズが呟く。
僕はその声に驚いた。
吐き出すようにしてつぶやいたその声には、聞いたことがないほどの怒りが込められていた。
怒りを込めて名を呼ばれた女性は――嬉しそうに身をよじる。
――アズの顔が、怒りで歪んでいる。初めて見る表情だ。
憎悪を燃やす眼差しで――ベリアルという名の女性を睨みつけている。
「いい顔。ゾクゾクするわ」
「貴方だけは……!」
「『許さない』? 私は手助けをしただけよ。絶望の淵へと堕としたのは『あなた』じゃない?」
「違う! 違う!」
何の話だろうか。
アズが取り乱している。
……こんな姿は見たことがない。
二人の間に、何かが――アズが彼女を恨む何かがある。
ベリアルを目にした瞬間から、怒りに感情が囚われてしまっていた。
「もっと怒ってみせて? でも、原因はあなたである事はなんら変わりのない事実よ。あなたが『あの人』を殺したのよ」
「違う! 『お父様』はぁ!!」
その言葉にアズは――感情を爆発させた。『八咫烏』が呼応して舞い上がり――ベリアルを威嚇するように鳴く。
だが、これは明らかに挑発だ。
彼女の怒りを引き出そうとしているのが僕には分かった。
怒りに震えて、一歩ずつ近づいてくるアズを、楽しそうに眺めている。
そうだ。
こうしている間にもミティが――
「アズ!!」
僕の声は、なんとか届いたようで、ピタリと歩みを止めてくれた。
「あらあら。面白くなりそうだったのに……」
ベリアルは残念そうにつぶやくと――きびすを返して僕らから去ろうとした。
それを見て、またアズが反応してしまう。
「面倒事になる前に、退散させてもらうわ。アズリエルちゃん……あなたを堕とすのはまた今度――」
「待っ――」
「追いかけてくる? それなら――遊んであげてもいいわよ」
逃げ出すベリアルをアズが追いかけ――ようとして、立ち止まった。
僕が、手を握って離さない事に気づいて。
彼女はその手を払いのけようとする。
そうまで執着する事、そして、なによりこの手を振りほどこうとしている事にショックを受けた。
彼女がベリアルを追いかければ――何かが変わってしまう。
言いようがない危機感を覚え、僕はさらに力を込めて彼女を掴んだ。
離すわけにはいかない。
「ダメだアズ。今はそれどころじゃない」
「……っ」
「今、すべき事をしっかり見極めるんだ。アズ! アズリエル!」
暴走し始めている彼女の手を引き――
しかりつける様にして名前を叫んだ。
その言葉でようやく、冷静になってくれたようで――
はっとした表情で僕を見つめ返す。
取り乱していた自分を軽蔑するかのように強く唇を噛み締める。
その目の端には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「ごめんなさい。ごめんなさいエリオット……」
「ミティちゃんを助けよう」
「……はい」
ベリアルは霧の中へと溶け込むようにして消え去っていく。
その姿を口惜しそうにアズは見つめていた。
ベリアルへと向ける怒りは驚くほど大きかった。
さきほどのやりとりから、アズのお父さんの死と深く関係があるのは間違いない。
だけど、今優先すべきなのは――ミティを救う事だ。
とはいえ、ベリアルという女性が居なくなってくれたのはありがたい。
彼女を助けるための障害が、一つ減ってくれたからだ。
闇夜をそび、僕らを狙うジャターユ。
ミティが『咎人』になるのを止めるには、あの大鷲をどうにかしないといけない。
「アズ。助けられるんだね」
「……はい。恐らく間に合います。直接、触れる必要がありますが……」
見つめる先にあるミティの身体には、蝕むような黒い手がいくつも絡み合っている。
たぶんあれが咎人になる原因。
すでに半分以上が覆われている。
覆いつくされてしまったら、いったいどうなるのか……
急がなくてはならないだろう。
だけど、たどり着くまでに大きな問題がある。
