7.前途多難な旅の始まり 前編
剛腕が唸りを上げて、僕に迫る。
それを右手で払いのけるようにして、いなす。
――と、僕の腹部に大きな虎の拳がピタリと張り付いているのが見えた。
『寸勁』
白い虎――シェンフーさんが、息を吐き、深く踏み込む。
虎の拳が、ぎゅっと握り締められると同時に――僕のみぞおちに大砲が爆発したような衝撃が走る。
「ぐはぁつ!!」
背中まで突き抜ける一撃に、僕は耐えられず後方へと吹っ飛んだ。
草の上を転がり、四つん這いになってなんとか止まる。
「うえええ……」
内臓が激しく揺さぶられて、胃液がこみ上げてきそうになる。
そのうえ、腹を木槌で思いっきり殴られたような、鈍痛が広がってきた。
痛みと気持ち悪さを何とか堪え、うっぷと吐き出しそうになったものを飲み込む。
視界のすみで、シェンフーさんが右手を振りながらこちらに歩いてくるのが見えた。
いつの間にか虎ではなくなっている。
ゆっくりと近づいてくる彼は、僕に一撃を食らわせたというのに暗い表情だ。
「やめやめ……とりあえずこんな所にしとこう」
よく見ると、彼の右手からはわずかだが、血が滴り落ちていた。
どうやら僕を殴り飛ばした時にできた傷らしい。
「ケルベロスの鎧とやら……思った以上に厄介だな。反動がそのまま返って来やがった」
腰を落とししゃがみ込むと、『寸勁』――ゼロ距離からの打撃を当てた僕のみぞおちをペチペチと叩く。
灰色の鎧、ケルベロスが作り出す甲冑が、ほんの少しだけひしゃげている。
あの威力を受けて、その程度で済んでいる事に、僕も彼も驚いていた。
「結構、マジでぶち込んだんだけどな」
「く、訓練って言ったじゃないですか……」
「悪い悪い。ちょっと確かめたくてね」
悪びれた様子も見せず、僕が『着ている』ケルベロスの頭を軽く小突く。
僕たちはエリスの街を出発し、その道中で休憩がてらシェンフーさんと訓練を行っていた。
巫女を守る旅。
そのためにはケルベロスの力が一体どういうものなのか。そして、どうコントロールすればいいのかを学ばなくてはならない。
教えをこうには、うってつけの人物――それがシェンフーさんだ。
彼も『神獣』の加護を受けている。
だが、先ほどの技は、遠く東の国に伝わる『拳法』と呼ばれるものだ。
シェンフーさんはその達人でもある。
『神獣』の力に甘えることなく、技を磨き、組み合わせて戦う彼のスタイルは、僕が目指すべき目標と言えるだろう。
「何にせよ、少年――エリオットの『ケルベロス』が、俺の『白虎』と似たようなもんだってのは分かったよ」
『白虎』
それがシェンフーさんが宿す神獣。
彼が言うには憑依型の能力らしく、その力は彼自らが虎――『人虎』に変貌するもの。
身体が強化される点では、ケルベロスと同じような能力であるのは疑いようがない。
そのうえ、白虎の力を『発勁』という気の力に変え、拳に込めて撃ち込む事も可能にしていた。
「全力を出せば、恐ろしいまでのパワーがあるが……もってせいぜい数分ってところかね」
「……」
彼との訓練で、それはうすうす感じていた。
全身にケルベロスの鎧をまとい、彼と立ち合っていたが、時間が経つにつれて、徐々に肉体も精神も疲労していくのが分かった。
先ほどの一撃は、疲れによって動きが緩慢になったところをつかれた一撃だった。
「じゃあ、どうしたらいいんでしょう」
ケルベロスを解除して、僕はひと息つく。
ずっと鎧を維持していた影響で、息が上がっていた。
短い時間だというのに、思った以上に、疲弊している。
「訓練して慣れていけば、維持できる時間も伸びるだろうが……とりあえずは限定的な開放の練習だな」
シェンフーさんはそう言いながら、『右手』だけを虎化させた。
腕がふたまわりほど太くなり、白いふさふさとした毛が生える。
「短距離走と長距離走みたいなもんだ。全力で走れば、短い距離を速く走れる分、疲れるのもはやい。だが、力をある程度抑えて走れば……一定のスピードで長く走れる」
「はあ……」
「エリオットの場合なら、そうだな。籠手だけ発動させれば、その鎖を飛ばす事はできるはずだろう?」
「籠手だけ……」
「そうだ。そうすれば、余計な部分に力は必要なくなる。結果、毎回全力を出さなくてすみ……いざって時に息切れしないようにできるって話だ」
「……なるほど」
「まあ、要練習だな」
確かに、『厄災』の魔物が毎回、一体だけとは限らない。
すべてに全力でぶつかっていては、肝心な場面でアズを守れなくなるかもしれない。
そのためには力の『配分』は必要になってくるだろう。
「頑張ってみます」
「おう」
シェンフーさんの飄々とした態度が頼もしく見えてきた。
堂々した立ち振る舞いは、相当の場数を踏んできたのだとわかる。
彼から学ぶことは、これからも多いだろう。
彼の手を借り、立ち上がった時――
「ご飯ですよ~」
遠くから僕らを呼ぶ声が近づいてきた。
木のお玉を持って歩いてくるのは、アズ。僕らが守る巫女、アズリエルだ。
そんな彼女は、巫女服の上から頭巾とエプロンを下げ、給仕さんのような恰好をしていた。
その恰好も似合っていて、可愛らしい。
「出来上がったので、食べましょう。あっ……シェンフー! 怪我をしたのですか!?」
「あ? あー、ほっときゃ勝手に治る」
「だめです。治しますから、見せてください」
「いいって」
腕を握ろうとするアズを、シェンフーさんが茶化すようにしてかわす。
アズは動かないでくださいっと、しつこく腕を追いかけまわすが、彼はじゃれつく子犬をあしらうかのように腕を取らせようとしない。
そのやりとりは何だが、兄妹がたわむれているようにも見える。
彼女たちはずっとこんな感じで旅をしていたのだろうかと思うと――自然と笑みがこぼれた。
★ ★ ★
神獣『白虎』 ―憑依型―
東の国に伝わる『四神』の一つで、白い虎の姿をしている。
『四神』は王を補佐し、守護するものと言われており、白虎はその勇猛さで敵を撃退する戦士であるとされている。
宿主を虎へと変貌させ、強靭な肉体と獣のような瞬発力を与える。
動物的な直感、反射神経も備わり、超人的なスピードで反応することもできる強力な神獣。
東の国には神獣の力を『気』に変換して、相手に撃ち込む技術を習得している者がいる。
★ ★ ★
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます