12.さよなら、ジェスター

「女はどうした……エリオットオォォォオ」


 気のせいか、先ほど見た時よりも右手がさらにいびつになっているジェスターが現れたのは、数分後だった。

 彼が木に右手をあてがうと、黒煙が上がり、焦げ付いた手形が残る。



 あの腕には掴まれないよう、注意した方がよさそうだ。



「アズは安全な場所に移した。僕が狙いなんだから、彼女は関係ないだろう」

「お前が壊れるところを……見せてやりたかったんダケド……ナアア。まあ、いいさ。お前を殺してかラァ。ゆっくり探す……さ」


 ティンダロスがぞろぞろと彼の背後から現れ始める。

 十体ほどか。どれもこれも身体が醜く歪んでいる。



「女の前でぇ、小間切れにしてぇ、ティンダロスのエサだ。どんな顔するダロウなぁ? ゲヒハハハハ」


 身体を上下にガクガクと揺らし、気味の悪い笑い声をあげる。

 まるで別人のような見た目だが、その言葉の節々にはジェスターらしさが残る。


 『咎人』というものが、完全に魔物のようなものに変えてしまうのだとしたら――

 彼の意識が残っているうちに。

 ジェスターだったころのプライドを利用させてもらおう。




「それはどうかな。ジェスター」



 僕の言葉に、ピクリと反応する。



「君は僕には勝てないよ。あの時と同じ結果になる……」


 ショートソードを構え、右手で手招きして彼を挑発する。


 その姿を見て、ジェスターの表情が固まり、わなわなと震えだした。



 ……もう一押しか。




「僕の方が『上』だよ。ジェス――」


「があああああああああああ!!!!」


 僕が言い終わるより前に、ジェスターが半狂乱になって突進してきた。



 かかった!



 瞬時にケルベロスの鎧を装着し、迎え撃つ。

 ジェスターがいびつな右手でカトラスを引き抜き、僕へと肉薄する。

 動きは人間だったころよりも鋭い。



「お前は俺よりも『下』だぁああああああ!!!」



 すさまじい殺気。

 だけど、ケルベロスの身体強化のおかげで剣先は見えている。

 高速で迫るカトラスの横薙ぎを、くぐるようにして、避ける。


 踏み込んだ勢いをそのまま、ショートソードで突く。

 喉元へと一直線。



 しかし、ジェスターは振り切った右手のカトラスを手放すと――

 軽やかに左手で受け取り、刃でもって僕の刺突を受け流した。

 その動きは彼がお得意とする受け流し方だ。


 僕はひらりと避けられた闘牛のように、前へとつんのめる。

 その隙を逃す事無く、ジェスターがそのまま手首を返し、僕の側頭部へと剣を振り下ろす。



 この流れは何度となく、訓練で味わった。

 今回はそうはいかない。

 全身に力を入れ、前のめりに倒れそうな身体を無理やり引き起こす。

 本来なら筋肉を傷めてしまうような無理な力の入れ方。

 だが、ケルベロスの鎧がそれを可能にしてくれる。



 エビそりになるような態勢で、ジェスターの一撃をなんとか回避。

 カトラスがケルベロスの兜をかすめて、ガリガリと火花を散らす。


 いける!


 のけぞる勢いを利用して、反撃の一撃――

 ジェスターの顎めがけてショートソードを力いっぱい下から上へと振り上げる。


 今度ばかりは、お得意の受け流しも間に合わないはず!




 ジェスターの顎先を剣先がかすめた瞬間――


 彼は大きく顎を上げて、僕の一撃をしりぞけた。

 驚くほど、素早い判断と反応。

 ほんの少し顎下の肉を斬り、ショートソードの先から小さな鮮血が飛び上がる。



 これもダメか!



 彼のお得意の攻防を逆手にとった策だったが、失敗に終わった。

『咎人』になった事で、反射速度が速まっているのかもしれない。



 僕の一撃を避けたジェスターは、すぐさまいびつな右手で僕を握りつぶそうとする。

 黒く細く、枝のように折れ曲がった右手。

 これに捕まってはまずい。


 地面を蹴り、魔の手が届かぬ位置まで距離を離す。




「ちっ……」


 ジェスターが悔しそうに舌打ちをする。


「ちょこまかしてねぇで……大人しく斬られろヨォ……」


 苛立ちがこもった言葉を僕になげかけ、また構えを見せた。

 ふうと兜の中で息を吐き、僕も構えなおす。



 一瞬でも判断を見誤ったら、殺される。


 初めて味わう、死へ緊張感。

 それに押しつぶされずに何とか踏みとどまれているのは――


 アズがいるからだ。

 負ければ、彼女が狙われる。

 その危機感が、僕の折れそうな心を繋ぎとめていた。

 勝つんだ――

 その気持ちにこたえるようにして、ケルベロスが力を与えてくれる。



 もう一度、僕はジェスターへと踏み込む。

 彼は今、僕に『剣技』で勝つことに執着している。そのあいだがチャンスだ。



 ティンダロスを差し向けられる前に、何とか致命の一撃を――食らわせる!!





 僕が突進するのを見て、ジェスターがにやりと笑う。

 全身をねじり、僕を迎え撃つ一振りへ――力を込める。




 次の一撃を潜り抜けるのは難しいだろう。

 ここは正面から受けとめて反撃を――




 そう思った瞬間――ゾクリと背筋に悪寒が走た。



 いや、受け止めるのはまずい!



 これは――受け止められるような代物じゃない!





 とっさに飛び上がって太刀筋から身を逃がす。

 空気を切り裂くようなジェスターの斬撃が、寸前までいた位置を襲った。




 強烈な一撃。





 ……その威力に、改めて背筋が凍り付いた。






 彼が振りぬいた斬撃は、僕の背後にあった太い樹木すら両断し、届いた範囲のものをことごとく真っ二つした。


 受け止めようとしたままだったら、どうなっていた事か。


 頑丈なケルベロスの鎧でも断ち切られていたかもしれない。




「見えてるゾォ!! エリオットォォォオオ!!」



 ジェスターが叫びながら追撃の一手をうつ。

 大きく振りかぶりながら、空中の僕へと右手の矢を放った。


 黒く細い、とげとげしい槍のような弾。


 僕はそれを、右手で鎖を隣の木へと撃ち込み、軌道を変えて回避――



 彼の剣技はさらに力を増し、その一撃は依然と比べ物にならない。

 まともに受けては、こっちも無事では済まないだろう。

 おまけにこの飛び道具だ。



 上から攪乱しながら、なんとか隙を伺うしかなさそうだ。


 木を蹴り飛ばし、鎖を振り子のようにして空中を移動する。



「力を手に入れたからって、調子に乗りヤガってぇぇぇえ!! でもなぁああ。『手に入れた』のはお前だけじゃネェゾオオオオオオ!!!」



 ジェスターが右手を構える。トゲのような矢を飛ばすつもりだ。

 それだけならよかったのだが、彼が『手に入れた』力は……




 ――もう一つあるらしい。





 僕を見上げるティンダロスの群れが大きく口を開く。




 顎が外れるほどがっぽりと開けた大口から――黒い矢のような『弾』が飛び出す。

 尋常じゃないスピードで僕へと『弾』が迫る。




 まずい――!



 鎖を伸ばしてまた軌道を変え、どうにか回避する。

 それに合わせて別のティンダロスが弾を撃ち込む。



 回避する。

 撃たれる。

 回避する――また、撃たれる。

 回避する――

 撃たれる――


 その繰り返し。



 ジェスターとティンダロスによる射撃の雨あられ。

 木の枝がはじけ飛び、木の葉が舞い散る。

 その葉も矢に撃ち抜かれるほど、苛烈な弾丸の大合奏。



 地鳴りのような射撃音が鳴りやむことなく続く。



 前言撤回。

 隙を伺うどころか――



 チュインッ

 ケルベロスの鎧をかすめ火花があがる。



 ――避け続けるだけで精いっぱいだ!




「ひゃはあああああああああ!!!」




 ティンダロスの攻撃を避け続けていた僕に、ジェスターの狙いすました一撃が命中する。


「っ――!」


 右肩をケルベロスの鎧ごと貫かれた。軽傷だが、鋭い痛みが走る。



 だが、こちらもお返ししてやる……!



