25.絶望と怒りを誘う者
町を抜け、馬を急かす。
乗馬経験がないアズを抱えるようにして、全速力で村へと向かう。
二人乗りでこの勢い。
馬が潰れないか心配だけど、この調子ならすぐにでも村へとたどり着けるだろう。
「黙っていて、ごめんなさい……エリオット」
「いいよ。そんなすごい家柄だとは思ってなかったから、驚いたけど」
僕の腕の中で申し訳なさそうに視線を落とす。
驚きはしたけれど、謝られるほどの事じゃない。
むしろ、『七英雄』の娘であることを公言した方が、旅が楽なんじゃないかとすら思える。
何故それを隠すのか。
そちらの方が気になりだす。
「でも、お父さんは……亡くなったんだよね?」
「……マクスウェル家の家督は、今は兄様が継いでいます」
「お兄さん……」
次から次へと新情報が飛び出てくるな……
でも、当たり前か。
僕はアズの事を知っているようで、何も知らない。
以前嫌というほど思い知らされた。
「はい。実は……その。兄様は、私が旅に出る事をひどく反対していたので――家出同然で旅をしているのです」
「なるほど。厄介な人物って――」
アズのお兄さんの事か。
口ぶりからすると、とても怖い人なのだろう。
「兄様は『七英雄』としての責務を全うしているので、大陸を転々としています。ですが、この一件で私が家を抜け出した事は――すぐ耳にするでしょう。そうなれば……」
「追いかけてくると?」
「……はい。必ず、連れ戻しに来るかと……」
『処刑人』マクスウェルの名を継いだ人間が、僕らを追いかけてくるのか。
そのしつこさは有名だ。
孤児院にいた頃、いう事を聞かない悪い子の枕元にはマクスウェルが来ると逸話を聞かされたほど。
噂が事実であれば、確かに厄介だ。
だけど、そうまでして彼女を連れ戻そうとするのは、兄としての優しさかもしれない。
「……良いお兄さんだね」
「そう、ですね。兄様は優しいです……とても」
何か含みを持った口ぶりだ。笑顔を見せるが、どこか物憂げな表情。
たぶんそれは、帰りたくないからなのかもしれない。
連れ戻されれば、きっとまた――閉じ込められて暮らす事になるのだろう。
シェンフーさんが言っていた牢獄のような部屋に。
そのリスクを背負ってでも、アズはミティや少女たちを助けようとしたのだ。
すでにシェンフーさんから事情を聞いているとは、彼女はまだ知らない。
だから、笑ってごまかそうとしている。
彼女の抱く腕に、力がこもる。
「エリオット?」
「大丈夫。ミティを助けて、お兄さんにバレる前に先に進もう」
「……はい」
「まずは、キャンサ村を救わないとね」
この先――キャンサ村で何が起きているのかも気になるところではある。
村の人の負った怪我。
あの焦りよう。
恐らく、魔物の仕業だ。
「アズ……まだいける?」
彼女の顔には、疲労の色が見えていた。
大怪我を負った村の人。そして、ギュンターさんと戦った僕。
すでに二人、『八咫烏』の力で癒している。
治癒の力は彼女の体力を大幅に奪う。
かなりの力を使ったはずだ。あとどれだけ動けるのか……
「いけます。やってみせます」
足手まといにはならないと、彼女は強く言葉を返す。
「エリオットこそ、大丈夫ですか?」
「なんとかね」
かくいう僕も、全力で戦った影響が出始めている。
お互い、限界はそう遠くない。
相手がなにものであれ、協力しあわなければ、勝つのは厳しいだろう。
……アズの言葉を思い出す。
「援護は任せるからね。アズ」
「……はいっ」
少しだけ、嬉しそうな返事。
遠くでうっすらと黒煙が立ち上るのが見えてきた。
ミティの無事を祈りながら、馬をさらに加速させる。
● ● ●
「やめて! ジャターユ!!」
村のあちこちで、火の手が上がる。
黒煙と火の粉を巻き上げながら、大鷲が咆哮した。
ミティは、それがジャターユだと。苦楽を共にした友人だと気づくのが遅れた。
