18.大捕り物

 


 喧騒が聞こえる方へと、僕は屋根から屋根へと飛び移る。


 距離が離れているときは、ケルベロスの鎖を撃ち込み――飛び越える。


 徐々に声がはっきりと聞こえるようになってきた。


「今度は逃がさねえぞ!!」


 ギュンターさんの怒鳴り声。道ではギュンターさんと衛兵らしき人達が懸命に何かを追いかけているのが見えた。

 酔いは回っていないらしい。

 そこに関してはしっかり、大人なんだなと感じる。


 彼らが追いかける先に、フードを被った小柄な人物が見えた。

 路地を素早く曲がっていくが――足を滑らせながら立ち止まる。

 盗賊が逃げ込んだ先は袋小路になっていた。


 これならギュンターさん達が捕まえてくれるかも。


「網! 網!」


 ギュンターさんが隣の衛兵を急かす。どうやら大きな網で盗賊の動きを封じる作戦のようだ。

 衛兵が取り出した網を強引にひっつかみ、放り投げる。


「特別製の網だ! くらえや!」


 上からだと何が特別製なのか分からないけど、人一人すっぽりと覆う事が出来る網が、盗賊に迫る。


 だが、盗賊は素早く身をひるがえすと、ギュンターさんの方へ突進。

 ――滑り込むようにして、網と彼の又先を潜り抜けていく。


 その勢いを殺すことなく、立ち上がり、また走り去っていく。


「素早い……」


 思わず盗賊の動きを褒めてしまった。

 あの危機的状況を切り抜けた機転もさることながら、ギュンターさんの下を潜り抜けた華麗な動きに、僕は一瞬見惚れてしまった。

 手ごわい相手だと言っていた意味が理解できた。

 身のこなしが、驚くほど軽やかだ。


 この盗賊は――『できる』。




 このまま放っておいたら見失ってしまう。

 僕は屋根の上から盗賊を追いかける。

 背後から悔しそうなギュンターさんの雄たけびが聞こえた気がした。



「おっと。逃がさねえぞ! 100万!!」


 次の相手はシェンフーさんのようだ。盗賊に並走するようにして、距離をつめていく。

『白虎』の力を使っているのだろう。

 盗賊の方も足が速いが、一気に距離を縮めていく。


 二人はそのまま細い路地へ。


 上から援護してあげたいが、いろいろなものが乱雑に置かれている狭い路地。

 そこをものすごいスピードで走っている二人めがけて鎖を飛ばすのは、危険そうだ。

 狙い撃ちできるタイミングを探さなくては。



 先行する盗賊が、シェンフーさんを足止めしようと、立てかけられた板を倒す。


「甘い!」


 シェンフーさんはいとも簡単に、それを飛び越えていく。


 それを感じ取っているのか――

 盗賊は振り返ることなく、次から次へと、妨害工作を行う。


 窓を開いて壁代わりにし――

 木箱の山を崩して、足元に転がし――

 わざと棒を通路に伸ばす。


 一切スピードを落とさずに、妨害を図る盗賊もすごいが、突然目の前に現れる障害物を、綺麗にかわしていくシェンフーさんもすごい。


「ちょこまかしやがって……そろそろ捕まっとけ……!!」


 そういうと『白虎』の力を全開にし――人虎へと変貌する。

 路地には先ほどのように妨害できるものは何もない。その先は曲がり角。

 どうしたって、スピードを落とさずに曲がることはできないはず。

 シェンフーさんはこのタイミングを狙っていたようだ。


 これなら、捕まえられる!


 白虎が獲物へと襲い掛かる。


 その瞬間、盗賊の身体が、バリバリと電流が流れるように小さく輝いた。






 ――ドグシャッ



 勢いよく、獣が壁にぶつかる音がする。

 飛び掛かったシェンフーさんは、目の前の壁に突き刺さるようにして、下半身だけが出ていた。


 あれ?

 なんで?


 上から見ていた僕にはその状況は理解できなかった。

 曲がった先には盗賊はいない。

 まるで、壁の中に吸い込まれるようにして、忽然と姿を消したのだ。


「どういうこと……?」


 目を凝らしてよく見てみる。

 シェンフーさんが突っ込んだレンガ作りの壁。

 その一角に、ほんの小さな。

 子供一人がギリギリ通れるかどうかという小さな空洞が、空いているのが見えた。


 まさか。

 急いでその壁の向こう側へと、急ぐ。


 そこには、太ももの埃をはらい――追いかけてきた人虎が瓦礫の山でうなっているを見る――盗賊の姿があった。


 小さな隙間をあの勢いのまま、通り抜けたのか?

