24.七英雄

 


 アズの口をふさぐように触手が頬をつたう。

 それだけではない。

 彼女の服の下――地肌を楽しむかのようにしていくつもの触手が彼女の身体を捕らえて動けなくしている。

 ぬめぬめとした触手が彼女の柔肌を這っていく。

 不快感と恐怖でアズは瞳に涙をにじませた。


 なぶられるような彼女の姿を見ていられなかった。


「アズをはなせ!」

「おっと動くなよ……」


 アズを盾にして僕を制止する。

 怒りが爆発しかけるが――動けば彼女がどうなるかわからない。


 だが、オットーはアズを無事に解放する事もないだろう。

 くそ!

 彼女の身体をもてあそぶ触手が、心をかき乱す。

 今すぐにもオットーを殴りつけてやりたい。


 そのせいで、僕は足元に伸びてきた触手に気づくのが遅れてしまった。

 太ももにちくりと、何かが刺さった。

 大きな痛みはなかった。

 だけど――刺された足に力が入らなくなり――僕は踏ん張りがきかず膝をついた。


 ギュンターさんとの戦闘の影響ではない。

 今、何かをされた。


「こうなってしまえば、こっちのものよ」


 オットーが僕の姿を見て笑う。

 立つことができない……

 いや、それだけじゃない。

 全身に力が入らなくなっていく……



「むぐぅ」


 倒れ込んだ僕を見て、アズが暴れるが――塞がれた口からくぐもった声を漏らすだけしかできないでいた。


「小娘を取り逃がしたのは、腹が立つが……こっちも上物だ。捕まえるまで、たっぷりと楽しませてもらおう」


 オットーがアズに顔を近づける。

 他のものより細長い触手が彼女の目前に伸びると、その先から――鋭い針がぬるりと姿を現した。

 それを見てアズは身体をよじるが、触手から逃れることはできない。


「なーに……痛いのは最初だけ。あとは頭も身体も気持ちよくなれるぞ……ゲヒョヒョ。ワシが天国へと連れて行ってやろう……」


 彼の口ぶりから、その針に何らかの毒があるのが分かった。

 僕が動けないのは、あの毒を食らったからか……


 毒を利用して、ミティを動けなくする計画だったのだろうか。

 その計画は、いまやアズへと向けられている。


 このままでは――

 アズが――!


 だけど身体がいう事を聞いてくれない……

 下半身の感覚すら――ない。


「旦那! そいつは外道すぎるやり方ですぜ!」


 息も絶え絶えなギュンターさんが何とか止めようと叫ぶが――オットーは一層にやりとあざ笑う。

 僕らの前でアズをもてあそぶつもりだ。

 それが楽しみで仕方ない――そんな顔で見下ろしてくる。




 悔しさで瞳がにじみ出す。


 こんなやつにアズが……


 僕の注意不足だ。

 ギュンターさん以外にも敵がいるのに、油断してしまった。

 オットーなど、簡単に倒せると思ってしまった。


 くそくそくそくそ!!!


 震える手を伸ばすのが精いっぱい。

 そんな自分が情けない……




「たまには観客があるのも一興かもしれんなぁ……ゲヒョヒョ!ゲヒョヒョヒョ――」



 アズの首筋に小さな針が突きたつ直前――



 ゴシャ――


「ゲヒブハァ!!」


 オットーの顔面に石像がめり込んだ。


 彼を模した小さな石像。


 それが深々とめり込む。

 ものすごい勢いで飛んできた石像は粉々に粉砕し、オットーがはじけ飛ぶ。



 ほぼ同時に――白い影が僕らの前を通り過ぎる。

 見覚えのある白い虎だ。


 獣の咆哮を轟かせると、アズへと飛び込み――

 彼女を拘束する触手のことごとくを豪腕で引き裂いた。



 シェンフーさん!