彼女はまるで嵐の中の雷雲がごとく、電気を放出しつづけていた。
あの中へと飛び込んでいって、無事に済むとは思えない。
「取り乱してごめんなさい、エリオット。もう大丈夫です。これ以上、『咎人』になる人は出しません。ミティちゃんは必ず救います」
アズは先ほどとは違い、冷静な表情をしている。
気を引き締め、凛とした態度。
巫女の顔だ。
彼女は、あの中へと飛び込む覚悟が出来ている。
今この状況で、ミティを助けられるのは彼女一人だろう。
彼女の覚悟を尊重し、守ってあげなくてはならない。
そのために僕がする事は一つだ。
「ミティちゃんは任せるよ。僕はジャターユの囮になる。その間にお願い」
「……はい。エリオット……気をつけて」
「お互いにね」
夜空に小さく見えるジャターユがゆっくりと旋回をやめ、こちらに向かってくるのが見えた。
ショートソードを構えて、降りてくるのを待つ。
囮になるとはいったものの……どうやって注意を引こうか。
あの高さではたぶん、ケルベロスの鎖も届かない。
ジャターユを見つめながら、作戦を練る。
ほんの少し、違和感を感じた。
かなりの高さにいたはずの大鷲がみるみる大きくなってくる……
大きくなるスピードが、尋常ではない事に気づいたのは手遅れになる直前だった。
ジャターユは今まで見たどんな鳥よりも巨大だ。
そのせいかジャターユとの距離感を見誤ってしまった。
いや、違う。
ジャターユが持つスピードが僕の予測の範疇を大きく超えていたのだ。
速いなんてもんじゃない!!
しかも、急降下してくる大鷲が狙うのは――僕ではない。
ミティに近づこうとしているアズだ!!
即座にケルベロスを全開にして跳ぶ。
アズを突き飛ばす形で、ジャターユの突撃から逃がす。
爆音と共に腹部に鈍い痛みが走る。
大砲の弾を至近距離で受けたような衝撃。
蹴り飛ばされたボールのように地面を数回跳ね――家屋へと突っ込む。
ガラガラと音を立てて、僕の上に瓦礫が落ちてきた。
ケルベロスをつけてなかったら、ぺしゃんこだったかもしれない。
いや、それ以前に――ジャターユの一撃で死んでいた。
瓦礫から這い出るために力を込めると、わき腹に激痛が走る。
どの部分かは分からないけど、確実に骨が折れていた。
アズに治してもらったというのに、さっそく大怪我。
かすっただけだというのに、ケルベロスの甲冑にひびが入っている。
直撃していたらと思うと、ぞっとする。
柱を持ち上げて瓦礫から身を出すと――突き飛ばしてしまったアズが身を起こしながら心配そうに僕を見つめていた。
鎧姿の僕を見て、すこしだけ安堵の表情を浮かべる。
「突き飛ばしてごめん、アズ! でも、こっちは心配せず早くミティちゃんを!!」
「は、はい!」
起き上がって駆け出すアズを見送って、僕はジャターユを見上げる。
すでにまた天高く舞い上がっていた。指先ほどの大きさに見えるが――あそこから降りてくるまで一瞬だった。
ものすごいスピード。
ケルベロスのおかげで身体強化されているが、ぶつかる瞬間は正直、見えなかった。
鷹の飛ぶ速度はとてつもなく速いとは聞いたことがあるけど、実際自分が獲物になってみると何が何だかわからない速度だ。
反応できるかどうかも怪しい。
力自慢の相手の次は――スピード自慢の相手か。
「勉強になるよ……ほんと」
兜の中で血が混じった唾を吐き出し、構えなおす。
幸いなことにジャターユの目標は僕へと切り替わったようだった。
また小さく見える大鷲が旋回するのをぴたりと止め――まっすぐこちらへと向かってくる。
待ち構えるのが嫌になるほど、ものすごい速度で迫ってくるのが分かる。
それでも何とかしなくてはならない。
「……こい!」
自分自身に活を入れるように叫ぶと――
ケルベロスの兜から鈍い眼光が輝き、唸りをあげた。
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