 矢を受けた反動を利用して一回転――勢いをつけてショートソードをジェスター目掛けて投てき。



 カマイタチの如く回転する刃は見事に命中し、彼の肩口を深くえぐりとって飛んでいく。



 ――どうだ!



 致命傷とまでいかないまでも、深刻なダメージを与えられたはずだ。

 ショートソードにひっかけていた鎖を巻き取り、手元へ戻す。



 ジェスターがにやりと笑う。

 かなりのダメージのはずだが、彼は笑みをこぼした。


 それに気を取られてしまい、地面が目前であることに気づくのが遅れてしまった。



 地面にぶつかる直前、もう一方の手で木に鎖を撃ち込み、また空中へと跳ねる。




 その瞬間――



 僕が落ちるはずだった地面は、ティンダロス達の矢で針山のようになった。

 そのまま着地していたら、ハリネズミだ……



 あぶなかった。




 人間であれば、動くことすら困難になる深手。

 だが、彼は傷口を気にする様子ものなく平然としている。

 動きも全く衰えていない。

 これも『咎人』になった影響なのだろう。



 くそ。隙を見つけるだけでも大変なのに。

 ティンダロスの達の猛攻をすんでの所で避けながら僕は悪態をついた。




 咎人といえども、もとは人間。

 深手を負わせれば、勝機があると考えていた。

 それが甘い考えだという事を思い知らされる。



 ティンダロスの矢が、兜を貫き――こめかみをかすった。

 たまらず僕は一度、ひときわ大きな大木を盾にして隠れ、息を吐く。


「逃げ回っていても、俺には勝てないぜぇえ。エリオットオオオオオ」


 ジェスターが嬉しそうに叫ぶ。


 彼の言う通りだ。

 だが、馬鹿正直に正面から攻めれば、集中砲火を浴びるだけ。


 相打ち覚悟の攻めが必要なのは当然だが、一太刀浴びせる前にやられてしまっては意味がない。


 上手く、接近する方法を考えないと……



 おとりになるもの……

 盾になるもの……

 何かないか……

 何か……




 ――背中に触れている大木を見上げる。



 これなら……もしかしたら。



 一種の賭けのような戦法だが、ジェスターが相手ならば……

 四年一緒にいた、あのジェスターであれば……


 これしかない。僕はすぐさま行動に移す。



 両手で、手ごろな木へと鎖を伸ばした。

 丈夫な木でありますように……

 しっかりと巻き付けて固定し――目の前の大木に足をかける。



 ケルベロスの力を全開にし、鎖を引っ張りあげる。



 その反発を利用し、大木を蹴り押すと――ミシミシと音を立て、根っこが浮き上がってきた。



「なんダァ?」


 ジェスターが不思議そうな声をあげる。

 彼が気づく前に、事を済まさなくては。

 歯が割れそうなほと食いしばり、両足に力を込める。

 ケルベロスがウロロと唸りを上げて、僕をサポート。



 ――ミシミシと軋む音がやがて、バキバキと根が折れる音へと変わった。



 ゆっくりと大木が前方に倒れていく。


 その先にはジェスター。

 このままいけば、下敷きになってぺしゃんこだ。

 とはいえ、この程度の速度であれば避ける事は容易いだろう。



 だがしかし、相手はジェスターだ。

 僕が知っているジェスターが少しでも残っているのであれば――




「……こんなもんで、倒せると思ってるのカヨォオ!!!」



 彼のあざけり。

 ジェスターは避けることなく、カトラスを構えると――

 力を誇示するかのように、目前に迫る大木を両断した。



 ――力を手に入れた彼であれば、避けるよりも簡単な事だ。

 だからこそ、その行動に賭けた。



 ジェスターの目が見開く。



 その先には僕――両断された大木の隙間から――飛び出すようにして牙をむくケルベロスがいた。



 ティンダロスが迎撃のために矢を一斉に吐き出す。

 無数の矢が、僕の太ももに突き刺さり――肩や腕を貫通する。


 だが、大木に邪魔されて僕へ致命傷を与えるまではいかず、勢いを止めることはできないでいた。

 激痛が全身を襲うが、視線をそらすことなくジェスターを見下ろす。



 ――獲った!!





