9.復讐の炎と、癒しの力

「ふざけんなっ! 誰がっ! 負け犬だぁっ!!」


 エリスの街。

 その暗い路地裏で少年は怒り狂っていた。



 執拗に横たわる男を蹴りつける。

 すでに無抵抗と化した彼をそれでもなお、痛めつけるのは己のうっ憤を晴らすためだった。



 たまたま目があっただけ。

 鼻で笑われた――気がするだけ。

 だが、ジェスターが彼に因縁をつけるのには十分な理由だった。

 いわれもないことに巻き込まれた男は、反論する機会すらもらえず、ジェスターの暴力に屈するしかなかった。




「俺は負けてねぇ! しくじってねぇ!!」



 ハイランド家の次男として生まれた彼は、長男と大きく実力を離されていた。

 実力主義の家系で、それは死に近い意味をもつ。


 ――三度敗北すれば、ハイランド家にあらず。


 父が唱える家訓だった。




 ジェスターの一度目の敗北は兄の暗殺だった。


 実力で到底及ばないのであれば、謀殺してしまえばよい。

 幼いながらにのし上がる事を目指したジェスターはそれを実行した。

 だが、いとも簡単に計画は露見し、父の前で瀕死になるまで痛めつけられた。



 ――だが、父は許した。その野心を評価したのだ。

 ジェスターは謀る事が正しい事だと理解した。




 二度目は、兄に追いやられた辺境の地で、出会った『厄災』の魔物だった。




 小間使いになる男を見つけ、自分にこびへつらう部下を持ち、冒険者として名を上げ始めた矢先。

 兄への復讐と、再起のめどが立ち始めたその時――それは突如として現れた。

 自分の力では太刀打ちできず――またもや圧倒的な力の前に、築き上げたものを破壊された。



 ジェスターは生き残るために仲間を犠牲にして逃げ出した。

 生きていればまだチャンスがあると思ったからだ。




「くそっ! くそっ!」



 ジェスターはなおも、怒りを吐き出し続ける。




 ――三度目の敗北は、『飼い犬』であるはずの少年だった。



 無能の少年と出会った時、彼は思った。


 ――憎き『兄』と同じ立場に立てる存在を見つけたと。


 エリオットと自分には、天と地ほどの実力差がある。それはまさしくハイランド家での『兄』と『自分』だった。

 彼は自分の小さな自尊心を保つために、エリオットをそばに置いた。



 兄と同じ立場に立っていた。そのはずだった。

 だが、エリオットは越えられないはずの『壁』を飛び越えていった。



 自分にはできなかったことを。

 また――また、圧倒的な力の前に、敗れ去った。



「あいつは下だ! あいつは下だ! あいつは下だ!!」



 三度、ジェスターは敗北した。

 父の家訓が重くのしかかる。



 黙っていれば、バレないかもしれない。

 まだ、やり直すチャンスは残っているかもしれない。



 だが、彼のちっぽけなプライドは三度目の敗北で、粉々に砕かれてしまった。

 自分と同じく地べたを這いずって生きるしかない人間に――いや、自分の下を這いずっているべき人間に負けた。

 それが何より許せなかった。



 俺が出来なかった事を、出来る人間が居てはいけない。

 俺が勝てなかった『相手』に、勝てる人間が居てはいけない。

 そもそもやつは俺のために死んだはずなんだ。

 生きているはずが――ないんだ。

 存在している事自体が――間違いなんだ。



 あいつと出会ったことが間違いだったんだ。





 エリオットは存在してはいけない。




 エリオットは、殺さなくては――




 彼の中の憎悪が、一層――燃え広がった。




「……お兄さん」



 ふいに、ジェスターは声をかけられた。

 冷たい冷気のように通り抜ける女性の声。

 嘲笑するような、誘惑するような感情が読めない甘い声。


 ジェスターは空気が冷えていくのを感じ、思わず振り向いた。

 そこには、フードを被る長身の女性が、たたずんでいた。


「……復讐したくないかな? お兄さん」

「……」


 ジェスターは答えない。

 だが、その目に宿る『もの』を、彼女は見逃さなかった。




「……自分を見下ろす『人間』に……この――『世界』に」




 女性は笑みを浮かべた。

 まるで、吹雪の中でも消えることなく燃え盛る――


 炎を見つけたかのように。







 ●  ●  ●






「荷馬車が止まってますね」



 陽もかたむきはじめた頃。

 アズがぽつりと呟いた。



 山にはまだ遠い、開けた草原の街道の先――

 ぽつんと荷車が止まっているのが見える。




 こちらからは見えないが、馬のいななきが聞こえた。

 何やら悲痛な声に感じられる。


 アズも同じ印象を持ったのだろう。僕らを置いて、馬車へと走り出していた。



 僕らもその後を追う。




 前に回り込むと、一頭の馬が片足を上げてよろよろとよろめき、馬車の主だろう老年の男が、必死になだめている所だった。



「いかがなさいましたか?」



 アズが、どうどうと馬を抑える老人に言葉をかけた。



「旅のお方ですかね。ちょいと馬が足をくじいたみたいでして……」


 そう言いながら彼が馬を落ち着かせようとするが、上げた足が地面に当たるたびに暴れ、興奮状態で泣き叫ぶ。

 尋常じゃない痛がりよう……

 足をくじいただけには見えない。




「見せていただけますか?」

「お、おい――」



 シェンフーさんの制止を振り切って、アズは暴れる馬へと躊躇なく近づく。



「あ、危ないよ。お嬢さん!」



 暴れ馬の後ろ脚が、彼女のそばをかすめる――が、恐れる様子もなく馬の背へと優しく手をおいた。


「よしよし……よしよし……」


 アズが優しく馬を撫でる。

 すると、先ほどまで暴れていた馬がゆっくりと落ち着きを取り戻していく。

 お爺さんがなだめられなかった馬を、アズはいとも簡単になだめてみせた。


 その姿を確認して、アズは屈みこみ、馬の痛んでいる足を触診。

 ときおりびくりと馬が痛みを感じて身を動かすが、穏やかにアズに身をゆだねている。



「これは……なんと」


 荷馬車の主人がかぶっていた帽子を取り、感嘆の声をあげる。

 まるで専門医かのごとく、手際よく馬の状態を確認する彼女に、心底驚いている様子だった。

 僕も同じように、アズの姿に見惚れていた。


 慈愛に満ちた目で馬をなだめ、いたわる姿は美しい絵画のよう――




 一通り、触れてみてアズは馬の痛みの原因を突き止めたようだ。




「骨が折れてしまっていますね……たぶん、疲労骨折というものかと。疲れがたまり過ぎているようです」

「そうですか……昔からずっと連れそった馬でしてのう。若い頃はずいぶんと無茶もさせていましたから……そのせいですかのう」


 老人は、馬の頬を撫でてすまんのう……と今までの労いと謝罪の言葉をつぶやく。



 ……この状態では荷馬車を引くことは難しいだろう。

 エリスの街に戻ろうにもかなりの距離がある。

 老人は僕らに何も言わないが、途方に暮れていることが分かった。




 アズが不意に僕ら――シェンフーさんへと視線を向ける。



「……構いませんね?」

「……巫女殿のご自由に」


 シェンフーが手を広げて降参するようなポーズを見せると――彼女はこくりと頷いて、目を閉じた。


 両手を馬の折れた足へと当てて、祈りを捧げる。



「巫女……お嬢さん、もしかして……」

「今、集中してるんでお静かに」



 ぼうっと光を帯び始める彼女を見て驚く老人をシェンフーが落ち着かせた。



 光の渦のようなものが舞い上がる。と、彼女の背中から大きな鴉が躍り出た。

『八咫烏』。

 三つ足の大きな鴉だ。

 眩い輝きを放ちながら彼女の頭上をゆっくりと旋回する。



 光の渦が一際大きくなると、『八咫烏』がその光をまとい、急降下。


 馬の痛む箇所を通り抜け――彼女の肩へとゆっくりと足を降ろした。



 アズから馬へと、光が移り、泡のように弾けてかき消えていく……



 すると、馬は折れた足を地面につけた。

 そして、何事もなかったかのように体重を乗せて、足踏みをする。



 ほんのわずかな間の出来事。


 アズが『八咫烏』の力で、馬の怪我を治したのだ。

 痛みは消え、折れた足は完全に治癒されているのが、馬の動きから見て取れる。



「おお……おお! なんと素晴らしい……これが巫女のお力……」


 老人は膝をついて、拝むようにしてアズの手を取った。


「まだまだ未熟者です。でも……これで大丈夫です」


 彼女は微笑む。その額にはうっすらと汗が見え、疲労感も見える。

 それが、『八咫烏』の力を使ったからなのは、僕にもすぐに理解できた。


 僕らの『神獣』同様、力を使った行動は、相応に消耗するようだ。

 僕が『ケルベロス』を全力で使う時のように、治癒を施すのはかなりの体力を使う事が、彼女の表情から見て取れる。


 アズがシェンフーさんに確認を取ったのも、そのためだったみたいだ。



「ありがとうございます! 巫女様にお会いできるとは……長生きしていて良かった……」



 魔と戦うために『神獣』は力を貸してくれる。

 だが、魔を封じ、怪我や病気を治癒する力は、『神獣』を宿した人間の中でも特別な存在だった。

 奇跡のような力を授かる人物は――めったにいない。

 生命に癒しを与える事ができる人を、敬意を込め、『巫女』または『男巫』と呼んでいた。




 巫女の力は絶大だ。そのため、街や国が丁重に保護し、一般人がお目にかかれる事はまずない。




 僕も出会ったことがある巫女は、彼女一人だった。




「申し遅れました、わしはベンス。助けていただいた馬はシルバーと申します。おかげで家にも帰れそうで……本当に感謝いたします。巫女様」


 すっかり元気になった馬のシルバーを大事そうに撫でながら老人――ベンスさんが改めてお礼をする。


「いえ。ですが、お馬さん――シルバーちゃんの身体が疲れているのは事実ですので、大事にしてあげてください」

「そういたします。長い間、シルバーと共に仕事をしてきましたが……引退して田舎で孫の顔でも見ながらゆっくりしようかと思います」


 彼は長年の思い出に浸る様にして、呟く。


「して、巫女様たちはどうしてこのような場所に?」


 ベンスさんがシルバーのたてがみを撫でながら、尋ねる。

 シルバーを撫でる手つきを見るだけで、誰もが付き合いの長さを理解できる、そんな触り方だった。


「私たちは、旅をしている途中なのです」

「なんとも、珍しい……このような場所で助けていただけるとは、奇跡のようなものですな」

「いえ、そのような大層なものではありませんよ」


 アズが優しく微笑み返す。


「それで、どちらまで行かれるのですか?」

「私たちは山を越えて……あ、あちらの……トラスの街へと向かっています」


 アズが指さそうとした方向が、間違っていたのでこっそりと修正してあげる。


「なるほど。では、どうですかな? トラスの街まで乗っていかれては?」


 ベンスさんの口から願ってもない提案が飛び出してきた。


「いいのですか?」

「もちろん。トラスは通り道ですし、シルバーを治して頂いたお礼です。荷車の中はずいぶんと窮屈ですが」

「その……ですが私たちは……」


 何故か困った顔をするアズを見て、ベンスさんが何を言おうとしているのか気づき、豪快に笑う。


「いやいや、助けていただいたのに、お代など取りませぬよ。むしろおんぼろ車で、こちらが申し訳ないくらいで」

「そ、そうですか……」



 アズが振り向き、僕とシェンフーさんの顔を伺う。

 僕らはぶんぶんと首を縦に振って賛成の合図を送る。



「では、お言葉に甘えて……」



 僕とシェンフーさんはアズの言葉を聞きながら拳を合わせて喜んだ。

 渡りに船とはまさにこの事。



 どうやら何日も野宿せずに済みそうだ。





★  ★  ★


神獣『八咫烏』 ―使役型―


太陽の化身とも呼ばれる、三つ足を持つ大きな鴉の神獣。

三つの足にはそれぞれ、天、地、人を表す勾玉が握られており、万物を司る最上位の神獣とも言われている。

その力は強大で、魔を封じる力『封魔』と、人々の傷や病を癒す力『治癒』を持つ。

このような奇跡の力を持つ神獣を宿す者は、『巫女』または『男巫』と呼ばれ重用される。

また、八咫烏には導きの神獣とされる言い伝えもあるが、宿主であるアズリエルの方向音痴には効果がないようだ。



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