何度も埋もれて眠った羽は禍々しく折れ曲がり、気高さを誇った鉤爪は、以前とは比べ物にならないほどいびつになっている。
まるで別の魔物。
彼女にはそれがジャターユだと理解できたのはかすかに残る面影のおかげだった。
ジャターユが、村を襲っている。
その事実を示すように、大鷲の爪には鮮血がこびりついていた。
怪我をして逃げ惑う人々。中には倒れて――動かない人もいる。
皆、知っている顔だ。
「そんな……そんなぁ……」
ジャターユが人を襲うはずがない。
ミティは、啞然として立ち尽くす。
目の前で起きている惨劇が、大鷲によるものだと認める事ができないでいた。
「お願い止まって! ジャターユ!! どうして聞いてくれないの!?」
悲痛な叫びに、大鷲は見向きもしない。
だが――
代わりに答えた人物がいた。
「お友達かしら?」
「……誰!?」
揺らぐ炎の中から、女性が現れる。
村の住人でないことは、ミティにはすぐに分かった。
見たことがない女性――異質な雰囲気を放つ彼女は、笑みを浮かべる。
「この子の――そうね。『親』みたいなものよ。あなたはお友達になれると思ってたみたいだけど、我らが『眷属』はこの通り。私たちに逆らう事なんてできないのよ」
あざ笑うかのように、手をあげると――彼女の横にジャターユが降り立った。
まるで主従関係があるかのように、首を垂れる。
この女性は人ではない。
そう判断したミティは、『インドラ』を発動させ――彼女めがけて雷撃を走らせた。
地をえぐりながら殺到する雷は――
突如現れた水の壁に阻まれて、四散する。
「……くっ」
「……あら? あらあら」
ジャターユを従える女性は、雷撃を気にする様子もなく、ミティを見つめた。
目を細めて、何かを確認するようにし――嬉しそうな声をあげる。
「あなたね、絶望の『残り香』の主は。辿ってみたら誰も居なくてがっかりしてた所よ。憂さ晴らしのつもりだったけど、この村に寄って正解だったわ」
「なんなの……」
「そう怯えないで。わたしはあなたとお友達になりに来たのよ」
ミティの背筋に悪寒が走る。
人の姿をしたそのうちに、何かドス黒いものを感じ取って――彼女は構えた。
一度だけ、味わった事がある感覚。
義姉と共に旅をしていた頃――対峙した事があるあの――『厄災』の魔物のような。
禍々しい気配。
「友達になんかならない。ジャターユを元に戻せ!」
怒りを体現するかのように、全身に電流を帯びる。
その力を見て、魔物の女性は恍惚とした表情を浮かべた。
「いい力ね。とても、とてもいいわ。その顔もとても素敵。はやく堕としてしまいたい……」
身をよじり、物欲しそうにつぶやくと、辺りを見渡して何かを思いついた様子を見せた。
ミティはそこで気が付いた。
燃え上がる家屋の影から。
崩れ去った残骸の中から。
村の人々が自分を見つめているのを。
視線は助けを乞うような目線と――憎しみをぶつける様な視線が入り混じっている。
ジャターユが彼女のお供であることは村の人々は知っていた。
その大鷲が村を襲ったのだ。
主であるミティに怒りをぶつける事は、何らおかしくはない。
様々な感情が渦巻くその中心に、ミティがいる。
異様な雰囲気に、彼女は言いようがない恐怖を感じ始めていた。
「一つお遊びをいたしましょう!」
魔を宿す女が村人に言い聞かせるように声を張り上げた。
「この娘を殺せば、あなたたちは見逃してあげるわ」
「な、なにを」
「逆に『あなた』は、村の人間を殺せば、ジャターユを返してあげる」
「ふざけないで!!」
雷撃が飛ぶ――だが、またしても水の壁が現れて阻まれてしまう。
「あらあら、逆らっても無駄よ」
ジャターユが反応し、ミティの前に立ちはだかった。
「ジャ、ジャターユ……」
甲高い咆哮をあげて、爪を振り下ろすが――ミティはすんでのところでなんとか避ける。
自分にまで牙をむいた。
その信じがたい出来事に、心が締め付けられる。
「どうしてぇ……!」
ミティは、瞳を潤ませて声を荒げた。
