第二章:嘘と打算の町、トラス

14.良い思い出と悪い思い出

 木から伸びる枝を見つめる。

 かなりの高さにある枝は、見上げてみると指先ほどの細さに見えた。

 実際にはかなり太く成長しているのだろう。

 僕は、その遠く離れた枝をじっと見据えて――構えた。

 素早くショートソードを引き抜き、投げつける。



 刃がものすごい勢いで枝へと向かい――すぐ横をかすめて通り過ぎていく。


 命中せず。


 僕はショートソードに付けた鎖を巻き取り、上空に舞い上がった剣を手元へと戻す。

 小さな目標に、しっかり命中させるには……まだ技術が足りない。

 僕はもう一度、剣を投げつける。今度は大きくそれてしまう。


 これではだめだな。

 また剣を引き戻して、ため息をつく。

 ――ケルベロスの力で僕の身体能力は強化されている。

 だが、それをうまく扱える技能が僕にはまだまだ足りていない。

 どんな小さな標的にもヒットさせる命中精度。

 とっさに狙った場所へ鎖を飛ばす技術。

 それを鍛えなくてはならない。



 それ以外にもやらないといけない事が沢山ある。

 まだまだ、アズの最強の騎士になるには時間がかかりそうだ。



 上空の枝を斬り落とすのは諦めて、手ごろな小枝を斬って集める。

 そろそろ日も落ちてくる。

 山は越えたが、トラスの町にはもう少しかかるだろうから。

 今日はこの森で、一晩を明かす事になる。


「アズ。そろそろ戻ろう」


 一緒に焚き火用の小枝拾いをしていたアズに声をかける。


「……」


 返事がない。


 さっきまで、後ろで一生懸命に枝を拾っていたはずだけど、振り返ってみても居ない。

 どこへ行ったんだろう。

 枝を斬り落とす事に集中しすぎてしまったかも。

 心の中で焦りが生まれはじめる。


「アズ? 何処?」


 足早に辺りを探す。ついさっきまでそばに居たんだから、遠くまでは行っていないはず。

 とはいえ、彼女は極度の方向音痴だ。

 油断はできない。


「アズーー!?」


 声を張って、周りを見る。

 どうか声が届きますように……




「はい……?」



 ひょっこりと大きな幹の影からアズが顔を出す。

 急に僕が大声を出したからだろう、ポカンとした顔で見つめている。

 良かった。すぐそばにいた。


「ごめん。はぐれちゃったのかと思って……」

「えっ。あっ、心配かけてごめんさないエリオット。ちょっとキノコを見つけてしまったもので……」


 僕の前にじゃーんと嬉しそうにキノコの山を披露する。

 服のすそを袋代わりにして、いくつもの採れたてキノコを見せてくれた。

 が、裾をあげているせいで、ちらりと見える健康的なおへそに――どうしても目が行ってしまう。


「た、食べれるの?」


 目線をそらしながら聞く。


「はい。これは大丈夫なキノコです。安心してください……あ、でも沢山取り過ぎたかもしれませんね」


 照れ笑いをするアズは、なんだか楽しそうだった。

 シェンフーさんが、見分け方は教えたらしい……ので、彼女を信用しよう。

 実際のところ、キノコ料理はあまり食べたことがないので味にも興味があった。

 アズが作るならたぶん、美味しく調理されるだろう。


「じゃあ、一旦戻ろうか」

