13.二人の誓い
「エリオット!」
遠くから女性の声がする。聞きなれた声だ。
振り向けば、アズがこちらへと懸命に走ってくる。
ずっと僕を追いかけてきたのだろう。額には汗がびっしりと浮かんでいた。
彼女を見て、安心してしまったようで、力が抜け、ケルベロスが解除される。
尻もちをつくようにして、僕は勢いよく地面に腰を降ろした。
「大丈夫ですか! エリオット!?」
鎧の中から出た僕が、血だらけなのを見て、彼女が悲鳴に似た声を上げる。
重傷なのは誰が見ても一目瞭然だ。
「す、すぐに治します! じっとしててください!!」
アズが僕の前に跪いて、『八咫烏』を発動させる。
助かった。
正直なところ、彼女の元へとたどり着けるかどうかわからない傷だった。
彼女さえ来てくれれば、この傷は癒せる。
――もしかすると、彼女が来ることを期待して、戦っていたかもしれない。
ダメージ覚悟の特攻ができるのは、彼女の治癒能力を頼りにしているから出来る芸当だ。
無茶な事も、彼女がいるからできる。
だからこそ。
「……無茶ばかりしないでください……死んでしまったら『八咫烏』の力でもどうにもならないのですから……ぐす」
半べそをかきながら、僕を癒してくれるアズに申し訳なさが募る。
守るための騎士なのに、アズを頼ってどうする。
「……ごめん」
「次は一人で行かないでくださいね……わたしにも魔と戦う力はあるのですから……一緒に戦わせてください……」
「でも……」
「危険は承知の上です。でなければ、巫女の旅などしていませんよ」
そうだよな……
僕を助けてくれた時もそうだった。
魔を祓う旅なんだ。
命を懸ける覚悟は――彼女だってしている。
……力を手に入れたからと、僕は独りよがりになっていたかもしれない。
ジェスターを倒すことはできたが、満身創痍の状態だった。
本当にギリギリの差で勝てた――薄氷の勝利。
もし彼よりも強大な力が相手だった場合――僕の行動は逆にアズを悲しませる結果になっていただろう。
仲間を信用する。
役立たずだと言われていた僕が――それをすっかり忘れていた。
アズに対してとった行動は、僕がハウンド団で受けた仕打ちも同じ。
知らず知らずのうちに、僕はジェスターと同じように彼女を『下』に見ていたのかもしれない。
何もできないと、勝手に決めつけていた。
自分一人で何とかなると、思い上がっていた。
なんて、馬鹿なんだ僕は……
「……本当にごめん。次は絶対に、一人で飛び出さないよ……」
僕は自分に言い聞かせるようにして、呟いた。
「はい。わたしも精いっぱい……足手まといにならないように……頑張りますから……」
彼女の言葉を胸に刻み、空を見上げる。
もっとアズを信用しよう。
仲間として、彼女と肩を並べて戦おう。
そして、彼女を守れるように、強くなろう。
木々の隙間から――
かすかに、見えた流れ星に、僕は誓いを立てた。
「ふぅ……これで、大丈夫です」
アズが額の汗を拭う。僕の全身にあった傷はすっかり治癒されていた。
改めて、すごい力だと感じる。
本来であれば、死を受け入れるしかなかった傷を消し去ってしまう力。
死の淵から命を救い上げる『奇跡』の力は、ある意味――恐ろしさすら感じられる。
「ありがとう。アズ」
「いえ……」
アズが疲れた身体を持ちあげながら、動かなくなったジェスターの元へと向かった。
「アズ……?」
僕の言葉に答えることなく、彼女はジェスターの虚空を見つめる眼を、優しく閉ざす。
「彼を、
彼女は、寂しそうにつぶやいた。
命を狙われた相手だが、彼女はその死を悼む。
僕が、どうして?と聞くよりも早く彼女が答える。
「たとえ、『咎人』に堕ちてしまったとしても、最後は人らしく、
どのような人に対しても慈しむ心を忘れない。
だからこそ、彼女は『巫女』に選ばれたのだろう。
……聖女というものが居るのなら、彼女のような人をいうのかもしれない。
その優しさが、僕の心にも染み渡る。
「僕も手伝うよ……彼は……友達だったし」
このままにしておくのは、僕も気が引けた。
色々あったが、友人の亡骸を放置して去る気にはなれない。
ジェスターの墓を建てるというのであれば、僕にも手伝う義務がある。
疲労感が全身を包むが、気合いを入れて立ち上がった。
「ありがとう、エリオット」
優しい子だ。心配になるくらい。
その人の善さは、時として毒となるだろう。
だから毒牙から守れるように、僕は強くならないといけない。
番犬として。
● ● ●
簡易的だが、ジェスターの墓が出来上がった。
彼が愛用したカトラスを墓標代わりにしたそれは――
うっそうと茂る森の中にぽつんとあり、独りぼっちになった彼の最期を現しているようで、寂しく感じられた。
山道から大きく離れているし、人が通ることはめったにないだろう。
手入れするものもいない。
朽ち果てる未来が待つその墓に、アズは長い祈りを捧げている。
死者が安らかに眠れるように。
色々あったけど……ジェスター。安らかに眠ってくれ。
僕も彼女の見よう見まねで祈りを捧げた。
自己満足に近いが、それでも効果があるならと、思ったからだ。
「ありがとう、アズ」