彼女の声は依然として届かない。
「それとも、大事なジャターユちゃんを相手にできる? うふふ」
「ミティ! その化け物を殺してくれ!!」
「お願い!」
「頼むミティ!」
ゲーバ村長が、村人たちが、ミティに懇願する。
人々の助けを求める声が、炎のように渦巻き始めた。
だが、彼女はその言葉に――願いに答える事が出来ないでいた。
全身に雷を帯び、ジャターユへと手を向けるが、放出することはせず、ためらう。
「撃たないの? 皆あなたに期待しているわよ?」
女は大鷲をおとなしくさせ、わざと狙いやすくする。だが、ミティは撃つことができない。
「何をしておる! はやくしろ!」
「倒して!」
誰も彼もが、ためらうミティにいら立ち始めていた。
その声が一層、彼女を苦しめる。
「ひっく……どうしたら……どうしたらいいの……」
嗚咽混じりに誰かに助けを求める。だが、それを聞き入れてくれる人間は居なかった。
幼いながらも、取るべき行動――取らなければいけない選択肢は理解している。
ジャターユを止めるには、殺すしかない。
だが、ミティにはどうしても出来なかった。
苦楽を共にした最後の仲間。
残された彼女にとって――唯一の存在。
「で、できないよぉ……ジャターユ……」
「出来ないなら。村の人間を殺すしかないわよねぇ」
女があざ笑う。彼女はミティがそれすらもできないことを分かっていた。
ただ、一押し。
さらなる絶望を彼女に与えるために、わざと『全員』に聞こえるように言ったのだ。
「……お前なんか助けるべきではなかった」
吐き捨てるように――ゲーバ村長が言い放った。
「え……」
「こんなことになるなら、お前など助けなければ……!!」
「そ、そんな……」
「『そいつ』を殺せば、村は助けてくれるんだな!? わしらは助かるんじゃな?」
「ええ。そうよ」
確かめるようにして、ゲーバ村長がうなずく。
それに合わせて、じりじりと――何人かの男がミティへと歩み寄りはじめた。
彼がした決断を、ミティは理解できないまま、混乱した表情で迫りくる男たちを見る。
「まって……お願い……」
殺気をまとう男たちにおびえ、訳も分からず制止を試みる。
しかし、彼らは止まらない。
歩み寄ってくる男たちは皆、ジャターユが村を襲った時からミティに怒りをぶつけていた面々だった。
混乱し、怯え、恐怖するミティは限界が来ていた。
ふいに、雷で出来た『神獣』が彼女の背後に現れる。
雷鳴のような咆哮――
コントロールを失った『インドラ』が彼女を守る様にしてすさまじい雷撃を四方へと放つ。
「ああっ……!」
その一撃が、運悪く村人の一人へと襲い掛かり、深手を負わせる。
ミティに迫っていた男たちではなく、不安げに見守っていた――女性に。
――空気が一変した。
「なんて奴だ……」
「だから俺は魔物を連れてるやつなんかやめた方がいいって言ったんだ」
「こいつ……!!」
怒りと、憎しみ。
そのすべてが彼女に向けられた。
守ろうとした居場所が無くなったのを彼女は肌で感じた。
いや、むしろこの場から逃げ出したくなるほどの、殺気の渦が炎と共に巻き上がる。
「ち、ちがう……わざとじゃ……」
「殺せ! こいつはあの魔物と変わらねえ!!」
「違うってんなら、大人しく殺されろよ!!」
「……やれ」
ゲーバ村長が、ぽつりとつぶやくと男たちが各々に武器を持つ。
すでにジャターユと女は視界に入っていない。
彼らにとっての敵は――ミティただ一人。
これこそが魔物の女が望んでいた展開だった。
「ひ……ひぐ……どうして……」
「いいわ。いい『絶望』よ! あなたはとっても素敵な『お友達』になれるわ。さあ、私にすべてを委ねて……!!」
「あ……ああああ。あああああああああっ!!」
大粒の涙を流し、頭を振り乱す少女を包み込むようにして――
黒い手がいくつも伸びていった。
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