「はい。ベンスさんもいますし、今日は腕によりをかけて作りますね」


 ニコニコ笑顔の彼女と共に、僕は薪がわりの小枝を抱えて、シェンフーさんとベンスさんが待つ野営ポイントへと戻ることにした。








「覚えていますか。子供の頃、こうやって森を探検しましたよね……」


 アズがふいに、昔を懐かしむように呟く。

 おぼろげではあるけど、僕も覚えている。

 木の枝を剣代わりにして、彼女の前を勇敢な騎士のようにふるまって歩いていた幼い日々。

 たしかに子供の頃していた、冒険ごっこと同じ状況だ。


「そうだね。こんな風に二人で遊んだね……懐かしいよ」

「ふふ。私は、昨日のよう事のように、思い出せますよ」

「僕が、一緒に冒険しようって言ったんだっけ?」

「そうです。私がお姫様――エリオットが私を守る騎士様で、二人で冒険の旅に出るんです。うふふ」


 アズはなんだか嬉しそうだ。

 確かに、あの日の続きをしているようにも感じられる。




「アズは……『あの日』の後、今までどうしてたの?」



「……え?」



「いや、巫女になるまでどんな生活を送っていたのかな……って」

「それは……」


 落ち着いて話をする機会もなかったので、聞いてみたが――

 背中から聞こえる声には、とまどいが混じっていた。

 たわいない質問のつもりだったけど、彼女にとっては聞かれたくない話だったのかもしれない。


「と、特にこれといった事は……村から出た後は、父と共にずっと南へと行って――落ち着いてからは、ずっと家の中でした」


 ひとつひとつ言葉を選んでいるように、ぽつりぽつりと彼女が答える。

 なんだか、空気が重くなってきている気がして、僕は他の質問をしてみた。


「へえ……そういえば、アズのお父さんは元気にしてるの? 助けてもらったんだし、いつかはお礼を言わなくちゃ」

「ええと。お父様は…………亡くなりました」

「……」


 さらにまずい質問をしてしまった。

 彼女がこの話に乗り気でない理由を、ピンポイントで突いてしまったようで、さらに空気が重くなる。

 彼女にも、思い出したくない事くらいあるだろう。

 なんとも配慮が無い男だな。僕は。


「なんというか……ごめん、アズ。この話は忘れよう……」

「そんなことは……いつかは――話さなかればいけないと思っていましたし」


 僕をフォローするように、アズがつぶやく。

 先ほどまでの楽しい雰囲気はどこへやら。



 気まずい沈黙が続く。




 ――先に、その沈黙を破ったのは、アズの方だった。



「……巫女の旅を始めたきっかけは、お父様の死も関係があります。お父様は私が巫女になる力を持っていることを知り、それを隠そうとしていました」

「……」

「お母様も巫女でしたが、巫女の旅で命を落としたと聞きました。お父様は――同じ目にあわせないようにと……」


 アズが立ち止まった気配がして、僕は振り返った。

 うつむいた表情は、憂いに満ちている。いろいろな感情がおりまぜになって、しかし何かを決意したように顔をあげる。


「お父様はとても、とても大事にしてくれましたが、お父様が亡くなってから――巫女になることにしたのです。お母様と同じように、『門』を閉じて皆が……エリオットが平和に暮らせる世界へ変えるために」