「――読み通りダゼェ!!エリオットオオオ!!」


 ジェスターが、残念でしたと笑みを浮かべた。



 驚いた表情をしていたのはフェイクだったらしい。


 彼が、音速にも近い動きでカトラスを構えなおし、落ちてくる僕を迎えうった。

 僕の剣が届くよりも先に、ジェスターの凶刃が迫る。




 だが――



 それも――





 読み通りだ!!





 今のジェスターの反応速度であれば追撃があるのは分かっていた。

 ショートソードを構えたまま、僕は空中を蹴る。



 事前に鎖を木に打ち込んでおいた鎖の足場――


 その鎖を蹴り、僕はさらに加速する。

 ケルベロスの強靭な脚力のおかげで出来る芸当。



「うおおおおお!!!!!」


 ジェスターの返す刃よりも速く内側へと突っ込む。

 僕のショートソードが彼の傷ついた肩口をさらに切り裂いていく。



 肉を断つ感触が腕に伝わってくる。




 さらに力を込めて。





 剣を振りぬく!!




 アオオオオオオオン!!




 ケルベロスの雄たけびと共に――ジェスターの身体が斜めに寸断された。




「……れ……は…………負け…………ねえ……」


 ジェスターはパクパクと言葉にならない声を上げた。

 まるで呪詛を唱えるように。

 僕への恨みを呪いに変えるように。

 僕を見るその瞳は、いまだ憎悪の炎が渦巻いている。



 だが。

 憎しみをうたう瞳は宙を泳ぎ――

 どさりと彼は、あお向けに倒れた。




 主人の復讐とばかりに、ティンダロス達が僕へとその銃口を向ける――が、霧が晴れていくようにゆっくりと肉の身体を失っていく……



 操る人間が死を迎えれば、彼らも力を失い、消えていく。

 神獣の宿命。



 ティンダロスの消失。

 それはつまり――ジェスターの死が近いという事。




 ……ギリギリではあったが何とか倒せたようだ。





 緊張から解放されて、一息つく。

 だいぶ息が上がっていた。

 ケルベロスの鎧も、身体も穴だらけになっている。

 息を吸い込むたびに、全身が強く痛む。


 ……それでも何とか立てるのはケルベロスの力のおかげだ。




 ひび割れた甲冑から、ジェスターの方へと視線を向ける。


 右肩から斜めに断ち切られた彼は、虚空を見つめていた。

 その傷口と、口からはとめどなく血が溢れている……


 さすがに、真っ二つにされても生きている事はないだろう。




 ジェスターは。


 びくびくと震えると。


 そのうち――動かなくなった。





 倒した。




 ――ジェスターを殺した。






 野盗などを相手にした事はあったが、見知った人間の命を奪うのは初めてだった。


 やらなければやられていた。

 アズにも危害を加えようとした。

 僕を刺して置き去り、あまつ『咎人』まで堕ちた彼に、同情する必要はない。

 それは分かっているつもりだが。


 やはり――気持ちがいいものではない。


 

 役立たずと言われた僕を何度となくかばってくれた。

 剣の腕が落ちないようにと、僕に稽古をつけてくれた。

 あの日語り合った将来の夢も、忘れる事はなかった。

 それが、かりそめだったとしても。

 ハウンド団での四年間――彼は僕に笑顔をむけ、励ましてくれたのだから。



 彼がどう思っていたとして、僕は彼を友人だと思っていたんだ……

 ジェスターが僕に言ってくれるように。

 本当に相棒だと……



 ハウンド団が壊滅しなかったとしても――

 巫女の旅への同行を許可していたとしても――

 いずれはこんな風に、剣を交えていたかもしれない。

 この結果は、仕方がない事なのかもしれない。

 


 そう言い聞かしても、罪悪感をぬぐう事はできなかった。




「……ごめん、ジェスター。……ごめん」




 物言わぬ彼の亡骸に。



 許しをうように。



 僕はぽつりとつぶやいた。

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