 力が入らず、声には出せなかった。



「真打ち登場ってな」



 アズを抱きかかえ、シェンフーさんが呟く。

 その姿はとても頼もしく見えた。


 彼がアズを降ろすと――彼女は一目散に僕へと駆け寄ってきた。


「エリオットっ」


 瞳を潤ませて、心配そうに僕を覗き込む。

 そんな彼女を見て、僕は逆に安心してしまった。


 良かった。彼女は無事だ。



 動けない僕をみて、すぐさま『八咫烏』を発動させる。

 彼女の光をほんの少し浴びると、すぐに身体の自由を取り戻すことができた。


「お、遅いですよ……シェンフーさん……」



 思わず口にしてしまった。


「これでも結構頑張ったほうなんだぜ。やたらと屋敷は広いしよ」


 悪びれる様子もなく、彼は飄々と言い返す。だけど、その口ぶりが僕を安堵させてくれる。

 シェンフーさんが来たなら、見つけたはずだ。

 オットーの悪事を。

 その証拠を。



「う、うごごごご……」


 涙目でうめきながら、ゆっくりとオットーが身を起こした。

 強い衝撃を受け、大きなワシ鼻は根元からぽっきりと折れ曲がって痛々しい。

 ぼたぼたと鼻血を垂れ流し、顔を押さえながら立ち上がる。


「ぎ、ぎさま……」


「おうおう。やるか? と、言いたいところだけどな」


 シェンフーさんがこの場をおさめるようにして声を張り上げた。


「この一件。『七英雄』預かりとさせてもらう。立会人はトラスの護衛騎士、ギュンター。お前だ」

「し、七英雄だぁ……?」


 指をさされ、腹を押さえながらギュンターさんが目を丸くする。

 僕も、その言葉に驚いた。


 七英雄……国を超えて冒険者たちを取り仕切る七人の実力者だ。

 その力は『大厄災』をも払いのけ、国家同士の争いすらおさめるという――

 だけど、その有名人たちの名前くらい僕も知っている。

 七英雄にシェンフーなんて名前があるのは聞いたことがない。


 そう思っていると、オットーが痛みに耐えながら笑い飛ばした。


「な、何を言っているかわかりませんな……それに貴方は『元』七英雄。すでに降りている人間にその権利はないはずですが?」

「おう。その通りだ。『俺』は七英雄じゃねえ」


 ニヤリと笑い、シェンフーさんがアズを隣に立たせた。

 頭の上に手をおき――仰々しく言葉を発する。


「ここにおわすお方は、七英雄が一人。マクスウェル家のご息女にあらせられる。彼女の権限を持って、オットー。貴殿を拘束させて頂く」

「えっ……」


 思わず声が出た。

 目を見開いて驚く僕を――アズはちらりと見る。


「しょ、『処刑人』マクスウェルの……」


 だが、一番驚いていたのはオットーだった。顔面が真っ白になっていく。

 血を流しすぎてという訳ではないだろう。

 自分が手をかけようとしていた人間が誰の娘なのか知って、戦慄していた。


『処刑人』マクスウェル。

 その名は僕も知っている。

 七英雄が『敵』――『罪人』と見定めた者を、狩りとる役目を持つ死刑執行人。

 何処に逃げても必ず追いかけ殺す、死の宣告者。

 七英雄でもっとも恐れられている人間。


 つまり、アズのお父さんは――


「やばい相手に手を出してしまったなぁ。オットーさんよ。さすがにこれはかばい切れんぜ?」


 シェンフーさんが追い打ちをかけるようにして告げる。

 オットーが見るからに怯え始めた。

 マクスウェルという家系がどれだけ恐ろしいのかを垣間見た気がする。


「で、ですが、ワシが何をしたといういうのです!? こ、この町の領主として盗賊の少女を捕まえようとしていただけでございます」


 態度が一変し、まるで懇願するようだ。


「そうだ――シェンフーさん。ミティちゃんが!」


 はっとして、僕は彼に彼女の事をつたえる。


「あ?……あっ!! 嬢ちゃんが居ねえじゃねえかよ!」

「彼女の村――キャンサ村に何かがあったみたいなんです! すぐに追いかけないと……!」