 確かに、小柄な身体をしている盗賊であれば、出来ない事もないだろう。

 だけど、少しでも目測を見誤ればシェンフーさん同様、壁に突っ込んでいた。

 鮮やかな曲芸を、軽々と盗賊はやってのけたのだ。



 すごい。

『できる』なんてもんじゃない、相当の達人だ。これは。

 盗賊をしているのが、もったいないくらいの軽業師。

 ずっと捕まらなかった理由がよく分かる。



 頭から突っ込んでいたし、相当な衝撃だったのだろう。

 シェンフーさんはもがいているが、すぐに復帰できそうにない。

 盗賊はすでに逃げる準備を整えている。



 となれば、最後は僕の出番か。

 幸いなことに僕はまだ気づかれていない。

 捕まえるチャンスはあるはずだ。

 僕は死角になるように身をひそめ、じっと盗賊の隙をうかがった。


 相手は追っ手をすべて振り切ったとみて、すこし安心している様子だった。

 走り去るような真似はせず、ゆっくりと通りを横断し、向こう側へ。

 この様子だと、チャンスはすぐにやってくるかもしれない。


 ビリビリ――と、また盗賊の足元を電気が走る音がする。

 間違いない。

 何かしらの『神獣』を宿している。

 姿は見えないが、電を操る力があると見ていいだろう。

 僕やシェンフーさん同様に、身体能力を強化しているから、先ほどのような軽やかな動きが出来たのかもしれない。


 盗賊は、そのまま壁を蹴って飛び上がると――ふわりと空中へと舞った。

 まるで、何かに放り投げられたかのように、屋根よりも高く。

 心地よさそうに空中でくるくると回転する。


 ――今だ。

 今がチャンスだ。


 相手はまだ、僕には気づいていない。その上、空中にいることで遮蔽物になるものがない。

 空中で軌道を変える力を持っているかもしれない。

 だけど、僕の鎖はそれよりも早く、相手を捉える事ができるはずだ。



 右手でしっかりと狙いを定める。

 撃ち貫くわけではない。鎖で絡めとるイメージと力加減を入念に計算する。


 高く舞い上がった相手が、重力に引かれ――わずかな間、静止。




 ここだ。




 ガシュンッ

 僕の右手から伸びた鎖が、勢いよく盗賊へと伸びる。

 運よく、僕の方向は視界の外になっていた。

 相手が気づいた時には、身体にグルグルと巻き付き――すまき状態になっていた。



 捕まえた!

 思わず心の中でぐっと拳を握った。


 力加減も完璧だ。

 傷つけることなく、盗賊を拘束することができた。



 ――けど、喜ぶのはまだ早いようだ。



 空中で身動きが取れなくなった盗賊は、ゆっくりと地面へと落下し始めている。

 あの高さから受け身すら取れずに落ちたら、大惨事だ。

 仮に頭から落ちたら、怪我どころの話じゃなくなってくる。



「しまった……!」


 慌てて鎖を巻き取って引っ張るが、僕の手元に来るより地面にぶつかる方が早い。


 こうなったら、僕が受け止めるしかない。

 ケルベロスを装着し、ジタバタともがく盗賊へと力いっぱい飛びつく。



 盗賊が地面に激突する。



 ――その直前で、なんとか抱きかかえて大通りに着地。


 砂煙をあげながら、地面を滑る。

 間一髪。

 無事に、盗賊をキャッチすることができた。



 一息、ついて胸元の盗賊を見下ろす。



「え?」



 思わず声が出た。

 深めにかぶっていたフードがキャッチした勢いで外れ、盗賊の顔があらわになっていた。

 だけど、そのことに驚いたわけではない。


 僕が目を丸くしたのは、

 盗賊――の正体に驚いたからだ。



 僕を睨みつける『彼女』は――どうみても、僕よりも年下の――成熟しきっていない年頃の少女だった。

 白い髪に、日焼けをしたような浅黒い肌。

 ずいぶんと幼くは見えるが、とても可愛らしい目鼻立ち。

 褐色の美少女が僕に敵意をむき出しにしている。



「女の子……?」

「触れるなっ」



 予想外の出来事に、僕は反応するのが遅れてしまった。

 彼女が怒りをあらわにしてつぶやくと、彼女の背後に大きな生き物が姿を現した。

 雷が具現化したかのような姿のそれは、鼻が長く、ずんぐりとした見たこともない風貌をしている『神獣』。




 パオオオオン!



『神獣』がラッパのような声でいななくと同時に――

 彼女の全身から――電撃がほとばしった。


 ケルベロスの鎖はよく電導するようで――僕の全身に電気がまんべんなく走る。

 全身の毛が逆立ち、ビリビリと筋肉が痺れる。



「いいいいぃ!?」



 激痛というほどではないけれど、全身が痺れて力が入らない。

 そのせいでせっかく拘束した鎖にも力が入らず、ほどけてしまう。


 少女が鎖を振りほどき、自由になった身で僕を見下ろす――


 しまった。

 動くことすらままならない。

 膝をついて、少女の前で小刻みに震える僕は、まるで処刑前の囚人のようだ。


 このままじゃ……やられる!

 う、動けぇ!


 ケルベロスが呼応するが、雷撃をまともに食らった僕の身体はまだ――いう事を聞かない。

 ゆっくりとしか、動けぬ身体では、無抵抗な状態と変わらない。

 何を仕掛けられても、僕は返すことができないだろう。


 少女が眼前にまで歩み寄る――



 油断した。

 油断してしまった。

 なんとかしなくては。

 アズを置いて、こんなところでやられるわけにはいかない……!





「……殺さない……から。じっとしてて」



 必死にもがいていると、少女がぽつりと声をかけてきた。

 ケルベロスを着る僕の肩へと、おもむろに足を置く。


 ――そのまま、とんっと僕の肩を足場にして、軽やかに飛び上がった。


 見惚れてしまいそうになるくらい、鮮やかに宙を舞う。

 月明りの中、踊っているかのように、空中へと高く飛び上がる。



 ほどなくして、僕の背後から、何かがものすごい勢いでこちらに向かってくるのを感じた。

 空から、とても大きなものが急降下してくる気配だ。

 音速にも近い、猛スピードで僕の真上まで降りてくると――吹き飛んでしまいそうな風圧を残して通り過ぎてしまった。



 勢いに逆らう事ができず、地面に顔をうちつける。


 痺れが残る身体を無理やり動かして見上げると、少女はどこにもいなかった。



「逃げられた……いや、助かった……のか」


 僕は、胸を撫でおろした。

 良かった。生きてる。

 けれども、彼女は取り逃がしてしまった……



 生きている事への安心感と、せっかくのチャンスを台無しにしてしまった罪悪感がおりまぜになった気持ちを抱きながら――


 巨大な鷹に手をかけ、高く――遠くなっていく少女を。



 僕は見送る事しかできなかった。

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