 僕を見つめる目は、断固たる決意が宿っていた。


 どんなことがあってもやり抜く覚悟を彼女はしている。

 その覚悟は、『何か』を受け入れているようにも感じた。

 その『何か』から、守るのが僕の使命だ。


「大丈夫。アズならきっとできる。……僕が守ってみせるから」

「はい。エリオット」


 彼女が僕の名前を確かめるようにつぶやく。それには絶大な信頼がこもっている。

 その信頼を裏切る真似だけはしたくない。


「ふふふ。その言葉も昔、私に言ってくれたんですよ?」

「そうだっけ?」

「ええ。よろしくお願いしますね。エリオットっ」


 彼女はまた、キラキラと輝く笑顔を見せてくれた。



 ●  ●  ●



 辺りもすっかり暗くなり、焚き火の上にある鍋からはいい匂いが漂ってくる。


「今日はキノコのスープと、キノコの丸焼きです。丸焼きの方は、バターを使ってみてください」


 アズリエルシェフがえっへんと料理の説明をする。

 細かく刻んだキノコが浮かぶスープ。

 串にささったキノコは初めて見るが、香ばしい匂いが食欲をそそる。


「巫女様の手料理を食べれるとは、こんなじじいがよろしいのですかい?」


 ベンスさんが、手をこすりながらアズからスープを受け取る。


「バターはベンスさんからの頂き物ですし。それより、荷物をいくつも捨ててしまいましたが、大丈夫なのでしょうか?」

「村へ持ち帰る予定だったものですので、どやされる程度ですわ。なあに、村が滅ぶわけでもなし。怒られるだけですむなら安いもんですわ」


 ガハハと豪快に笑い飛ばし、さっそくスープに口をつける。


「うーむ、うまい! 巫女様や、こりゃいいお嫁さんになれますのう」

「えっ。本当ですか!? えへへ」


 以前も見せたふやけた笑顔。

 僕もさっそく、スープとキノコを堪能してみる。


 歯ごたえがあって、独特な食管だけど、おいしい。

 スープにもキノコの出汁がうまく絡み合っていて、味に風味がある。


「調味料は節約するようにして、キノコの味を生かしてみたのですが、どうでしょうか?」

「初めて食べるけど、美味しいよ。さすがだね」

「やったっ。えへへへ」


 褒めるとさらに、顔をとろけさせる。

 そのうち丸焼きのキノコにかかったバターのように、溶けてなくなってしまうかもしれない。

 彼女の手料理を味わうのはこれで二度目だけど、これなら毎日野営しても食事が楽しみになりそうだ。


「うちの巫女殿は料理だけは得意なんだよ。料理だけは」

「だけとは何ですか! だけとはっ!」



 美味しい料理に舌つづみをうちつつ、僕らはたわいのないを話をして盛り上がった。


 その大半はベンスさんの昔話だった。

 ベンスさんの村の事。

 シルバーとの出会い。

 若い頃の武勇伝。

『走り屋』の事でなぜかシェンフーさんと盛り上がったりして、笑い声を響かせながら夜は更けていった。






 食事も終わり、ずいぶんと時間が経った頃。



「よう。交代にはまだ早いんじゃねーか?」


 木に寄り掛かりながら、シェンフーさんが僕に気づいて声をかける。

 夜の見張りをしてくれている彼の隣へと座り込み、小さくなった焚き火を眺めた。


 炎の中で、ぱちぱちと枝が弾ける。

 そのうすぼんやりとした明かりの先で、アズが静かな寝息を立てていた。

 ベンスさんも豪快ないびきをかいて、気持ちよさそうに眠っている。


「昨日は丸一日、番をしてもらってましたから。そのお礼です」

「お礼ねぇ。アズリエルを守ってくれたんだから、お礼も何もねえと思うけどな」


 鼻で笑い飛ばし、シェンフーさんは小さくあくびをした。

 全力でケルベロスを使い、ジェスターと戦った結果、僕はほぼ一日泥のように眠ってしまったらしく、起きた時には山を越えていた。

 アズも僕同様、ずっと眠っていたらしく、その間はシェンフーさんとベンスさん二人に任せきりになっていた。

 なんだか申し訳ない気がして、大人しく寝ていられなかった。


 シェンフーさんと二人になるというのは、訓練の時ぐらいで、そういえばゆっくり話したことがなかったな。

 とても強い人だけど、その素性をほとんど知らない。


「……シェンフーさんはなぜアズの旅に?」

「あ? 俺か。頼まれただけだよ、あいつの親父にな」


 アズのお父さん。

 顔は思い出せない。

 でも僕にケルベロスを授けてくれた人。

 どんな人なのかは、すごい興味があった。



「なんかあったらアズリエルを頼む――てな。古い友人でね」

「そうなんですね……アズのお父さんもすごい人だったんですか?」


 シェンフーさんが懐かしそうに遠くを見つめる。

 色々な事があったのだろう。それを一つ一つ思い出しているようだった。

 ふっと過去の出来事を振り返り笑みをこぼす。


「めんどくせーやつだったよ。アズリエルの母親が巫女でな。お前みたいに守ることに必死で、融通のきかねー奴だった」

「……」

い奴だったよ。いや、『く』ない部分もあったか――」


 シェンフーさんがふと、アズの方を見た。憐れむようにして、目を細める。


「アズリエルはな。軟禁されてるも同様な生活をしてたんだ、親父のせいでな」


 彼の言葉に、おもわずアズの顔を見た。

 安らかな顔からはそんな生活を送っていた様子は全く見えなかった。


「聞いてないかもしれないが、アズリエルの母親は巫女の旅で死んじまった。それから『あいつ』はおかしくなってな。誰にも見つからないようにってアズリエルを閉じ込めてた」