ジェスターがそう言うとは思わない――が、彼の代わりに、墓を建ててくれたアズへと感謝の言葉をかける。
「いえ、彼はいい人ではなかったかもしれませんが……悲しむ人が居ないというのは寂しすぎますから……」
そう言って、切ない笑顔を見せる彼女はひどく儚げで、美しく見えた。
「戻る方法を探しましょう……エリオット」
旅が終わったら、もう一度ここにきて、ちゃんとした場所に墓を建ててあげよう。
僕らは一度だけ、ジェスターの墓を振り返り――その場を離れた。
● ● ●
しばらく、森をさまよっていると舗装された道へと出る事ができた。
アズは僕を癒した影響で、かなりの疲れが見える。
かくいう僕も、ケルベロスの力を使っていたのでだいぶ疲弊していた。
二人仲良く森の中で気絶――という最悪な事態はなんとか避けたい。
「大丈夫? アズ」
「はい……大丈夫です」
肩で息をする姿は、全然、大丈夫そうには見えない。
彼女の手を引き、道へとひきあげる。
道は伸びているので、これをたどれば山からは抜けられるだろう。
だが、どっちに進めばいいのか分からない。
暗闇の中、どちらも同じような道に見える。
どこまで伸びているかも検討がつかなかった。
さて、どうしたものか。
と、道の先から――大きな獣が近づく気配を感じる。
僕よりも大きく、しかも素早い。
山に住む獣にしては、動きに明確な意思が感じられる……
ティンダロスではない事は確かだ。では……新手の魔物か。
「アズ、隠れて……」
ショートソードを抜き、闇を睨みつける。
気配はものすごいスピードでこっちに迫っているので、すぐにでも現れるだろう……
身体はガタガタだが、やるしかない。
覚悟を決めて、迎え撃つ。
気配はするが、まだ姿は見えない――いや、白いモノが尋常ではないスピードでこっちに――
ガオオオン!!
虎の叫び声と共に――白い虎が僕を飛び越える。
しまった。アズが危ない!
振り返った先に居たのは――
「やっと見つけたぞ。無事か!?」
シェンフーさんだった。
人虎はきょろきょろと周りを警戒する。
――僕は見上げた体勢のまま、倒れこんだ。
「良かったぁ……」
僕は空を見上げながら、心の底から安堵した。
シェンフーさんと合流できた。
これなら二人とも倒れてしまっても大丈夫……
「じいさんもすぐにやってくる。追いつかれる前に行くぞ」
事情を知らないシェンフーさんが、周りを警戒しながら僕らを急かす。
「いえ、大丈夫です。彼は……」
アズが暗い顔で、シェンフーさんに事情を説明しようとする。
身体を上げて、アズの続きを――代わりに僕が言う。
「もう追いかけてきませんよ……」
「……」
一瞬、シェンフーさんが怪訝な顔をしたが、すぐに理解したようで『白虎』の憑依を解除した。
髪をかき上げながら、やれやれと息を吐く。
「なるほど。決着済みってわけか」
「はい。彼は……ジェスターは死にました」
「……そうか」
彼はそれ以上何も言わず、僕の肩を叩いた。
労いがこもったそれは、思った以上に心を軽くしてくれた。
「アズリエルもお疲れさん」
「いえ、わたしは何も……」
頭をぐしゃぐしゃとされ、少し恥ずかしそうなアズ。
そうこうしているうちに、馬の蹄の音が遠くから聞こえてくる。
「じいさんも追いついたみたいだな」
僕とアズは顔を見合わせて、お互いに安堵の笑みを浮かべた。
● ● ●
「休まないのか? アズリエル」
揺れる荷車の中――念のため、外を警戒するシェンフーがアズリエルに声をかけた。
彼女の膝では、いつのまにか眠りに落ちたエリオットが静かな寝息を立てている。
「もう少しだけ……起きています」
エリオットの頬を撫でながら、彼女はぽつりと答えた。
本人としては、ひどい倦怠感を覚え、まぶたが重くなっているが、エリオットの寝顔を楽しむために我慢していた。
優しく、右目に大きく残る傷跡を撫でる。
子供のころ、アズリエルをかばってできた古傷。ある意味ではアズリエルが彼につけた傷跡。
二人が出会ったという痕跡――
アズリエルはそれを見るたび、ひどい後悔を覚えながらも――たまらない愛しさも感じていた。
エリオットがそばにいる。それを証明する傷跡。
「ふむ」
シェンフーが視線を外へと戻す。
アズリエルがそれをちらりと確認した。
「……」
シェンフーに気づかれないように、恐る恐る穏やかな寝顔のエリオットへと唇を近づける……。
「ありがとう。わたしの騎士様……」
頬へと口づけをし、小さく呟いた。
彼女にとって、勇気を振り絞った――甘い口づけ――
夢にまどろむエリオットはそのご褒美に気づくことなく、呑気な寝息を立てる。
その寝顔を見つめ、アズリエルは笑みをこぼす。
この愛しい寝顔を守れるように、強くなろう。
巫女として、人として、エリオットの隣にしっかりと立てるように。
アズリエルは寝息を立てる彼に誓いを立てた。
「ふぁ……おやすみなさい。エリオット……」
限界が来た彼女は、エリオットの寝顔を目に焼き付けて――瞳を閉じた。
夢の中でも、彼の寝顔を見つめていたいから。
馬車は一同を乗せ、トラスの街へと向かった――
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