「そ、そうだ! ワシに構っている暇などないはずじゃ!!」


 こいつ……

 好機とみて、オットーが僕らの味方をするようにして言い放つ。


「ややこしい事になってんな。まあ、それでもお前の状況は変わらないけど」


 シェンフーさんが、屋敷の奥に目をやり首を動かして出てこいと合図する。


 全員の視線がそちらに向く。


 そこから恐る恐る現れたのは――


 布切れ一枚を羽織った少女たちだった。

 年頃は似通っておりどの子も可愛らしい顔をしている。

 だが、その表情は目をそらしたくなるほど悲哀に満ちており、皆、恐怖に目を濁らせていた。

 お互いに身を寄せ合い――震える瞳でオットーを睨みつけている。


「この子たちはお前が『税金』代わりに取り立てた娘たちだ。領主ともあろうものが、これが犯罪と知らねえでやる訳ないよな」

「そ、それは……」

「想定以上の人数でな……悪趣味すぎて反吐が出るぜ。人身売買はご法度、重罪だ。今後どうなるかは――分かるよな?」


 恐ろしいほどの怒気がこもった言葉。

 シェンフーさんの殺気がこもった視線は、それだけで人を殺せそうだ。


「ち、ちがう。そんな娘どもは知らん。ギュンター! ワシははめられたんじゃ! 今すぐそいつらを――」

「旦那。さすがにそれは無理がありますぜ……それに、この状態の俺がどうこうできる相手だと……思えますかね?」


 ギュンターさんも侮蔑の顔を彼に向けた。


 孤立無援。

 言い分けも通らない状態。

 さすがにこの状況で、どちらが『悪人』なのかは――どちらが有利なのかは誰にでもわかるだろう。


 しかし、

 その状態になっても彼は、諦める気はないようだ。



 場違いな怒りをシェンフーさんへと向ける。

「き、貴様は……いつもワシの邪魔をして……お前が居なければ……!!」


 触手がうごめき立つ。おとなしくしているつもりはないらしい。


「一度見逃した俺が馬鹿だったって事だ。そのイカ臭い身体を干物にしてやるぜ糞野郎」

「『クラーケン』!!!!! こいつら全員皆殺しだ!!」


 巨大な触手をいくつも伸ばしながらオットーが叫ぶ。

 答えるようにして、対峙する『白虎』が構えて吠えた。


「エリオット! こいつは俺がぶちのめす。さっさと村へと向かえ!」

「はい! 行こうアズ」

「ま、待ってください」


 手を引いて急ごうとした僕を、アズが止める。

 視線の先には、瀕死になっているギュンターさんだ。

 アズは彼の負傷が気になっている様子。

 どんな時でも怪我をしている人を放置することができないのだろう。

 いつもながら、優しい子だ。



 アズと目があったギュンターさんはふっと鼻で笑うと、首を横にふる。


「安心してくだせぇ。この程度じゃ死にはしねぇ。自分の事は自分が一番よくわかる」

「ですが……」

「優先すべき事は、ほかにありますぜ巫女様。その気持ちだけで充分。村を……たのんます」


 彼が村を憂う気持ちは本物だ。僕に後を託すような真剣な眼差しを送る。


 彼に勝った僕は、その気持ちに答える責任がある。

 分かりました。

 言葉にせず、うなずいて返事を返す。


「領主館を出て左手に行けば伝令用の早馬があるはずだ。そいつを使えば半日すらかからねえ。急げよ!」

「ありがとうギュンターさん! アズ!」

「……はい!」


 僕らはシェンフーさんにその場を任せ――キャンサ村に向かった。


 思った以上に時間がかかった。


 急がなくては!!



★  ★  ★


神獣『クラーケン』 ―憑依型―


巨大なイカの姿をしている神獣。

宿主の身体を変化させ、いくつもの巨大な触手を生やす。

手足の如く自由自在に触手を動かす事が出来るうえ、手に位置する細めの触手からは相手を麻痺させる毒針を出す事ができる。

貿易商としても名高いオットーは過去に、クラーケンの力を使って様々な悪事を働いていた。


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