 彼女は確かに、同じような事を言っていた。だけど、あの時の苦そうな表情は、これが原因だったみたいだ。

 そういえば、子供の頃、アズはいつも家を抜け出して来ていたのを思い出した。

 抜け出したことが発覚した時は、僕も泣き出してしまうほどひどいしかられ方だった記憶がある。



「行き過ぎた愛情ってやつかね。独りぼっち、牢獄みたいな部屋で、本で読む物語だけが外の世界だったんだ。時々、顔を見せるくらいだった俺に、聞いてきたさ。外の世界がどんなものか、どんな物語があったのか」

「そんな……」



 一人で閉じ込められる閉塞感は、僕にもよく分かる。

 両親を失い、独りぼっちになった後。

 近くの孤児院へと預けられた僕は、まるで牢屋に閉じ込められているような気分だった。

 見知った人は誰もいない中、息がつまりそうだった僕は、数年後には耐えきれなくなって逃げだした。


 逃げ出して、冒険者を目指した。


 そしてジェスターと出会った。


 その間――アズはずっと、一人だったのか。



「世間知らずでお人よしなのは、そういう訳だ。去年、親父が死んでからは思いつめた顔ばかりするようになってな。巫女になるって言いだしたのはつい最近だ」


 彼女もつらい思いをしていたなんて知らなかった。

 アズは僕の事を案じてくれていたが、僕はすっかり忘れて、冒険者を気取っていた。

 ある意味、自由気ままに暮らしていたんだ。

 不幸ぶってはいたけれど、アズの方がずっと大変だったのかもしれない。


「アズリエルがお前に会いに行くって言った時は、反対したんだけどよ。まあ、なんだ。会っといて正解だったかもしれない」

「……どういうことですか?」


 シェンフーさんが僕の方を向き直すと、珍しく優しい微笑みを僕へと向けてくれた。

 父親が娘を心配して、それが杞憂だったと安心するかのように。


「旅に出てからはずっとしかめっ面でよ。せっかくの美人が台無しだったんだぜ。それがどうだ――今じゃガキみたいにへらへら笑ってやがる」


 確かにその通りだ。

 旅を始めてから、彼女は僕を見るたび幸せそうな笑顔を見せる。

 先ほども、みんなで笑いあいながらする食事を――心の底から楽しんでいるように見えた。

 年相応の夢見がちな少女がそこにはいた。

『門』を閉じるために旅をしているなんて、雰囲気はどこにも感じられない。


「とはいえだ」


 シェンフーさんが、僕を注意するように指を立てる。


「お前と会ってからは、逆に――気が緩みまくっていけねぇ」

「ぼ、ぼくのせいですか?」

「それしかないだろ? 辛気臭い旅を続けるよりかは断然マシだけどよ。しっかりアズリエルの気を引き締める時は引き締めてくれよ、騎士様よ」

「は、はい。精進します」


 念を押すようにして彼は言うと、大きく伸びをして首を鳴らす。


「……話過ぎたわ。寝るから後はよろしくな」

「あ、はい。わかりました」


 手をぶらぶらと振り、のそのそと寝床へと向かう彼を見送る。


 アズが、なぜ僕にこんなに優しいのか謎だったけど。

 その謎が、ちょっぴり解けた気がする。


 彼女にとって、僕と遊んだ思い出だけがきっと――

 外の世界を感じれた唯一の思い出なのだろう。

 だから、片時も忘れず、ずっと大事にしてきたのかもしれない。



 ワクワクとドキドキがたくさんつまった宝箱。

 その中につまっているのは、小さな僕の後ろ姿なのかも。


「お姫様と、騎士様――か」


 静かな寝息を立てるアズは、一体どんな夢を見ているのだろう。

 あの日の続きか、はたまた夢物語か。


 その夢に、僕は重大な役割を担っているのかも。

 光栄でありながらも、不相応すぎる気もする。


 彼女の過去を知って、僕にかかる重圧が大きくなった気がした。

 このプレッシャーに負けないようにしないとな……



 僕は小さく燃える火を眺めながら、そんなことを考えた。

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